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今のお寺は葬式仏教

まもなくお盆がきますね、これっていつから始まったの、お釈迦様の時代にもあったの、今のお寺は葬式仏教と言う人もいますがどうですか、もともとは死後の世界についてでは無く、今どう生きるかを説いて悟りを開こうとしたものではなかったのですか、初七日だの七七忌だの彼岸だの昔からあった法要なの。戒名もしかり、これってお坊さんが考え出した収入源じゃないのかな。 先祖を敬うという点では、やれば気もすむし偲ばれるけど。どうも今のお坊さんは説得力無い、なんでかなあ。

みんなの回答

  • bara2001
  • ベストアンサー率30% (647/2111)
回答No.3

仏教は本来は「いかに生きるべきか」そして「いかに輪廻の輪から解脱すべきか」という実践哲学です。 日本でも禅宗系では今でも比較的修行が大事にされています。 ところが日本で主流の浄土系の教えでは、「今生では苦悩が多すぎて仏道修行ができないから、阿弥陀仏のしろしめす浄土に生まれ変わって修行をしましょう」という話になります。 つまり、人間界で死んで阿弥陀浄土に生まれ変わることが、第一の目的になっちゃってます。 目的がすり替えられたんですね。 なので死に方や、先祖供養に重点が置かれてしまいます。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.2

そもそも仏教に生死の境なんて無いんです。生きている人間の生き方ではなく、人間の本質である魂のあり方を説いているのです。 だから生死に関係なく本質である魂が仏の教えを勉強をし、実践することでやがて悟りを開く事が出来るということ。 生きている人のためのお経だとか言っている研究者や坊さんがいるけど、それは結局“ふりだし”に戻ってしまっているだけです。何も理解していない。 まぁそういう輩が僧として存在する時点で、本来の仏法学すれ始めているのかもしれませんが 科学だって「博士」という資格だけあってもいい加減な詐欺行為をする輩が数多くいるのだから、世の中資格があるから信頼できるなんて思うほうが間違いでしょう。 それに「坊さんの収入源」と言っている輩も、「布施」の意味も理解しようとはせず、山門の外で愚痴っているにすぎない。 どんな理屈でもうがってみれば幾らでも偏見する事は出来ます。 最初から批判するためだけの修行なら修行の意味を理解する事は出来ない。 多くの僧が多くの宗派を興したのは、真剣に誠心誠意修行をして、世の中を見つめ、問題点を解決しようとした結果であり、理解を追究したという時点で詰まらない非難をする人とは根本的に違います。 なので、まずは世間の低レベルな輩の言動に惑わされず、マジメに、真剣に仏法に向き合う事をお勧めします。

9675sa
質問者

お礼

お恥ずかしい限りです。貴重なご意見誠に有難うございました。

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1224/4399)
回答No.1

 初七日だの七七忌だの彼岸などの考え方は仏教発祥の地インドですでにあったので、日本に上陸した頃からありました。  自分の死後、極楽浄土へ行けるため、もしくは死の恐怖から心を安らげるために「今をどう生きる」ってことの教えだと思います。  自分の葬儀に子孫にお金を遣わせるのが嫌なら遺言で「仏式に則っての葬儀告別式はやめるように」と記しておきましょう。

9675sa
質問者

お礼

仏教が日本に伝わって受け入れ広めたのは聖徳太子だそうですね ガッテン回答有難うございました。

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