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自殺をどう思いますか

booterの回答

  • booter
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回答No.39

思います・考えます、の私見ばかりで大変恐縮ですが回答させて下さい。 自殺をどう考えるか、という思考プロセスにおいては次のように考えています。 まず自殺とは何なのかというのを一旦整理したいと思います。 人間に限った話しをすると、生命を持った人間自身の本体がその生命活動を自ら止める事を指しているというのが一般的な見解です。 自殺がよく話題に挙がるのは、生命を全うするべき存在が、自らの意志でそれを否定する、何故? どうして? という思考プロセスが、解決に到っておらず、何となく皆すっきりしていないからです。 次に、人間の活動を止める、と上で書きましたが、人間の活動とはそもそも具体的にどのようなものなのか、という思考材料を揃える事が解決の糸口になるのではないでしょうか。 私は、人間の活動とは、 ・生命を持った生物としての生命活動 ・自立意志を持った生物としての意志の維持・存続 だと思っています。 余談ですが、「鋼の錬金術師」というマンガがあります。このマンガでは生命への考察に関する事で、色々と示唆に富んだテーマを扱っているのでよく知的刺激を受けています。(以降ネタバレ)そのストーリーの一つに人から霊魂を抽出して高エネルギー体として凝縮し(抽出後の肉体は死亡する)、それを他人が使って様々な能力を発揮できる、という設定と、それを行使する登場人物が出てくるのですが、能力を発動する際にはエネルギーとして消費する事に伴ってその意志ある魂が消滅するのですね。しかし、とある事で能力を発動せざるを得なくなった時、この能力発動の時に「私の魂を使って」と自ら名乗り出る魂があります(無論名乗り出た魂がエネルギーとして使用されればその意志(魂)は消滅する)。これも一種の自殺だと言われれば違和感はありません。 生命活動は既に終了しているが、上記の論法を使えばその意志の存続が消える時に自殺となるので、上記の自分の意志での「生命を持った生物としての生命活動」の終了の他にも、「自立意志を持った生物としての意志の維持・存続」を自分の意志で終了する際にも自殺と言う事が可能になるのではないでしょうか。 社会一般では、「生きる事を任ぜられた生命が自分の意志で生命を止める」という矛盾を表面的に非難しますが、私は上記の「『自立意志を持った生物としての意志の維持・存続』を自分の意志で終了する」(そしてそれに伴って生命活動も終了する)という生命の存続よりも意志の存続停止を優先するという人間の行為そのものが自殺の本質ではないかと思っているのです。 そしてもう少し踏み込んでみたいと思います。 それを行う理由と背景についてです。 自殺には次の観点があるように思われます。 ・自らの意志の終了後に、社会的貢献として何かを残すか残さないか。  あるいはその考え方が前進的であるか後退的であるか。  そこには人間の理念としての正義の行使があるか否か。 質問にあるように、自殺が一様でなくその結果に違和感を憶えたり、あるいは涙を流して同調するのは、人間としての理念の有無を無意識に判定しているものと思われます。 つまり自殺には理念がある自殺と理念の無い自殺の二種類があるという事です。 理念がある自殺では、その意志としての理念が生命活動の存続よりも意志の停止を優先し、その結果何かしらのものに影響を与えることがその理由や背景になり得るでしょう。 また、他方理念の無い自殺では、自己に対する社会のフィードバックが著しく芳しくなかった時、社会的地位が相対的に比較して劣等であったり、あるいは非難の対象であった場合は、そうした自己を自分自身で認識したくないがゆえに、生命活動の存続よりも自己認識としての意志の停止を優先する事が理由・背景となり得ます。 個人的意見になりますが、上記の前者が前進的自殺、後者が後退的自殺と定義した場合、自殺が非難される理由としては、後者が理念無く死ぬのは生命としても理念を持つべき人間としてもやるべきではない、と非難され、それが前者と混同されているというのが現状である気がします。

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