日本人はなぜあほとばかとが多いのか?

このQ&Aのポイント
  • 日本人のあほとばかな特徴をまとめてみました
  • 日本人の社会や人間関係でのあほとばかな行動について考察しています
  • 日本の社会制度があほとばかな行動を生み出している可能性について説明しています
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日本人はなぜあほとばかとが多いのか?

 ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。  昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:  1. きわめて話し下手である。  2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。  3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。  4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。  5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。  6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。  7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。  いまは  8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・  原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。  14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。  15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。  16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。  17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。  このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。  18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。  19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。  20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。  21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。  22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。  23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。  おまけ:  24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?  25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?  26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?  27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか?  とことん自由で建設的なご批判をどうぞお寄せください。

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noname#143207
noname#143207
回答No.15

 こんばんは、ヒドッチでございます。ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 > 安岡正篤は、第二次世界大戦終結後、GHQ が日本の占領政策を実行するにあたり、「3R」を実施した。  基本原則としての「3R」:Revenge―復讐、Reform―改組、Revive―復活  これらは、勝戦国としましては、当然実施されるべき政策かと考えられます。因に、最近にもおなじようなことがなされたかと推察しております。 参考:「殉教者にしないという強い意志を感じさせた」 http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011050402000012.html  > さらに、重点的施策としての「5D」:Disarmament―武装解除、Demilitalization―軍国主義排除、Disindustrialization―工業生産力破壊、Decentralization―中心勢力解体、Democratization―民主化
  Disarmament(GHQにより自衛隊の前身である警察予備隊が結成されたこと)、そしてまた、Disindustrialization(財閥解体により、企業の分割・縮小化が行われましたが、当時の花形産業であった”造船業”は、ほぼ従来通り維持されたこと)の2つには、幾分、疑問が残りますが、何かしらの、弱体化政策が施されたかと推察しております。 > 最後に、補助政策としての「3S」Screen(スクリーン)、Sport(スポーツ)、Sex(セックス)  SportとSex(公娼廃止指令を出したのは、GHQの意向によるものだったかと記憶しているのですが)は幾分異なるように察せられます。  ですが、愚民化政策なるものが実施されたことは、ある程度は事実かと思っております。 > ☆ どうも現実の多くはこのようです。  ご賛同いただきまして、どうもありがとうございました。 > 今回この質問を〔ふたたび〕挙げましたのは ひとつには 次の情況がひどくなっていると感じたためです。  ☆ これは 大きく広くその勢力を捉えようとするのではなく、あたかも「個人」としてそのような勢力と同じことをおこなっているのではないかと思う文体が現われたと考えたからです。  憂鬱な気分にさせられますが、かような一面はあろうかと考えております。 > 決して哲学の主題や社会の問題にはならない内容のことを さも議論が賛否両論に分かれて考えるに値するという方向へ持って行くそのような《技術》の持ち主が現われたからです。これは 議論をさも中身の充実があるかのように紛糾させてまで人びとが取り組む主題であると思わせる手練手管に長けている。こう見えます。  つまりは 極端に言うのですが《愚痴しか言わない》人にも そのような議論には吸い込まれるといった状態が無きにしも非ずと見ました。言いかえると エンタテインメントとしての質疑応答です。  ご質問者様と愚生との一致が見られるかどうかは分かりかねるのですが、上述のような”質問”がなされていることは事実かと思われます。彼らには、どうしても自分が主役であり続けたい(相当のステータスを保っていたい、誇示したい)という願望があるのかもしれません。 > ちなみに いま幕引きがおこなわれようとしていると見るその場合の質疑応答というのは 学問の権威をけっきょくは ちらつかせることに拠ってやり取りにおける主導権を握ろうとするやり方です。その方式が基軸になっていました。言いかえると 定説を疑わないという方針に立つ方式のことです。  了解致しました。確かに愚生も、snobbish極まりない文言を読まされるはめになりましたので、ご心中お察し致します。日本人は権威主義が時として陥る陥穽につきましては、学ぼうとしないのでしょうか(以下の”参考”をご参照くださいませ)。それとも、「簡単なことを故意に難しく説明した方がかっこいい」と思っているのでしょうか。最近では、ペンネームを変えた方もその一人かもしれません。 参考:「--- そもそも権威主義的スタイルは思想上の大胆さと何の関係もない。」 http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html > ☆ これは 学問の権威(定説やらその名が通っているということ)を笠に着て自分の議論を優位に運ぼうとするふるい方式のことをおっしゃっていましょうか? いまひとつ解釈に確信がありません。  本当は、以下の説を訴えたいがために主張したのがきっかけでございました。 http://okwave.jp/qa/q6531809.html Ano.9 「“論理的・評論的解釈による美の認識方法”が、あまりにも横行してしまった。そこで、論理では説明しがたい、“一目ぼれ”してしまったかのような美しい作品に出会ったときの“感動”・“感性”を大切にしたい。そして、もう一度かような感動に触れてみようではないか?」  ですが、そもそも「新しい理論、 新たな理論!」と言われましても、創作者・表現者(画家、作曲家、演奏家)がその理論に共鳴しなければ、始まらないと思うのです。彼らを無視した理論の追求は「絵に描いた餅」に過ぎないものとしか愚生には写らなかった訳でございます。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。今回は これまでのいとなみについての確認を行ない得たという感じでしょうか。  ★ ですが、〔* アメリカ政府による日本に対する〕愚民化政策なるものが実施されたことは、ある程度は事実かと思っております。  ☆ これについてこれからも具体的に取り上げ示して行ければよいと ひとまづ確認するかたちになりましょうし。  あるいは この一件としてなら もし《愚民化政策》がじっさいにあったなら 日本人であれば そのことをただちに指摘して みんなでどう考えどう対処していくか 話し合ってもよいのにと思われます。単純なことではないかと思われるのですが どうなのでしょう?  アメリカと言えば こんな記事も目に止まりました。  ▲ アメリカは異常? 5歳の幼稚園児が逮捕される衝撃映像  http://news.biglobe.ne.jp/international/0517/jbp_110517_9720372650.html  ☆ 《ニュース映像》は ニページ目でクリックして見ることができますが いくつかの事例が報告されていて いやはやどう捉えたものかという事態であるように思いました。  ▲ ~~~~~~~~  §1 学校内で逮捕される子供たちが増えている  今年の3月、カリフォルニア州に住む11歳の少年が逮捕された。  ブレントン・ペライタ君は、事件が起こるまでの数カ月間、いじめに遭っていた。クラスメートにひどい言葉でののしられたり、暴力を受けたりしていた。  そこでブレントン君は、これ以上やられっぱなしではいけないと、ある日言い返すことにした。「お前たちを撃ち殺してやる」。  生徒たちからこの話を聞いた先生は校長に連絡し、校長は警察に連絡し、間もなくブレントン君は「恐喝罪」で逮捕される。・・・  §2 机に落書きをしたら手錠をかけられる  ニューヨークシティーの高校に通う15歳の少年は、科学の授業中につまらなくて机に黒い油性のペンで落書きした。○と×を交互に書き、その後それぞれを四角で囲んだ。  彼は問題児ではなかった。ごく普通の高校生で、それまで学校で問題を起こしたことはなかったという。  しかし学校は警察に連絡し、彼は「公共物破損」の罪で逮捕された。校内で手錠をかけられた。・・・  §3 ニューヨーク州に住む12歳の少女も、机に「アビーとフェイスは私の大好きな親友です。レックス」と書いたために、校内で、友人たちの目の前で手錠をかけられ逮捕された。  ・・・  ~~~~~~~~~~  ☆ ビン・ラ―ディン殺害によろこぶアメリカ国民の感覚とかかわらせて報道しているようです。

その他の回答 (26)

回答No.27

#24への判事の欄の記述が気になりましたので、申し上げます。 そもそも、【無手勝流】の剣豪達は、相手への批判を『全く』致せません。 寧ろ、【無手勝流】では、 褒め殺しに近い程に相手達の行為を助長させるのですよ。 どうして、全ての解説が必要になる程に、理解が杜撰なのですか? 私自身の知識の纏めにも役立っておりますので、 有り難いものですから、申し上げ難いのですが、 自説の主張は此処のマナーに即しているのですか?

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 自説の主張は此処のマナーに即しているのですか?  ☆ これは ただの誤解です。  一方的な決めつけで話しをすすめようとしても 始まりません。  また仮りに自説の主張が 情報交換の中に入ったとしても 何の問題もありません。つねに回答者との交換という行為です。  無手勝流の理解が行き届いていなかったとしたら そういう曲解において 説明をしたということです。印象においてその用語を使ったという意味です。  機先を制するといった小手先の動きはいっさいしない。そういう意味を――曲解において――持たせたものです。ただそれだけのことです。おあいにくさま。

noname#143207
noname#143207
回答No.26

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ヒドッチでございます。 > ★ 2. 極度な政治不信 ☆ にかかわる問題をひとつ あらたな質問に挙げました。その場所でもそしてこちらでもよいと思いますから どうぞお考えになるところを開陳ください。こちらで まとめておきたいという意味合いがつよいようでしたら どうぞこちらで。  どうもお疲れ様でございます。上記の件、了解致しました。もしかしますと、アラシ等が入るかもしれませんが、責任を持って、愚見を述べていきたいと思っております。 > ★ 残念ながら、特効薬はないものと考えてございます。
 ☆ その特効薬にあるいはつながるかに思われる綱渡りのウルトラ C を ひょっとして菅政権は打ち出している。・・・かも分かりません。という内容です。どうぞ忌憚のないご見解を。
  少し調べて見たのですが、最低の総理+首相の名前、で検索致しますと、例えば、首相の名前としまして、小泉、阿部、福田等を入れて検索しますと、必ずヒットしてきます。  時の政権は極めて不利になる傾向が(おおよそ)見て取れました。 一例としまして 麻生総理ですと以下となりました。 http://news.livedoor.com/article/detail/4025237/   一方、こうした風潮に辟易している人達もおられました。「後講釈ばかり!」とい卯風にでございます。  ただ、愚生は、最低内閣を作った責任は国民にもある(もちろん、全てではございませんが)、と思ってございます。 ソース:http://beniha.blog.so-net.ne.jp/2011-04-12  日本の政治史を踏まえながら、駄文ご一読賜れば、とそう思っております。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうごぁいました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  まぁ わたくしは世間の流れに逆らって 菅政権について見ているところがあります。  最低の首相問題をめぐって麻生内閣やら安倍内閣やらの自民党政権については おそらく官僚主導かもしくは政治と官僚との一体となった経営主体だったでしょうから あまり関心が向きません。  ▲ 最近、永田町関係者から「鳩山由紀夫氏は(憲政史上)最低の首相だが、菅氏は最悪の首相だ」という評価を耳にする。  ☆ というとき その流れの中にありつつも とにかく非自民党政権が出来たからには 何か意味がある・あるいはあたらしい意味のあることをやるはずだという見方をしたいと思った。それだけのことなのですが。      ▼ (菅首相がとうとう口にした「タブー」) ~~~~  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110507/plc11050718010015-n2.htm  〔菅首相は・・・〕「すべてが初めてのことなので完全とは言わないが、全力を挙げて対応してきた」と答弁した。・・・  そもそも「政治主導」を掲げて政権交代を果たした菅氏が、「前例がないから」できないと言うのでは、自己否定以外の何ものでもない。  最近、永田町関係者から「鳩山由紀夫氏は(憲政史上)最低の首相だが、菅氏は最悪の首相だ」という評価を耳にする。  「鳩山氏は資質が最低だが、政治主導をやろうというマインド(意図)はあった。菅氏は資質では鳩山氏に次いで下から2番目だが、鳩山氏のようなマインドは持ち合わせていない」と解釈するのが自然だろう。  不眠不休で「最悪」と言われる菅氏には気の毒だが、言動や結果責任を職責に照らし合わせてみる限り、そう言われても仕方がない。(2011.5.7 森山昌秀)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ ~~~~~~~~~~~~~  一方、こうした風潮に辟易している人達もおられました。「後講釈ばかり!」という風にでございます。  ただ、愚生は、最低内閣を作った責任は国民にもある(もちろん、全てではございませんが)、と思ってございます。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ▲ (「最低の総理」と「最悪の総理」・・・マスコミの後講釈にはうんざりです) ~~~~~~  http://beniha.blog.so-net.ne.jp/2011-04-12  ・・・  誰がいいとか悪いとかと言うことよりも、  (1) 「政治家」のレベルの低さそのもの  (2) 人材はいない  (3) ガラガラポン(政党再編)  をもう少し論じてほしい気がします。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ こういったふうに概観しました。

noname#143207
noname#143207
回答No.25

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっちでございます。 > 地上伊田とか 情が大事だとか 集団主義のよさだとか そのような広い意味での精神論が持ち出されると 現実の問題を直視することは放っておいてもよいのだという雰囲気になるのでしょうか?  おそらく、現実問題が大き過ぎる場合、もしくは厄介と思った場合、現実問題から目をそらすべく、そのような傾向に陥るケースが多いように見受けられます。 参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1220957502  > 英独仏あるいは北欧などは あらためて考えてみて 日本と友だちに成れるように思われますが。  はい。愚生もそのように思っております。 > 2. 極度な政治不信  ☆ これについてはもはや市民一人ひとりが たのしんで社会をつくりなおして行こうと思うまでにならないと 不信をどうするかを考えてもだめなような気がします。  残念ながら、特効薬はないものと考えてございます。 以下補足でございます。 > 4. 精神論に傾くがため、“行動の罠”に陥りやすい。 http://okwave.jp/qa/q6713802.html  のANo3に愚見を述べさせてもらっております。  まじめに働く人ほど陥りやすいと一般的に言われております。 > 5. (過去の)成功の復讐。    典型的な例を申しますと、先の大戦のミッドウェー作戦になろうかと考えられます。 日露戦争においてバルチック艦隊に完全勝利を遂げましたが、成功体験が強烈だった故に、それを基に戦略原型を固定化してしまい、外部環境が大きく変わった時には適応できなくなってしまうという現象でございます。端的に申しますと、過去の成功体験におぼれ、同じ手法をとり続けますと、いつかはしっぺ返しを食らうものでございます。 参考:http://www.globis.jp/mw400  > マスコミについてというのは ひどっちさんのテーマであり持論のひとつなのでしょうが さらにこの際ほかにも ご持論などありましたらみなさんにもご披露していただくとよいかと思いますが どうでしょう。  はい。愚見に対しての反論でも結構ですので、何かご意見を頂戴いただければと思っております。  別件ではございますが、 本日はどうもありがとうございました。愚生としましても励みとなりました。ゆさんにつきましては、明日にでもご回答したいと思っております。  末尾ながら、最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは ひどっちさん。ご回答をありがとうございます。  立ち直りの早いぶらじゅろんぬです。  ▲ (日本人はなんで精神論、根性論が好きなのですか?) ~~~   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1220957502  今の時代については、上に立つものの能力不足の隠れ蓑、責任逃れでしょう。  営業で、成績の上がらない部下に対して、「そもそもやる気がないからこんなことになるんだ。死ぬ気でがんばれ!」とやれば、一見指導をしたように見えるものです。  それに対して、部下も「ハイッ!ガンバリます」と答えれば、営業ミーティングは終わり。  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 一つの場面での事情であるかも知れませんが 案外簡潔に捉えたものであるかも分かりません。  あとは確かに 上司としてだけではなく 一人ひとりがどう考え対処するかになるように思われます。  そこで  ★ > 4. 精神論に傾くがため、“行動の罠”に陥りやすい。  ☆ これは 案外簡単なことを言っているのですね。目的と手段を混同するなかれ。目的とそれを目指す過程での行動とをきちんとわきまえよ。達成目標と行動目標とを考え違いしないように。といったことなんでしょうか。  ただし 現場では・あるいは実際には  ★ まじめに働く人ほど陥りやすいと一般的に言われております。  ☆ になるのですね。    ▼ (成功の復讐) ~~~~    http://www.globis.jp/mw400  企業の優れた成功体験が、結果として次の成功を阻むこと。  成功の復讐とは、経営のパラドックスである。過去の否定、不連続な改革はきわめて難しい。優秀な経営者が長く経営を続け、その路線に乗った経営者しか出なくなると、過去を否定した方針転換ができなくなる。  戦略に寿命があるのと同様に、成功パターンにも寿命がある。踏襲すべきものと捨て去るものを峻別し、社内に徹底することが必要である。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そう言えば ソニーが 出井社長のあとでしたか その体制の途中でしたかに 言われましたね。過去の成功に酔っていると。成功体験は その中身が精神論や根性論に組み入れられて行くのでしょうか。そういう要因もありやなしやですね。  ★  2. 極度な政治不信  ☆ にかかわる問題をひとつ あらたな質問に挙げました。その場所でもそしてこちらでもよいと思いますから どうぞお考えになるところを開陳ください。こちらで まとめておきたいという意味合いがつよいようでしたら どうぞこちらで。  ★ 残念ながら、特効薬はないものと考えてございます。  ☆ その特効薬にあるいはつながるかに思われる綱渡りのウルトラ C を ひょっとして菅政権は打ち出している。・・・かも分かりません。という内容です。どうぞ忌憚のないご見解を。  マスコミについては ぼちぼちですね。(あまり切り口が見つかりません。どうもわたくしはこれまでの見方が甘かったかも です)。

回答No.24

有効な主張の為には、相手を誘い込む遣り方の採用が有効に機能する、 という事情を「活人剣」は教えてくれているだけで、 自分の刀剣は相手に当たらなくとも宜しいのですよ。 つまり、相手の刀剣を制せば済むのです。 何故なのか、勉強不足の分野が多過ぎますね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  そう言えば りとるきっづさんも その《相手の機先を制する》という回答を別の質問に寄せておられました。同じ内容です。(【Q:《信じる》とは 人間にとって どういう行為か?】の回答29)。  まぁ もっともわたくしの場合は 互いに自由に批判をし合うこと この方法しかありません。  共同主観の確立をめざします。あいにくでした。  無手勝流です。

回答No.23

腕に覚えが有る剣豪達は刀剣を抜く前兆を敵達に見せないものです。 つまり、鞘から抜いた瞬間には敵達が斬れている様でなければ、 反撃を貰ったり逃げられたりする恐れもが増えますので、 そういう展開を回避する為に、居合いでは抜かない技術が磨かれたのです。 そして、たとえ御互いに抜き合ったとしましても、 自分から先手を打たず(主張をせず)、相手の技を誘い込んでいましたね。 こういう態度を柳生新陰流では「活人剣」と呼んでいた訳です。 だから、現代社会でも、積極的に打って出るのは無謀なのかも知れませんが、 呼び込むのは大事なのでしょう。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ですが  ★ 「活人剣」  ☆ も相手を倒すのでしょう?   けっきょくは殺し合うのでしょう?  それはごめんという思想(生活態度)の人間は どうすればよいでしょう?

noname#143207
noname#143207
回答No.22

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ヒドッチでございます。 > ☆☆(趣旨説明) ~~~  9から12  ~~~~~~~~~  ☆ 方向性は間違っていなかったようですが どうも現実は――もうしわけないながらその言葉を使いますが わたしにとっては――想定外の様相を呈しています。  ▲ 大枠で捉えれば「生きていくため」である。言い換えれば「自己の幻想を維持するため」である。  ☆ と言っていますね。《幻想》なら バブルのごとくはじけるとも考えられるのですが。  仰られますように、“幻想”である以上は、いつかバブルがはじける(虚しさに目が覚める)可能性がございます。ただ、一生わからないまま(はじけないまま)、人生を終えていく人もいれば、途中で目が覚める人もいるかと考えております。 > でも考えてみれば 日本に追って来られ追いつかれた経験をアメリカは持っていますが そしていまはかろうじて持ちこたえているだけなのかも知れませんが たとえば賃金格差の情況下においても 産業の空洞化をこうむりながらも やって来れたという側面もあるかとも見られます。  それとも 金融バブルにしか過ぎず 再発・再再発となる爆発の臨界を待つだけなのでしょうか?  おそらく、アメリカはかろうじて、持ちこたえると考えております。理由と致しましては、人口増加社会であること(参考1)、またバブルがはじけた不動産の価格自体もケース・シラー住宅価格指数を見る限り底打ちしております(データは割愛させてもらっております。ただ、日本は未だでございます)。またそもそも、もしアメリカが危機に瀕した場合、債権国である日本にも多大な被害を被ってしまいます(参考2;ジェノバが日本に、スペインがアメリカに相当するかと推察できます)。 参考1 「主要国の人口増加率」 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1172.html  「主要国の人口と人口構成の推移(推測値む含みます)」 http://www.nsspirit-cashf.com/jinkou_kousei.html  参考2「日本の10年国債利回りは400年ぶりにジェノバの記録を更新し、人類史上前人未到の領域に入っている」 http://book.asahi.com/reading/TKY201010050261.html  > EU は早晩 北と南に分裂するということだそうですが でもフランスなどは 年に必ず一カ月もの休暇を取らなければならない制度のもとで 一人当たり GDP は決して日本に引けを取らない。  「一人当たり GDP は決して日本に引けを取らない」というのは、ほぼ事実でございます。農業大国であるフランスとは、産業構造が異なるため一概には申し上げにくいのですが、比較的産業構造が似ており、同じ敗戦国のドイツと比べても同様な傾向(休暇が多いにも関わらず、 一人当たり GDPはさほどは変わらない)が見られます。(参考3)。  経済指標の1つである平均株価指数も、フランス(CAC 40)、ドイツはアメリカダウとほとんど同じ値動きをしています(参考4;なおドイツの上昇率はダウよりも高くなっております。Data not shown)。 たかだか株価と思われるかもしれません。ですが、我々の年金は、GPIFにより株式運用されています。そう考えますと、富裕層は別としまして、一般庶民には決して楽観視できるものではないと考えております。 参考3 「世界の一人当たりの名目GDPランキング($ベース)」 http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html  参考4「フランスCAC 40, NY DOWおよび日経平均の過去の推移比較」 アドレスが長くございますので、最後までコピーしていただきまして、ブラウザにペーストしていただければ、表示されるはずでございます。 http://jp.moneycentral.msn.com/investor/charts/chartdl.aspx?PT=10&showchartbt=チャートの更新&compsyms=&P0=1&CA=1&D4=1&D5=0&DCS=0&MA0=0&MA1=0&CP=1&C6=1988&C5=1&C5D=1&C8=2011&C7=1&C7D=1&C9=-1&D7=9500&D6=7500&symbol=%24FR%3APX1&nocookie=1&SZ=0 (なお、ここでは、フランスのCAC 40指数が作られた1987年以降のデータを取り上げています。蛇足ながら、日本のバブル崩壊は1990年でございます) [他の欧米諸国と異なる原因・病巣] 1.ジャーナリズム、マスコミは日本の世論形成に大きな影響力を保っている(参考5)。しかし、日本のジャーナリズムの質が他国に比し高いという根拠はどこにもござません。また情報をマスコミに頼るのならば、必然的にメディアリテラシーを身に着けなくてはいけないと思うのですが、愚生の知る限り、そのような傾向は見られないと思われます。 2. 極度な政治不信:日本では、選挙も途上国などに比べ公正に実施されているにもかかわらず、国民からの信頼度という点では、世界でも最低の部類に属している(参考5)。 昭和5,6年頃、日本国民は政治家よりも軍部を支持するようになってしまったことを思い出してしまいました。 3. 現実を直視するよりも「臭いものには蓋をする」傾向があり、精神論へと傾く。 4. 精神論に傾くがため、“行動の罠”に陥りやすい。 5. (過去の)成功の復讐。 参考5 「世界各国における組織・精度への信頼度」 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5215.html  [処方箋]  愚生には、かなり荷が重いのですが、愚見を述べさせていただきます。 1.メディアリテラシーを身に着ける。マスコミの“報道しない自由”にも注意を払うようにする。 2. その他  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは ひどっちさん。ご回答をありがとうございます。  ★ 仰られますように、“幻想”である以上は、いつかバブルがはじける(虚しさに目が覚める)可能性がございます。ただ、一生わからないまま(はじけないまま)、人生を終えていく人もいれば、途中で目が覚める人もいるかと考えております。  ☆ こうでしたら     [処方箋]  3. 他罰論は 幻想であり 分かってみれば 虚しさが残るだけである。と このことを人びとに伝えること。また その個別の実情や社会の情況について観察し分析して行くこと。  ☆ が挙げられましょうか? 多少ともひとつの方策として。  そうですか そして    ★ [処方箋]  1.メディアリテラシーを身に着ける。マスコミの“報道しない自由”にも注意を払うようにする。  ☆ つまりマスコミという問題が 特に日本では大きいのですね。(韓国もですか)。  あるいは  ★ [他の欧米諸国と異なる原因・病巣]  3. 現実を直視するよりも「臭いものには蓋をする」傾向があり、精神論へと傾く。  ☆ これは わたしの感覚においても 実際問題となっていると思います。たとえば《無私の精神》ですとか 《無心の境地》といった方向へ行きがちであるというのは いったい何なんだと思いますね。  昔 体育会系の練習では 途中で決して水を飲んではいけないということを守っていたんだよと今では笑い話としてふり返っていますが この哲学系においては いまだにその種の精神論が散見されます。  知情意だとか 情が大事だとか 集団主義のよさだとか そのような広い意味での精神論が持ち出されると 現実の問題を直視することは放っておいてもよいのだという雰囲気になるのでしょうか?  ★ おそらく、アメリカはかろうじて、持ちこたえると考えております。理由と致しましては、人口増加社会であること(参考1)、またバブルがはじけた不動産の価格自体もケース・シラー住宅価格指数を見る限り底打ちしております。  ☆ とうぶんは安心でしょうか。言ってみれば中国だって 米国債を大量に保有して 言わば運命共同体に成っていましょうか。   安心のうちに日本はみづからを建てなおさなくては・・・。  英独仏あるいは北欧などは あらためて考えてみて 日本と友だちに成れるように思われますが。  ★ [他の欧米諸国と異なる原因・病巣]  2. 極度な政治不信  ☆ これについてはもはや市民一人ひとりが たのしんで社会をつくりなおして行こうと思うまでにならないと 不信をどうするかを考えてもだめなような気がします。  ★ ~~~  4. 精神論に傾くがため、“行動の罠”に陥りやすい。  5. (過去の)成功の復讐。  ~~~~~  ☆ これらについて具体的に受けとめて展開し得ずじまいになりそうなのですが いろんな角度から説明をいただきまことに頼りにさせてもらっております。  マスコミについてというのは ひどっちさんのテーマであり持論のひとつなのでしょうが さらにこの際ほかにも ご持論などありましたらみなさんにもご披露していただくとよいかと思いますが どうでしょう。

回答No.21

若しかしますと、統合の象徴から神格性が剥奪された途端に、 3人称命令形への抑制が失われまして、 不毛な主張もが乱立し始めたのではないでしょうか?

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  それは 起こるべくして起こったのでしょうね。  神格性を初めに人間が付与したのだから いづれ剥奪される。それだけのことと見ます。  そのあとの言葉の用法にかんする現象は この場合 おまけだと見るという意味です。一時的な現象ではないかと。  

noname#143207
noname#143207
回答No.20

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ヒドッチでございます。 > そうしてこのようなペアレントからの攻勢を止めるために・あるいは予防するために アメリカでは生徒をすでに逮捕するまでに到ったということでしょうか?   その可能性は高いと考えております。元来訴訟社会ということもあるのかもしれませんが、度重なる父兄からの要求に予め釘を刺しておいた、と推察しております。   > 日本では どうなんでしょう? 教師が或る程度の何らかの犠牲になることもあるのでしょうか。  以下に事例を列記してございます。 事例1:2006年には西東京市の市立小学校に着任した女性教員が、一部の保護者から深夜に携帯電話に苦情電話をかけられる、連絡帳で人格攻撃されるなどした結果、自殺している。 事例2:また、2008年1月にうつ病として労災が認定された例として、子供同士のケンカで軽いけがをした子供の両親が、当時子供を預けていた埼玉県狭山市立保育所の女性所長に対して4カ月に渡り苦情を言い続け、最終的に保育所の対応を批判する内容証明郵便を送りつけ、女性所長がこれらを苦に焼身自殺したというものがある。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88#cite_note-12  からでございます。) > そしてこれらは  ★ 衆愚化  ☆ の津波となって押し寄せていましょうか?  今日見られます他罰的、他責的傾向を鑑みますと、“押し寄せてきている”と申しましても、言い過ぎではないと考えております。 参考:http://blog.goo.ne.jp/sorakan/e/0b23109bfdb1bab5b751a1fc6f1997fa  > ☆☆ もし《愚民化政策》がじっさいにあったなら 日本人であれば そのことをただちに指摘して みんなでどう考えどう対処していくか 話し合ってもよいのにと思われます。単純なことではないかと思われるのですが どうなのでしょう?  実際、《愚民化政策》が、公文書等に記載が見られる等、何らかの証拠があれば、対処しあえるかもしれません。 > ・おそらく非常に困難かと考えております。まず、自分たちが愚民化の真っ只中にいることを認めなくてはいかないからでございます。これを認めるにはかなりの勇気がいるものと思われます。・・・  ~~~~~~  ☆ 勇気くらい出せばよいと思うのですが だめでしょうか? 炉心溶融なのでしょうか?  上述いたしましたが、自分の非を認めるぐらいならば、他人(教育機関、社会等を含みます)を責めるという傾向がございます故、見通しは決して明るくはないものと考えております。 > 一たん日本あほばか平均株価は 底を打たなければ望み薄でしょうか。  底を打たせたほうがよいのでしょうか 人為的にさえ?  ゴーマンショック(傲慢危機)等により、いったん“あほばか平均株価”が底打ちし、そこから、反省しなおすしか他に方法はみつからないかもしれません。  おそらく、この震災の復興・再生の成功の可否により、ほぼこの国の未来は決まるものと推察しております。  憂鬱極まりない内容となってしまい、誠に申し訳ございませんでした。残念ながら、愚生にはこれ以上のことは思いつかない、というのが実情でございます。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ~~~~~  ゴーマンショック(傲慢危機)等により、いったん“あほばか平均株価”が底打ちし、そこから、反省しなおすしか他に方法はみつからないかもしれません。  おそらく、この震災の復興・再生の成功の可否により、ほぼこの国の未来は決まるものと推察しております。  ~~~~~~~  ☆ ひどっち診断ということですね。  ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  しかも 自民・公明など野党の振る舞いを見ていますと ニッポンあほばかダウは 期待もむなしく神経質な動きを重ねているようです。  コツンとどこか底に当たって跳ね返ってくれればよいのですが。ああーぁと一度溜息をついてみておきます。  ☆☆ 日本では どうなんでしょう? 教師が或る程度の何らかの犠牲になることもあるのでしょうか。  ☆ 案の定と言いますか そのような事例を挙げてくださいましたね。生徒を手錠をはめて逮捕するというアメリカの事例にくらべたら まだまだおんの字がつきましょうか。犠牲に接して のぞみを持つというのもおかしい。  ▲ (他罰的な人たち) ~~~~   http://blog.goo.ne.jp/sorakan/e/0b23109bfdb1bab5b751a1fc6f1997fa  かつて日本には「私が悪かった」と言う人が多かった。ところが今は「悪いのは私じゃない」という人が多い。  「私が悪かった」と思っていた人が「悪いのは私じゃない」と思うように「変わった」のである。  人が変わる理由については細かいことを言えば人の数ほど出てくるが、大枠で捉えれば「生きていくため」である。言い換えれば「自己の幻想を維持するため」である。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆☆(趣旨説明) ~~~  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  ~~~~~~~~~  ☆ 方向性は間違っていなかったようですが どうも現実は――もうしわけないながらその言葉を使いますが わたしにとっては――想定外の様相を呈しています。  ▲ 大枠で捉えれば「生きていくため」である。言い換えれば「自己の幻想を維持するため」である。  ☆ と言っていますね。《幻想》なら バブルのごとくはじけるとも考えられるのですが。  経済力や経済的な側面もありましょうか?   でも考えてみれば 日本に追って来られ追いつかれた経験をアメリカは持っていますが そしていまはかろうじて持ちこたえているだけなのかも知れませんが たとえば賃金格差の情況下においても 産業の空洞化をこうむりながらも やって来れたという側面もあるかとも見られます。  それとも 金融バブルにしか過ぎず 再発・再再発となる爆発の臨界を待つだけなのでしょうか?  EU は早晩 北と南に分裂するということだそうですが でもフランスなどは 年に必ず一カ月もの休暇を取らなければならない制度のもとで 一人当たり GDP は決して日本に引けを取らない。  いえ 思いつきではいけません。ドクターひどっちから診断のあと 処方箋が出されましょうか どうでしょうか?

noname#143207
noname#143207
回答No.19

 こんばんは、ヒドッチでございます。ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 > あるいは この一件としてなら もし《愚民化政策》がじっさいにあったなら 日本人であれば そのことをただちに指摘して みんなでどう考えどう対処していくか 話し合ってもよいのにと思われます。単純なことではないかと思われるのですが どうなのでしょう?  おそらく非常に困難かと考えております。まず、自分たちが愚民化の真っ只中にいることを認めなくてはいかないからでございます。これを認めるにはかなりの勇気がいるものと思われます。因みに、ひどっち君は既に開き直っておりますので、衆愚化の中に、片足とさらにもう一方の片足の半分くらいは突っ込んでいると思ってはおりますが。 > ☆ 《ニュース映像》は ニページ目でクリックして見ることができますが いくつかの事例が報告されていて いやはやどう捉えたものかという事態であるように思いました。  ▲ ~~~~~~~~  §1 学校内で逮捕される子供たちが増えている  おそらくこれは、以下に示しておりますように、「親 vs学校」という図式が出来上がっているのかもしれません。 参考1:「モンスターペアレントは海外にも」 http://www.hiroburo.com/archives/51338783.html  参考2:「ヘリコプターペアレント(米国版)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88   以下に、その原因を列記してみました。  ただ、愚生のときもこれに近い存在はいたかと思っております。「内の子に限って・・・」といった具合にでございます。ですが、以下のような英タイムズ紙に紹介されたような例は見られなかったかと記憶してございます。 「白雪姫が25人」日本のモンスターペアレントを英タイムズ紙が紹介 http://news.livedoor.com/article/detail/3686952/  原因1:教師に対する信頼の欠如  教師一般に対する信頼度はやはり高くないようです。ただ、以外かもしれませんが、 「高学歴な親ほど、先生を信頼している」のだそうです。 ソース:http://homepage3.nifty.com/kataoka-emi/data/6kyousi.pdf 原因2:消費者としてのペアレント(親が客で、教師は商売人)  特に、学生の時にバブル期を経験した親御さんに多いとのことですから、一理あろうかと考えております。  最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ううーん。  ★ 「ヘリコプターペアレント(米国版)」  ☆ これは 大学を卒業して就職してからも 親が子に何かと気づかいをしているとか。これはおもには いわゆる過保護の問題でしょうか。  それにくらべ  ★ モンスターペアレント  ☆ は   ★ 「親 vs学校」という図式が出来上がっているのかもしれません。  ☆ というように 親は子への気づかいからその矛先を教師や学校に向けるということと理解しました。  ★ 原因2:消費者としてのペアレント(親が客で、教師は商売人)  ☆ というのも たしかにおかしく重大であるようです。  そうしてこのようなペアレントからの攻勢を止めるために・あるいは予防するために アメリカでは生徒をすでに逮捕するまでに到ったということでしょうか? 日本では どうなんでしょう? 教師が或る程度の何らかの犠牲になることもあるのでしょうか。  ★ 「白雪姫が25人」日本のモンスターペアレントを英タイムズ紙が紹介  ☆ というように 親からのクレームや要求を教師側が呑むと言うのであれば。  そしてこれらは  ★ 衆愚化  ☆ の津波となって押し寄せていましょうか?  ★ ~~~~   ☆☆ もし《愚民化政策》がじっさいにあったなら 日本人であれば そのことをただちに指摘して みんなでどう考えどう対処していくか 話し合ってもよいのにと思われます。単純なことではないかと思われるのですが どうなのでしょう?  ・おそらく非常に困難かと考えております。まず、自分たちが愚民化の真っ只中にいることを認めなくてはいかないからでございます。これを認めるにはかなりの勇気がいるものと思われます。・・・  ~~~~~~  ☆ 勇気くらい出せばよいと思うのですが だめでしょうか? 炉心溶融なのでしょうか?  いやあ たいへん言いづらいですが・また恥かしながら この質問の表題は 想定外の現実にぶつかってしまったようです。  一たん日本あほばか平均株価は 底を打たなければ望み薄でしょうか。  底を打たせたほうがよいのでしょうか 人為的にさえ?

回答No.18

http://okwave.jp/qa/q6455654.html これに関係してませんか。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  【Q:出家 / 天皇の出家に違和感はありますか?】  ☆ という主題とですか?  と言っても じつは ちょうど直前(No.17)のやぐうぐるさんも 《象徴的他者》ということで《国民統合》のこと・そしてそのつてで天皇のことを取り上げておられます。    という意味では そこでのわたしのお応えをごらんになって欲しいのですが 初めの質問への回答の中でおもしろいものを見つけました。   天皇は 皇太子がその妻にどういう社会的な身分のひとをえらぶかということが 延命の手段であるのだというものです。  これは 控え目に言っていますが――それぢゃあ 神秘性も何もあったものではないですが―― 案外  ●(回答No.17) 統合の象徴に神格性が無い事情が分かり  ☆ といった事情とつながっているように思いました。つまり まだなおこの天皇という存在に国民統合のシルシを見たいという・積極的に見ようという動きではないかと感じられました。  つまり《仮りに天皇が出家したら 人心のおもむくところは どうなるであろうか?》といった模索であるようにも思いました。  つまり 一方で天皇という制度を温存したいということでしょうし もう一方でやはり何がどうあれこの天皇という存在によって人びとの《紐帯》が築かれると思っているということでしょうし。  つまり いまここで言う《あほばか状態》を憂えて何とかしようと考えていることだとは思われます。  どうでしょう? さらにみなさんの見解が互いにまじわり練られて行くことを願いたいと思うのですが。    * つまりもしことが《信じる》という主題にかかわるということでしたら こんどは やはりわたくしの質問【Q:《信じる》とは 人間にとって どういう行為か?】のほうで考えてまいりたい。こう思います。

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     (あ)  昔むかしの話から始めます。  感性と理性を交えた或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見ました。  イリ(世界への入りをおこなう)人は このマボロシをそのままナゾとして心にしまっておいた。  ヨセ(世界を束ね寄せる)人は マボロシに取り憑いた。その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。  やがて修行の甲斐あって いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このマボロシには誰も 関心がない。  ヨセ人は ここであきらめなかった。    このマボロシによって人びとを感化し     世の中を束ね寄せる。    そうしてみせる。    そうすれば 《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり    世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。  と踏んだ。  (い)  このヨセ人なるアマテラス種族が 社会のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき スサノヲらはとうとうその根競べに負けて  《くにゆづり》をした。  イリ知性なるスサノヲ市民の村々におこなわれる《まつり》は 第二階によって束ねられ おまけに税を取られ全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  かくて 《アマテラス公民 ‐ スサノヲ市民》なる連関制の完成である。  《くにのいへ》と言う。家というからには 二階建てである。  二階のアマテラスなるアタマで立つなら その連関制は 逆立ちしている。  (う)  《ひかり もしくは まぼろし》と現実の大地とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言(自己表現)にもつねに 本音と建前が出て来る。  あるいはさらに 二枚舌の問題が必然的に現われる。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  (え)  広くマ(間・間合い)が 人びとそれぞれにおけるそういった心的および社会的な齟齬を容れた《関係ないし連関》のあり方として成り立って来ている。  すなわち むろん この問題が問題なのだ。ここでは     《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》逆立連関制  としてのマである。  第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方でありそこに起こるマ‐チガヒとその正し方の問題です。  おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしているのではないか? そこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか? トヨス? モリトモ?  (お)  細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられます。  問題は そもそもは 《 S (主権)- A (従属)》の連関だったものが A 圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあると見ます。  つまりは ヨセ人なるすぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。イデアは 何ものかを指し示すための指=シルシである。  ヨセ人は 指を・指そのものを見ている。このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えます。テーゼは アンチテーゼに社会のイニシアティヴをゆづった。  つまりそれが アマテラス普遍語の恣意的な用法としてのアマテラス語お二階方言という言語類型でしょう。それは 普遍語として無謬性の神話に包まれているのですが その指先を見ようとしないとなれば 必然的にと言っていいと思われるごとく二枚舌現象が生じる。あやまつは 人のつねではあるのですが。・・・モリトモは どっちが方言なのか?  そう言いたいのですが これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は すでに有る或る反措定に対する反措定ですから 綜合であり 人間のふつうの存在の肯定であると考えてよいのではないでしょうか?   (か)  マチガヒからのマの回復。つまり 市民主権・住民自治の実現としての――二階から一階への――大政奉還。  これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。    時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また経 済的にも立ち行かない情況を背負っている状態となった。  アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。  マの問題。この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  じつは 広く大きく 国家のアウフヘーベンとして世界史的な課題であるのではないか? 国家ゆえに領土問題と戦争がある。ムスリムの中の一部に国家に対抗するような暴走が起きて来た。・・・うんぬん。うんぬん。  添削をどうぞ。

  • 国家のアウフヘーベンを!――いまでしょ。 

     1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人≫ この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよ その《いと高き者》に似て来たとき――きわめて人間的な人間になったとき――周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったときスサノヲらはとうとう根競べに負けて 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがムラムラでおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス公民‐スサノヲ市民》連関制の完成である。くにのいへと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前とがある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. さて 大政奉還――国家のアウフヘーベン――のもんだい。  6-1. 大政奉還の問題は    《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制  としてのマのあり方を問う。  6-2. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガヒをめぐるその正し方 こういった問題である。  6-3. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか?  6-4. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは    《 S (大政主権)- A (従属)》の連関  だったものが A圏主導の《 A主導 - S 従属》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-5. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろただ理念に合わせただけのものではないか?  6-6. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-7. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。お二階へのアマアガリをおこなった。  6-8. つまりそれが アマテラス普遍語(つまり科学語および人格語)であるが これは実際には アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。クウキである。つまりそのクウキとしての神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-9. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところのダブル・スタンダード現象である。  6-10. ゆえに普遍語をよそおうところのアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。アマテラス科学語は資料等において部分的にしか表に出さない。アマテラス人格語は ウラとオモテとを使い分ける。  6-11. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとするアマテラス神話なる反措定に対するための反措定であるから 肯定的な綜合であり 人間のふつうの存在(知性)の復権(ルネサンス)であると考えてよいのではないか?   6-12. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)主導‐ S (スサノヲ)従属》連関制としてのマチガヒからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。ウラで何をやっているか分からないばかりである。そして 経済・財政的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公民の無謬性なる神話がくづれた。D.トランプ現象?  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。――かな?

  •  《自然に帰れ》!?

     《自然に帰れ》!?  とルウソは言ったとか言わなかったとか。自然に帰るあるいは人間的自然を取り戻す これは 必要で大事なことでしょうか?  《人間》の社会におけるすがたを次のように捉えて その《自然》の問題を考えます。  1. われわれ人間は 社会を成して共生するらしいが そもそもどういう存在であって どういう存在の関係をむすび かつその関係の錯綜して過程する総合としてどのようなあり方になっているのか?   2. 社会人を スサノヲ市民およびアマテラス公民に分けます。しかも この市民( S )と公民( A )のそれぞれ要素は ひとりの人間に――当然でしょう―― そなわると捉えます。  3. このような概念装置を持って マルクスを読みます。  ▲ ( K.マルクス:ユダヤ人問題によせて) ~~~~~~~~~~   結局のところ   ( S ) 市民社会の成員としての人間(* つまり生活者市民スサノヲ)が 本来の人間とみなされ   ( A ) 公民 citoyen (* 人格の全体でもっぱら公共の仕事に就くアマテラス公民)    とは区別された  ( S ) 人間 homme とみなされる。  なぜなら   ( A ) 政治的人間(* アマテラスのそういう側面)がただ抽象された人為的につくられた人間にすぎず 比喩的な精神的人格としての人間であるのに対し   ( S ) 市民社会の成員としての人間(* スサノヲ)は 感性的な 個体的な もっとも身近なあり方における人間だからである。  【 S‐A 連関】 《現実の人間》は  ( S )  利己的な個人の姿(* もしくは 感性を自由気ままに発揮しあやまちうるスサノヲ人間語)においてはじめて認められ   【 A‐S 連関】 《真の人間》は  ( A )  抽象的な公民の姿(* もしくは アマテラス人格語ないし学術概念語)においてはじめて認められるのである。                   (城塚登訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここで S:スサノヲと A:アマテラスとの連関のあり方は 次のふたつの形態があり得ます。   《 S‐A 》連関のかたち=《現実の人間》:      あやまちうるスサノヲ人間語を基礎としてその土壌の中から――     あたかもその泥の中から―― アマテラス規範語を磨き上げ そこ     に花咲かせる人間のすがた。   《 A‐S 》連関のかたち=《真の人間》:      簡単に言えば 理性ないしコギトがすべての意志行為を引っ張る     かたちのアマテラス人格語かつアマテラス学問語にもとづく人間の     すがた。この人間は 《あやまたない》と言われるようになる。      つまり無謬性・不可侵の神話を帯びる。  ☆ たぶん《 〈 S‐A 〉連関のかたち》=《現実の人間》の描像のほうが のぞましいと思うのですが それには 《スサノヲ的自然》を取り戻す必要があると考えられます。どうすればよいでしょう? あるいはすでに回復していましょうか?

  • アマテラスお二階さんは 一階に大政奉還すべし。

     アマテラスお二階さんは 一階のスサノヲ市民社会に大政奉還すべし。  いわゆる地域主権について問うものです。  ムラ=市町村 の主体性を発揮する時代へと移行しましょうか?  なぜ大政(ムラムラのマツリをつうじての共同自治)をいまの二階にあるマツリゴトから元の一階スサノヲらのくにに奉還すべきか?  それは もともと平屋建ての市民社会が どうして二階建てになったか? を見てみると分かるはずだ。  すっ飛びの仮説によって考えてみます。       *  1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人 この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき――スサノヲらはとうとう根競べに負けて―― 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス‐スサノヲ》連関制の完成である。くにのいえと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前がある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. 大政奉還のもんだいは 《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制としてのマのあり方を問う。  6-1. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガイをめぐる正し方 こういった問題である。  6-2. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガイがつねに起こり得るのではないか?  6-3. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガイが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは 《 S (大政主権)- A (従属)》の連関だったものが A圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-4. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろ理念に合わせたものなのではないか?  6-5. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-6. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。  6-7. つまりそれが アマテラス科学語およびアマテラス人格語であるが これは アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。つまりその神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-8. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところの二枚舌現象である。  6-9. ゆえにアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。  6-10. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとする反措定に対する反措定であるから 綜合であり人間のふつうの存在(知性)の肯定であると考えてよいのではないか?   6-11. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマチガイからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また 経済的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。(かな?)

  • 天皇を哲学する

     1. 万世一系とは いま生まれて来ている人の誰についても例外なく言えることです。  1-1. 記録がないだけでしょう。    1-2. 男系は 家筋としては途絶えているかも知れないけれど 血筋は とうぜん辿れるわけです。  1-3. 一般の人びとの場合は 側室による男系一系が少ないだけでしょう。  2. 天皇家は 祖先を遡るとアマテラスオホミカミにたどり着くと言う。けれども アマテラスは アメノミナカヌシらの神々のあとに出て来た神である。  2-1. そして――出生の謂われは生殖のかたちが微妙だけれど――スサノヲのミコトの実の姉である。  2-2. つまり 一般の人びとは スサノヲの子孫となっているが 天皇家も スサノヲの子孫である。スサノヲも 天皇家の祖先である。  3. 象徴天皇という社会的役割りは 決してめづらしいことではない。  3-1. 《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏》なる連関制としての社会形態は 二階建て構造を成す国家という状態にかんして 世界において一般性を持つ。  3-2. アマテラス公民は 《公務員一般(狭義のアマテラス)とアマテラシテ》とに分かれるが この・象徴を意味するアマテラシテが やはり世界において一般的な元首のことである。  3-3. 具体的に 国王・象徴天皇・大統領などがある。  3-4. 一党独裁の党総書記は ふつうの国家におけるふつうのアマテラシテであると言えるかどうか。  ☆ 具体例を三件挙げました。――人びとはなぜ 天皇について哲学しないままでいるのか?

  • ことばで権力を倒せるか?

     (あ)  昔むかしの話から始めます。  感性と理性を交えた或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見ました。  イリ(世界への入りをおこなう)人は このマボロシをそのままなナゾとして心にしまっておいた。  ヨセ(世界を束ね寄せる)人は マボロシに取り憑いた。その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。  やがて修行の甲斐あって いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このマボロシには誰も 関心がない。  ヨセ人は ここであきらめなかった。    このマボロシによって人びとを感化し     世の中を束ね寄せる。    そうしてみせる。    そうすれば 《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり    世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。  と踏んだ。  (い)  このヨセ人なるアマテラス種族が 社会のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき――スサノヲらはとうとうその根競べに負けて―― 《くにゆづり》をした。  イリ知性なるスサノヲ市民の村々におこなわれる《まつり》は 第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  かくて 《アマテラス‐スサノヲ》連関制の完成である。《くにのいえ》と言う。家というからには 二階建てである。  二階のアマテラスなるアタマで立つなら その連関制は 逆立ちしている。  (う)  《ひかり もしくは まぼろし》と現実の大地とのあいだに隔たりがあるとすれば 人にはその発言(自己表現)にもつねに 本音と建前がある。  あるいはさらに 二枚舌の問題が必然的に現われる。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  (え)  広くマ(間・間合い)が 人びとそれぞれにおけるそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方として成り立って来ている。  すなわちむろんこの問題をあつかうのだ。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》逆立連関制としてのマである。  第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガイの正し方の問題です。  おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしているのではないか? そこから マチガイがつねに起こり得るのではないか?  (お)  細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガイが生じるでしょうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられます。  問題は そもそもは 《 S (主権)- A (従属)》の連関だったものが A 圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあると見ます。  つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。  ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えます。  つまりそれが アマテラス語方言という言語類型――無謬性の神話に包まれている――であり そこから必然的に現われると言っていいところの二枚舌現象だと言いたい。そう言いたいのですが これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は すでに或る反措定に対する反措定ですから 綜合であり人間のふつうの存在の肯定であると考えてよいのではないでしょうか?   (か)  マチガイからのマの回復。つまり 地域主権の実現としての――二階から一階への――大政奉還。  これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。    時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また 経済的にも立ち行かない情況を背負っている状態となった。  アマテラス公務員の無謬性なる神話がくずれた。  マの問題。この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか? 国家ゆえに領土問題と戦争がある。  添削をどうぞ。

  • あなたは 何語をしゃべっていますか?

     1. ひとがしゃべる言葉には ふつうに市民として社会の中に生活しているときの《人間語》があります。  2. そのひとつの特徴としては――互いに主観をぶつけ合うようにして 自由に交通するゆえ―― 《あやまちうる》という性格を持ちます。  3. この・スサノヲ市民のあやまちうる人間語のほかには そうだとすると あやまち得ない科学的な普遍語があり得ます。  4. つまり スサノヲ人間語としての主観をなるべく控えるかたちでアマテラス公民の用いる普遍科学語。  5. そして 科学語のように中立――価値自由-――ではなく そこに主観的な価値判断をまじえたときにも なお普遍性を問い求める倫理のことばがあります。  6. これは アマテラス公民の普遍人格語とよべます。  7. 整理すれば:   あやまちうるスサノヲ( S )人間語   あやまち得ないアマテラス( A )普遍語(科学語および人格語)  8. ところが ひとは誰も 公民としてのみ生活しているわけではなく 市民であっても 選挙をつうじてなりとも公民としても生きている。    9. したがって おそらくわれわれのふつうにしゃべる言葉の範囲は広く けっきょく S 語と A 語とのすべてだと言えます。  《 S 人間語 - A 普遍語(人格語&科学語)》の構造的な複合語  10. このようにひとがしゃべる言葉として捉えた内容は 人間観にもつうじており 哲学・思想の現実的なあり方にもかかわって行くものと思われます。  11. 端的に言って 西欧の人びとは・そしてその哲学は しばしば《 S - A 連関》の全体を必ずしも扱わないクセがある。  12. 普遍 A 語の世界のみを――倫理にしても自然や社会についてにしても――理論的に体系的に描こうとするクセ。    13. あるいは 《 S 人間語の世界――スサノヲ市民社会――》について探究するにしても すべからく《 A 普遍人格語かつ科学語》をそのドロドロとしてもいる生きた人間社会に あたかもメスを入れるかのごとく 当てはめてしまい ときにはそれだけに終わろうとするクセ。  14. ちなみに その思潮に対する反動が起きて 《あやまち》でもよい・または あやまち得る S 語のほうがよいという風が吹くときがあるようだ。スサノヲ市民の中の《その場主義》に片向いた一般ピープル主義とも言えるポピュリズムでしょうか。  15. と かんたんに捉えたとき 構造的な連関のあり方がまことに按配がよいといった《 S - A 連関》語は われわれは しゃべられないものだろうか?   16. つまり S か A かのどちらか一方に片寄ることなく その全体にわたる言葉をしかるべき配合にして しゃべるようになれないか?  ☆ これが問いです。忌憚なきご見解をどうぞ。

  • 《人間を国家的に》から《国家を人間的に》へ

     1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。(あやまつは人のつね)。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。(主観内容を共有しうる普遍概念の抽出)。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに良し悪しの価値判断をおこなうと 科学語はアマテラス人格語として――ということは 道徳や倫理規範の問題として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。(口先だけではダメでしょうが そこは誰しもおんなじ)。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるようにさせるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. それは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語 》の二層構造のしかるべき有効な使いこなし これを実現しようとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において―― A 語公民性の幅と深さを持ってこそ――人間である。それが 人間の自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家をこんどは人間化すること ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語をも回復せしめるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちが その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっていると見られるから。あやまちをまぬかれる人間はいないのに。アマテラス的な あまりにもアマテラス的な姿を呈するようになってしまたのではないか?  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここから飛翔し人びとを措いて単独にアマアガリして その抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちは のこったとしても実質的に 国家をそして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか いまの課題は。インタムライズム。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?  15. 天皇 安倍晋三 シーチンピン パククネ バラクオバマ ・・・が 究極の《スサノヲ市民 - アマテラス公民》のしかるべき秩序構造化した《にんげん》でしょうか?   17. 人間の人間化の道は まだ終わっていないでしょうか? お考えをお寄せください。