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山本五十六の発案による真珠湾攻撃により日米戦争が始まったことはよく知られています。彼はアメリカの能力を充分理解していて日本には勝利の望みが無いにも関わらず開戦したように言われていますが、軍人の
指揮官が勝利の見込みのない戦争を始めるものでしょうか、もし開戦せずに石油が無くなり軍艦、飛行機の運用が出来なくなり挙句に降伏する不名誉にたえらないとの考えから開戦に踏み切ったように理解しています。自分達の不名誉に耐えられないために国民の命を犠牲にするほうを
選択したとは考えたくないが、本当にそうでしょうか?日本は過去に勝利の望みのない戦争と言われた日露戦争をしています、その成功体験に
触発されたのではないでしょうか。しかし日露戦争の時は世界一の海洋国家と言われた英国と同盟を結んでいましたが、日米戦争の時はあのナチスドイツとの同盟でなんと当時の政府には世界を見る目のない連中が
政府の方針をきめていたようです。軍人が戦争を始めるからには勝利の見込があるはずだとおもうのですが、山本五十六は真珠湾攻撃したあとの戦略はどのように考えていたのでしょうか、まさか戦艦を全て撃沈されたから戦意喪失して講和を申し込んでくるなど考えていたわけないと思いますが。彼は真珠湾での攻撃目標は戦艦ではなく空母であったはずですがそのことを全く理解しない南雲長官に指揮を任したばかりに空母を無傷のまま放置して逃がしそのため後にその空母から本土空襲されたばかりにその後の作戦に大いに齟齬をきたした。山本は太平洋から米空母がいなくなると日本海軍の独断場となり、アメリカが本国で空母を建造するまで1年ぐらいで南太平洋に航空基地を建設されてしまっていたならあのような悲惨な戦闘をしなくともよかったのではないかと思います。その意味からも真珠湾攻撃は失敗であったと彼は判断したはずだと思われますが皆さんはどのようにみておられますか?
投稿日時 - 2008-10-09 08:53:51
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回答(15件中 1~5件目)
既出の回答で
山本五十六がはじめたくて始めたわけではない
山本五十六は勝てる自信を持って始めたわけではない
という点に関してはご理解を得られたかと思います。
そもそも連合艦隊司令長官は引退の花道ポストで、
日独伊三国軍事同盟に反対し、戦艦の建造にも反対し、
勿論、米英戦争にも反対だった山本の更迭先(保護先?)だったわけです。
運命の悪戯だったと考えざるを得ません。
蛇足になるかもしれませんが、彼の見識を表す有名なエピソードをご紹介したいと思います。
(NHKのその時歴史が動いた・等のTV番組でも有名ですが)
真珠湾攻撃を立案し、鹿児島で艦船攻撃の為の猛訓練をつませ、
真珠湾攻撃の準備が満足のいくレベルにまで達し、全てが準備完了の
状態になった連合艦隊出撃の前のこと、
日米交渉妥結の見込みがあれば、作戦を中止し、反転帰投せよと山本長官は南雲長官に命令しました。
南雲長官は「兵士はみんな気合をもってがんばっており、出撃して何もせずに帰るわけにはいきません
(せっかくこんなに準備をしたんだから一発アメちゃんにかましましょうよ。みんな喜びますよ)」と反論。
以下はそれを聞いた山本長官が怒鳴りつけた言葉です。
「百年兵を養うは、ただ平和を守る為である。もしこの命令を受けて帰れないと思うなら即刻辞表を出せ」
南雲長官も無能ではなかったでしょうが、
(というか、かなりの秀才だったことでしょう。)
この言葉の意味は読み取れなかったのでしょうね。
平時に優秀な人間が非常時に同様とは限りません。
むしろその逆の場合の方が遥かに多いのが常です。
このレベルですから二人の間に日本海海戦の時の
東郷ー秋山ー上村のような関係は望むべくの無かった
のかもしれません。
倒幕・維新という荒波の中で生まれ育った人間が持つ
眼力、覚悟、度胸・勝負勘
を日清、日露の勝利に酔っていた世相の中で育ってしまった人間が持てる筈も無く、
当時なら、どちらかといえば南雲長官みたいな人物の方が普通であり、山本長官なんかは今風に言えば、さしずめ、
「世界の趨勢や自国民のキモチが読めない、臆病KY大将」
だったことでしょう。
投稿日時 - 2008-10-18 16:56:07
山本五十六のような肝の据わった官僚が今の世にいれば、と望むのはないものねだりでしょうか?
戦前の旧大日本帝国で戦略を望むことは、絵に描いた餅に他なりません。政府には、統帥権独立のため、戦争指導の権限がなかったからです。
しかし、戦術的には、真珠湾奇襲攻撃は、織田信長の桶狭間の奇襲以来の大成功でした。もし、この作戦がなければ、緒戦で東南アジアの資源地帯を制圧することは不可能だったでしょう。
それと、旧大日本帝国海軍には、官僚組織の硬直化が極まって、「事なかれ主義」が蔓延していたと思われます。真珠湾然り、ミッドウェー然り、ガダルカナル然り、レイテ湾然り。すべて、戦術的に大勝利を収められたのに、個別の利益を全体の利益に優先させ、残敵を殲滅せず温存を許し、後にリベンジを蒙っている訳です。
開戦の是非はさておいて、戦術的な決定打があれば、戦争の帰結は大いに違った結末があったのではないでしょうか。
このように考えると、山本五十六は、南北朝時代の忠臣である、楠木正成に思われてなりません。
投稿日時 - 2008-10-13 16:52:24
「作戦の目的を指揮官に十分伝えていなかったのではないか」
確かにその通りかもしれませんね。ハンモックナンバーにしばられた硬直人事の産物かも。では、誰がなればよかったでしょう?小沢?山口?角田?塚原?あるいは山本自身?それでその指揮官が引き返す判断をしたら?アメリカとの戦力差は南雲にもわかっていたとおもいます。大戦果、少ない味方の損害。南雲の判断は海軍にはびこっていた保全主義のせいだと思います。
残って攻撃を続ける。自分たちも手ひどくやられるかも、あるいは全滅。博打の中の博打の打ち方の判断です。歴史にIFはありません。戦争をやると国があるいは国民が決めている以上、多少反攻が遅くなるだけで結果は同じように悲惨だったと思います。
結果論ですが真珠湾攻撃は戦術的成功、戦略的には失敗だったと思います。
投稿日時 - 2008-10-11 13:37:52
11さんの意見で。
山本五十六は、これからの戦争における空母の重要性(航空爆撃の重要性)を
強く主張していた人です。
アメリカが日本本土へ攻撃の際は輸送手段としての意味合いも含め絶対的に空母が必要になる訳で、
短期決戦の戦闘において、まず空母を叩いて戦争を少しでも長引かせるために奇襲という賭けとも言うべき
作戦を選択した訳です。そのリスクはあくまで空母を叩く、これがメインでしょう。
真珠湾攻撃を発案したとするのが妥当な考えではないでしょうか。
作戦事項についての記載よりも山本五十六の真意はそこにあると思います。
ただ当時の大日本帝国軍の思考は「巨大戦艦こそ」と言うのがメインです。※大和や武蔵建造を見れば解る
そのため、陸軍や政治家を納得させる為に第一目標を「戦艦」にしたと言うのであれば理解できますが、
山本五十六としての本心は空母と見るのが妥当ではないでしょうかね。
海軍の中でも先を見る目に優れていた山本五十六が、戦艦を第一目標するということは考え難いです。
作戦実行をしたのが南雲というのが、結果なのかも知れませんが、
私としては何故、南雲に指揮を任せたのか、それが最大の疑問です。
※それでないと作戦を実行できない、などの圧力があったとか。
投稿日時 - 2008-10-11 11:59:46
開戦しないという選択肢は実際あり得たでしょうか。日米交渉は決裂が前提の交渉でした。アメリカはヨーロッパの戦争に介入したがっていたので、日独伊軍事同盟というトリガーを引くことによって、日本と戦争状態に入ることを望んだわけです。そうすればドイツと交戦する大義名分も立つわけですから。ちなみに山本は日独伊軍事同盟には断固反対の
立場であったそうです。
日本が得ていた満州などの大陸の権益は日清戦争以来の日本人の血の代価として獲得していったものです。
アメリカは日本軍は大陸から撤退せよと要求していました。これを飲めるはずはありません。世界に冠たる大日本帝国がそこまでの譲歩をする所以などありません。クーデターが起こるでしょう。
山本が真珠湾を攻撃したのはアメリカ人に厭戦気分を煽ることと、漸減邀撃作戦を容易にしようという考えがあったからでしょう。真珠湾までは大艦巨砲主義でしたから。そうすれば、真珠湾で一撃やっておけば、どこかで落としどころが見つけられる。講和に持ち込める。こう思ったはずです。最後の最後までソ連に仲介を頼んだあたりの世界情勢の読みのなさは驚きですが。
それまで、日本はそうやって、第三国のとりなしで戦争を終わらせてきましたから、全面戦争など考えていなかったのではないでしょうか。局所的な大勝利によって戦争は終結できる。これは、首都を落とせば戦争は終わる、というルールなどどこにもなかった日中戦争の幕引きの誤解と同系統です。
陸軍は蘭印占領後は専守防衛の体制を敷こうとしたそうですが、長期化を好まない海軍は太平洋に進出しました。痛いところを突いていくことによって、有利な講和を結ぶ。短期決戦を求めていたのです。最初の1年くらいずいぶん暴れることによって、どこかで戦略的な大勝を収めることができると考えたのではないでしょうか。それがミッドウェーだったのかもしれません。結論としては、空母の集中運用をアメリカに真似られた意味において真珠湾作戦は失敗だったといえると思います。
投稿日時 - 2008-10-11 01:17:33