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なんで「帝国」は悪者扱いなのか?

tyr134の回答

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  • tyr134
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回答No.5

まずは、基本的な事として、「王(king)」と「皇帝(emperor)の違いから。 洋の東西で若干意味合いが異なりますので、以下に纏めてみます。 ヨーロッパの場合 ・皇帝 ヨーロッパの皇帝の概念は、ローマ帝国時代にまで遡ります。 帝政ローマになっての初代の皇帝はガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(アウグストゥス)とされています。 しかし、ローマは王政を打倒して共和制になったという経緯があります。 そのため、ローマ共和国時代に「王政アレルギー」と言って良いほど、政体が共和制から君主制に移行することに敏感になっていました。 でも、アウグストゥスが生きた時代には共和制では対応出来ない時代になっていました。 そこで、彼は「王」という称号を使わず、「インペラトール(羅・imperator)」という称号を使いました。 これは、共和制ローマ時代には「統帥権」を中心にした最高指揮官の称号でした。 (※そのほかに「アウグストゥス(称号)」「カエサル」という呼称も皇帝の称号として利用されるようになっていきます) ローマ帝国崩壊後は、この「インペラトール(或いはカエサル)」は「ローマ皇帝の後継者」の称号となっていきます。 ローマ崩壊で一端途絶えた皇帝ですが、A.C.800年にフランク王国国王カールがローマ教皇レオン3世によってローマ皇帝に戴冠されます。 この後、フランク王が皇帝も兼ねるようになりました。 フランク王国崩壊後に、またもや皇帝は途絶えますがドイツ王オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世によって戴冠されます。 これが、神聖ローマ帝国の始まりとなります。 その後、ローマ皇帝>ドイツ皇帝 or ロシア皇帝>ナポレオンへと引き継がれていきます。 ただし、ナポレオンは「皇帝を僭称」したのに近い感じです。 ロシア皇帝というか、東欧諸国には日本語で「皇帝」と訳される「ツァーリー」というのが出てきますが、これは「ローマ帝国の後継者=皇帝」を周辺国が僭称し始めたのが始まりとされています。 ナポレオンは、飛ぶ取り落とす勢いでフランスはおろか大陸中を席捲していた絶頂期に、勢いにのって皇帝を名乗っちゃったって感じです。 称号も「フランス人民の皇帝」ですので、ローマ帝国の後継者という意味合いは薄れていると言えます。 彼は、「教会は皇帝の下だ!」と言わんばかりに、ローマ教皇ピウス7世から帝冠を取り上げて、自分で被っちゃいました。(800年のシャルルマーニュの戴冠以来、皇帝冠は教皇が被せるのが慣わし) もうお気づきかと思いますが、この「インペラトール」の英語が「エンペラー(emperor)」です。 一方、「キング(king)」というのはもう少し曖昧な称号です。 「KING」は、血族を示すキン「KIN-」から派生した言葉といわれています。 つまり、「血統」を強く意識した称号であり、政治的に作られた「エンペラー」とは概念が全く異なります。 で、この「王権」の正統性には幾つかの理由があり、政治的につかいわけられてきました。 まず大前提は、語源からも分かるように血統です。 その後に、一つは封建制度による家臣群から認められた「王権」。 (封建制) もう一つは、ローマ教皇から「王」として認められること。(王権神授説) という二つの論理がありました。 この二つを、政治力学的に使い分けて様々な歴史を形作ってきました。 このように、エンペラーはローマ皇帝の後継者という意味合いが強く、キングは一勢力の統治権を示す意味合いが強いと言えます。 そこに、キリスト教カトリックの「教皇権」との兼ね合いが加わってきます。 ・東洋の場合 東洋の皇帝はの概念は、中国は秦の始皇帝にその源を発します。 秦が中国を統一するまでは、様々な国が乱立していました。 そして、各国の君主は「王」という称号を用いていました。 そのため、「王」という称号にありがたみを感じなかった秦の王様は、「皇帝」という称号を作り名乗りました。(これが秦の始皇帝) 「皇」の字は「自(はじめ)」と「王」の合わせ文字だと言われています。 そこに「帝(みかど)」を合わせました。 「帝(みかど)」には「天子」という意味が込められています。 「天子」とは、「天の命によって天下を収めるモノ」という意味です。 こうした理由があり、秦の始皇帝移行は「天の命によって天下を収めるモノ」として「皇帝」が中国を統治していくことになります。 一方、「王」は周の時代に「天子」の意味で用いたのが最初だと言われています。 最初は、封建制の関係から周以外の国は周王に配慮して「王」という称号はつかいませんでしたが、周の権威が落ちるとともに各君主が「王」を名乗り始めます。 で、「天子」であるはずの「王」が乱立することになりました。 それに終止符を打ったのが、秦の始皇帝です。 ・・・と、話が前後しましたが、「帝」も「王」も「天子」を示す称号でしたが、それにありがたみがないとして「秦の始皇帝」が統一を記念して(?)「皇帝」を名乗り始めたのが、皇帝のはじまりです。 その後は、「王」は「皇帝」の下の位となってしまいました。 ・日本の天皇 日本の「天皇」が「皇帝」にあたるのか「王」にあたるのかは、様々な議論が分かれるところです。 一応、「天皇」は中国の「皇帝」の別名です。 それを日本が導入したのは、天武天皇の時代という説が有力なようです。 その後、明治期に欧米に天皇の立場を説明するのに「エンペラー」を訳語として与えました。 それが慣例化して、欧米では「天皇=エンペラー」となります。 と、まぁ大雑把にはこんな感じですね。 >「帝国主義」は覇権主義や軍国主義といった概念と同一として論じられます。 これは、18~19世紀以降の時代に対して使われる言葉です。(なので、実際のローマ皇帝とか秦の始皇帝とかとは意味合いが違います。) 18~19世紀は、産業革命をとおして確立された資本主義経済の元、市場の独占や余剰生産品輸出のための市場拡大を狙ってヨーロッパ各国が植民地獲得競争をしながら拡大していった時代です。 「帝国主義(imperialism)」という言葉は、イギリスの保守党はディズレイリ内閣が大英国主義を唱え積極的に植民地獲得を目指した政策に対して、自由党グラッドストンが批判して用いたのが最初と言われています。 そのことから、18世紀末~第二次世界大戦後位までの時代を「帝国主義時代」などと言われたりします。 時代が後者の方が新しいこと、戦後に植民地政策が誤りだったとされたこと、日本においては戦後「大日本帝国」の方向性が否定されたこと等から「悪者扱い」というイメージが持たれやすいんだとおもいます。 日本の天皇のは、英語では「Emperor」と訳されますが、けっこうこれを嫌う人も多いと聞きますが、それもこうした「イメージ」からなんでしょうね。 ではでは、参考になれば幸いです。

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