人間の空を飛ぶ可能性と進化の加速

このQ&Aのポイント
  • 人間の進化において、空を飛ぶ能力や水中で生きる能力を獲得することは可能なのかについて考えます。
  • 温暖化による陸地の水没が進む中、住む場所が限られていく現状から、人間は空や海を住空間として利用する必要があると論じます。
  • また、人間の進化を人為的に行い、空を飛ぶ能力や水中で生きる能力を得ることについて、倫理的な問題や人体実験の可能性についても議論します。
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人間は空を飛べるか。

DNA操作のようなことをして、人間が空を飛んだり、水の中で生きていったりできますかね。 温暖化で陸地がどんどん水没していくと、住む場所がなくなるから、 空と海は貴重な住空間ですよね。だったら一日も早く、 それに適した進化を人為的に行うべきじゃないですか。 もうすでに人間は神の領域を侵していますから、今更倫理だの何だのいうのはきれい事です。 どんどん人体実験もしたらいいと思います。 日本には死刑囚っていう貴重な材料があります。 もし僕が許されざる罪を犯して死刑の宣告を受けたらせめて世の中のため、人類の進化のため、 喜んで実験材料になります。 どうせ死ぬなら同じ事。少しでも罪滅ぼしをした方がいいじゃありませんか。 どうですかね。緩い進化じゃなくて、人為的に進化を加速させること可能ですか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.2

空を飛ぶのは羽を生やさねばならないし、そのために平均体重を飛ばすだけでどれだけの翼が必要かを考えると無理でしょうね。 それに羽を生やすためには脚を手のようにし、腕を失わなければなりません。 或いは吸血鬼に血を吸われて仲間になるかです。 そうなればアンチエイジングも実現できるし、定期的に動物の血を一部だけ貰えばいいので、養殖して殺す事もなくなり、種の保存も考えなくて済みます。(そう考えると吸血鬼は悪魔ではなく天使かも) 逆に海に住む方が楽かもしれません。 海中に住むというとすぐにエラ呼吸を考えがちですが、これは浅はか・・ 鯨、イルカ、セイウチ、トド、白熊、ペンギンなどなど肺呼吸の水の生物は山ほどいます。 つまり一呼吸で何分潜っていられるかが問題なんです。 そう考えれば、人工的に肺を大きくする、酸素の消費量を少なくする。或いは低酸素でも活動できる体にするなど可能性も広がります。 それに人は生まれたままの姿では在りません。場所によって異なりますが、一定時間で全細胞が入れ替わっているんですから。 成人になってからでも可能性がゼロというわけじゃありません。 それに実験であれば、貴方が完全な魚人になる必要などないんです。可能性を実証するデータが得られればイイのですから充分に役に立ちます。 でも、役に立ちたいからと言って死刑になるような罪を犯しては本末転倒ですからね。 せいぜい平穏なうちに自然な死を迎えましょう。 ちなみに「神の領域を侵す」等というのは信仰心の無い科学者の世迷言か未熟な信仰心しか持たない者の戯言です。(例え法王であっても) もし真に神を信じているなら、人間が神の領域を侵すことなど不可能だと言う事を知っているはずです。つまり人の手で可能になるのは人が行える範囲だということ、それが森羅万象の法則を侵し滅亡に至るとしても、それは自分たちの領域を破壊したに過ぎません。 人間に領域を侵される様な神は人間を同じか下位であるということになるし、その程度の神なら居なくても善いという事になってしまいます。 つまり「神の領域を侵すな」などと言っている連中は神を過小評価しているだけなんです。自分の限界を神の領域との壁だと自分を過大評価しているだけなんです。 人間の行為が神の領域に近づいたとしても、それに触れることなど完全に出来ないのです。

noname69
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • nerimaok
  • ベストアンサー率34% (1125/3220)
回答No.1

貴方のDNAを操作しても貴方に翼が生えたり鰓が出来たりはしませんよ。 生殖細胞とか発生直後の卵でやらないと。 貴方の細胞でやるとしたら精子とか卵子で細工しないといけないけど億で作られる精子に細工するのは無茶。 卵子だけ細工しても、その結果が発現するかどうか。

noname69
質問者

お礼

ありがとうございます。

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  • 同じ命でも…

    凄く疑問に思っていることがあります。 それは、同じ命でも人間とその他の動物で、なぜ命の扱いに差が生まれるのか?ということです。 人間の欲求を満たすため、犬や猫などのペットをお店で購入しておいて、「育てられなくなった」と言って、山の中に捨てたり、保健所に預けたりする。 人間に食べらるためだけに、生まれ、育てられ、屠殺され、加工された牛、豚、鶏肉で不要になったものは平気で廃棄する。 人間のために新薬を開発するため、動物実験をする。動物の住みかを破壊してでも、人間にとって住み心地の良い住環境を構築する。 に対して、人間はと言うと… 人権、法律、倫理、道徳なんていう、人間にとって都合の良い言葉を盾にして、しきりに「命は大切だ!」などと訴えてくる。多くの動物たちの命を犠牲にしたうえで、日常生活が円満におくられているにも関わらず。散々、命をぞんざいに扱っておきながら、虐待や窃盗、殺人など犯罪を犯した人間でさえ、のうのうと生きている。同じ「命」なのに、なぜこれほどまでに、扱いに差が出てくるのでしょうか?