石原さんと蓮舫さんの花見バチバチで感じ方の違い

このQ&Aのポイント
  • 石原さんと蓮舫さんが花見を巡ってバチバチやっています。人によって感じ方が違う非常時でも花見は自由だと思いますが、避難生活をしている人には申し訳ないと思います。
  • 花見などの娯楽は引ける気持ちになってあまりしなくなりました。
  • これらの問題には正解があるのでしょうか?
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石原さんと蓮舫さんが

花見を巡ってバチバチやってますね。 僕もちょっと前に花見のことをここで質問しましたから、 気になっていたんですけど、 やっぱり人によって感じ方が違うんですね。 公共の福祉に反しない限り人の行動は自由ですから(勉強しました) この非常時でも花見をすることに非はないと思いますが、 未だ避難生活をしている人はテレビも見られないようですから、 少々申し訳ないと思いますよね。 もちろん人がどうだろうと自分は自分ですから別に大きなお世話ですけどね。 僕の場合は花見なんか誰も誘わないし僕も行く気がないので 今後も花見をすることもないと思います。 でも、やっぱり趣味とかの娯楽は気が引けるからあまりやらなくなりましたね。 こういう問題は正解ってあるんですかね。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.1

絶対的な正解は無い。 避難生活している人だって、時には外で花見などしたい気分の時もある。    この前、避難以来何日ぶりに街中にでて、買い物や外食をした親子の姿があった。  先の不安があるからこそ、時にはそう言った不安を忘れる時間もあっても良い。 直接、震災の影響を受けなかった人に取っては早く日常生活を取り戻したいだろうし、そうするべきだと思う。 でも、その隣には震災で知人友人を亡くした人がもしかしたらいるかもしれない。 だから、無秩序に飲めや歌えの大宴会を開こうという気分には、今年はなれない。 こぢんまりと、家族でお花見をしようと思う。今年は。 人それぞれに思うところがあって、人それぞれの行動がある。その自由は尊重したい。 でもその行動で、誰かに迷惑など感じる人が居ないかな?とふと立ち止まって考える事はあって然るべきと思う。

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