- ベストアンサー
藤原鎌足、源頼朝など
noname#2543の回答
まず、「姓」と「苗字」「称号」を区別しましょう。間に「の」を挟むのが「姓」で、そうでないのが「苗字」「称号」です。 「姓」とは、源平藤橘、菅原、中原、清原、大江など、氏族の名称です。ところが、源氏・藤原氏など繁栄した氏族は、多くの家系に分かれてしまい、「姓」だけでは区別できません。そこで、「苗字」「称号」が登場したのです。 「苗字」とは、武士が名乗ったもので、織田、徳川、北条、武田など、主に所領の地名に由来します。「称号」は、公家が使用し、九条、三条西、綾小路、久我など、多くは邸宅の所在地に由来します。 従って、「源の義経」であり「織田信長」であり、また「北条四郎平の義時」といったいい方もされるのです。 なお、この三者を明確に区別するときは、「藤原姓」、「織田氏」、「九条家」のように使い分けるのが慣例です。 また、「苗字」「称号」は元来は、「瀧口小次郎」(平将門)や「宇治殿」(藤原頼通)のように特定個人を指すものでしたが、徐々に世襲して利用されるようになります。平安中後期には、この中間形態が多く、藤原実頼や藤原実資は小野宮家に属しますが、小野宮実頼や小野宮実資とは言わないようです。しかし、小野宮右大臣(実資)とは言います。 以上は、主に平安以降に該当する話です。それ以前については、氏姓制度の「氏(うじ)」「姓(かばね)」の話をせねばなりません。 つまり、蘇我、物部、大伴、葛城などの「氏(うじ)」が、平安以降の「姓(せい)」に相当し、それ故に、「蘇我の馬子」「物部の守屋」なのです。また、「姓(かばね)」は、朝臣(あそん)、連(むらじ)、県主(あがたぬし)などであり、「藤原の朝臣不比等」「中臣の連鎌足」と「(うじ)の(かばね)(名前)」という使い方をしました。 そして、奈良以降、古代氏族が没落し氏姓制度が形骸化するなか、「姓(かばね)」は単なる敬称のようなものになり、「氏(うじ)」が「姓(せい)」となったのです。
関連するQ&A
- 源頼朝はどうして藤原泰衡を討ったのか?
藤原泰衡は頼朝の命令に従い、義経を討って首を差し出しました。 明確に恭順の意を示しているにも関わらず、どうして頼朝は泰衡を征伐したのでしょうか? 奥州藤原氏の勢力に圧力を感じていたのでしょうか? 奥州藤原氏と朝廷の結びつきが強いからでしょうか? 頼朝の野心が強かったからでしょうか? よろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 源頼朝について困っています。
初めまして。初めての質問です。私は今学生で、授業で源頼朝のことについて調べていますが、いいことが見つかりません。何でもいいので、源頼朝のことについて教えてください。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 源頼朝って悪い奴じゃないの?
謀反の罪で平家に殺されるのが当たり前のところ、流罪で勘弁してもらったくせに その恩をあだで返す逆恨み・お礼参りのようなことをするなんて、とんでもない奴だと 思われるのですが?また、義経も得意の奇襲作戦のように正面から堂々と勝負を 挑まない卑怯者ですよね。 こんな暴力団のような源氏連中より歴史的には平家は悪者になっています。 これは、朝廷の意向によるものでしょうか? 平家の名誉回復は可能でしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
「姓」「苗字」「称号」ですか・・・なるほど 詳しく教えていただきありがとうございました