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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:あたらしい世界と日本)

あたらしい世界と日本

このQ&Aのポイント
  • すべての人に対してすべての者になりました。かのエウロパの紳士たちが芥子の樹脂を売ってお隣りの人びとにまぼろしを見させているという話を耳にしてぶったまげました。
  • かなしいかな われわれもこの商売をついには やるに到りました。その結果に到る前には その領土にも入って行きました。侵しました。
  • すべて真似をしました。下手な真似をしました。すべては所詮 真似でしたが 真似であり下手であったことがわざわいしたとも考えます。マチガイのあり方以上に 罪を背負い また背負わされるさだめに遭っています。

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noname#122428
noname#122428
回答No.9

>☆ これは 《ヨーロッパやアメリカが同じく帝国主義にのっとって植民地化などをおこなったが あやまってはいない。それと同じように いちいち過去のあやまちについて日本も弁明したり触れたりすることはしなさんな》ということでしょうか? 欧米各国が敗戦国になったと仮定して思考を想像してみると・・・ (1)戦争犯罪にあたるもの・戦争犯罪にあたらないもの・左記のどちらか判断がわかれるもの の3つに分類しようする。 (2)上記の分類の基準は国際法などで分類する。 (3)判断がわかれるものについては国際的な公の場での判断に従う(国際法の議論や判例の蓄積は、どの国も将来敗戦国になる可能性があるため常識的なものに落ち着くであろう) (4)戦争犯罪にあたるものは謝罪する。 (5)戦争犯罪と国際的に判断されたものは順次謝罪する。 こう想像してみると、 「立証できなくても超法規的に犯罪者は罰せられるべきだ」 「被害者の感情的回復が最重要なんだ」 と主張する方々と「被害国の感情が大切なんだ」、「とにかく謝ればいいだ」と考える国々の国民が、法の精神の欠如という意味では共通ではないかと思えてきます。 そして、尖閣での漁船騒動で質問者さんが反日デモと反中世論のメンタリティは同じではないかと述べられていたのを思い出しますね。 言いたいことは・・・・ ロジックがいい加減なまま謝罪すると混乱するから 整理してから謝罪した方がいいということです。 >問題は アジアの国々は 日本だけは問題にしているということです。 アジアの戦争被害の国々は犯罪被害者と心理的に同じなので、トラウマになり苦しんでいるのは事実で同情すべきことですが、トラウマ(PTSD)になり苦しんでいる方は心の怪我人でもあります。 振り回されてはいかんでしょう。

bragelonne
質問者

お礼

 いえいえ 今度はわたしのほうが 話は単純なのです。  にゅうとさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  すなわち ことは戦争犯罪をあつかっていながら その犯罪への謝罪という心づもりは持っていないのです。この趣旨説明にかかげた文章はです。  (謝罪は どうでもよいという意味ではなく そういうつもりもありません。言ってみれば すでに謝罪は済ませていると思います)。  ですから あらたな一歩を踏み出すにあたって その《あたらしい》というなら 過去のいきさつはどうするのだ?と答え返してくるでしょうから これこれこういう魂胆を日本人は持っていたんだと説明する文章です。  ★ (4)戦争犯罪にあたるものは謝罪する。  ☆ という問題を大上段に振りかざすかたちは採らないという方針です。  ★ ~~~~~~~~~~~~~  アジアの戦争被害の国々は犯罪被害者と心理的に同じなので、トラウマになり苦しんでいるのは事実で同情すべきことですが、トラウマ(PTSD)になり苦しんでいる方は心の怪我人でもあります。  振り回されてはいかんでしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このとおりの状態にあるかどうかを別とします。その心の状態は問いません。それには関係なく――表ではまったく関係なく―― 《あたらしい》というなら 過去のいきさつはどうするのだ?と答え返してくるその話に対して これこれこういうことだとわれらは思っている。こう答えるのみです。つまり すでにいまその声を予想して 文章を書いたというものです。  それ以外のこと(要素)はまったく扱っていませんし 関係づけてはいません。  われわれのこれからの踏み出しは あたらしい一歩である。こう言いたいためだけのものです。どうですか。

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その他の回答 (8)

noname#122428
noname#122428
回答No.8

いろいろ意見が異なってきましたが、私の側は単純な話なのです。 (1)納得できていないのに論争を避けるために納得しているようによそおうな。 (2)納得できていないのに納得してれば「弱い立場だから謝るだけで、強者になれば逆になるだろう」又は「理解する能力がない」と不信感を抱かれる。 (3)筋道立てて納得してないから、国内からの異論に対処できず、その光景が他国の不信感を深めることになる。 (4)本質的に理解してないから、例えば、従軍慰安婦問題と東南アジアにおける買春への対応が不統一的になり他国の不信感を深めることになる。 (4)などは、従軍慰安婦肯定派の立場ならば、東南アジアにおける買春の禁止と厳罰化を推進しないといけないのだが、観光収入や産業という既得権益を切り込む程の熱意もなし。 従軍慰安婦否定派の立場ならば、民間に任せればいいということになるが、野放しにして国民のモラルや自国の評判を低下させることは国益を害することにもなる。 つまり肯定派も否定派も過去の話では妄想がばれずにすむが、統一的に現在の問題に対処しようとすれば馬脚があらわれることになる。 ええカッコしても外からは丸見えで、謝ることが評判を下げることもあるのではないでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ 私の側は単純な話なのです。   ☆ と受け取るとすれば それは 一般論として言っていることだと思われるのですが どうですか?  言いかえると この趣旨説明にかかげた文章に具体的な説明を添えて肉づけするという問題と (1)から(4)までの基準をこの文章に当てはめるという問題とは やはり別であるようにまだなお思っているのですが どうですか?  この文章は 掲げられた基準にあてはまった理解のゆきとどく内容を売りにはしていません。ただただ 魂胆を説明しているのです。  ★ ええカッコしても外からは丸見えで、謝ることが評判を下げることもあるのではないでしょうか。  ☆ これは 《ヨーロッパやアメリカが同じく帝国主義にのっとって植民地化などをおこなったが あやまってはいない。それと同じように いちいち過去のあやまちについて日本も弁明したり触れたりすることはしなさんな》ということでしょうか?  問題は アジアの国々は 日本だけは問題にしているということです。  欧米と同じようには行かない雲行きなので このように文章で呼びかけをおこなおうという趣旨です。  それでも要らないというのでしたら そういうご回答として寄せたのだと明らかにしていただきたいと思います。  それは 見解が分かれるところだと思います。  要するに 中国や韓国などの人びとが 過去へのこだわりを持っているそのことを無視するか それとも何らかの応答をするか。こういう問題だと考えます。  誤解がありましたでしょうか?

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noname#202494
noname#202494
回答No.7

ヨーロッパは第二次世界大戦後の歪みを何とか矯正して、民族自決主義の理想の元に新しい秩序を築いたように見えます。 日本の戦後はいつ終わるのでしょうか。 中国と台湾が対等な外交関係を持ち、朝鮮が再びひとつの国になるまで終わらないのではないでしょうか。 本来なら、国を二つに分かたれても、文句の言えるはずのない、侵略者であった日本が、なぜかお隣さんだけがひどい目に遭っているのを見ても、どうすることもできなかった。今となっては、何処の大統領が”壁を壊してしまおう”といっても、中日韓朝台関係はどうにもなりません。(なりませんよね?) 歴史の必然、運命の皮肉です。 一人の日本人として誇りに満ちた生き方をして、 至誠が天に通ずるのを祈るだけです。

bragelonne
質問者

お礼

 ふうむ。むつかしいですね。  チャオポルポさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ヨーロッパはようやく自分の内では戦争の心配もなくなったようですね。  こちらぢゃ 手のつけられないような情況に成って来たとも見られます。  いままでが日本は運がよかっただけなのかも分かりません。  わるい言葉を使えば中国は日本に過去の《借り》を返そうとしているのか。それとも もともと王道を行くと言っていても 覇権をきそう体質だったのか。    けっきょく要は中国問題だと思うのです。  たぶん今の時点では その中国の良識派と話をしようとしてもだめなのだと思われます。  ★ 歴史の必然、運命の皮肉です。  ☆ 《歴史の必然》の部分だけは・つまり過去のわが国の行動にかかわる事柄についてだけは なんとかできるものなら何とかしたい。出来ないことばかりでしょうが それらについて考えておきたい。そんな気持ちです。  でも おっしゃるように 日本人として誇りをもってあゆんでいきましょう。と思います。

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noname#122428
noname#122428
回答No.6

お礼ありがとうございます。 >呼びかけには いくつかの種類があってもよいのではないか。こうも考えましたが それが甘い素なのでしょうか? たくさんの呼びかけの種類を準備しておくことは大切だと思います。 なぜなら、それらを駆使することによって相手の本音と性質が推測できるからです。 例えば、相手にとんでもない要求をして笑っているようだと、優しいのでは無く気が弱いと判断しますよね。逆に、理不尽な要求に応えてあげ続けているのに、相手がつけあがらないようだと自律的な倫理観を持っている可能性が高いと判断しますね。あと、はったりかまして相手の反応をうかがうとかね。 最後のを意図的か不明ですが、やろうとしたのが鳩山さんや小沢さんでしたが国民の方がびびっちゃいました。 まあ、国民性ですからしょうがないですが ひたすら恐縮して本心が掴ませないまま、感情の沸点に達して暴れ狂うよりも 普段から優しい言葉の中でさりげなく嫌味を言うような態度にした方が米国や中国、韓国ともいい関係になると思うのですがね・・・ 質問者さんの文章に関して言えば いかに上品に、問題にならないように、嫌味や現実を突きつけるかが大切だと思います。 そういう本音の部分が無いと謝罪にリアリティがないですよね。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。にゅうとさん。順番がわれわれのあいだでは違っていましょうか。  まづは ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~  質問者さんの文章に関して言えば  いかに上品に、問題にならないように、嫌味や現実を突きつけるかが大切だと思います。  そういう本音の部分が無いと謝罪にリアリティがないですよね。  ~~~~~~~~~~~~~   ☆ 順番というのは 第一に そして第二にも第nにも 生命の尊厳です。またこれが本音です。本音の本音です。  そのあとに《問題や現実やそれについての嫌味》が来ます。  それに 阿片を売ってときの日本陸軍(別動隊?)が資金をかせいだという《問題のある現実》も 真っ先に言っています。それでも  ★ 謝罪にリアリティがないです・・・。  ☆ か?  もう一点。本音の本音の第一原則は 生命の尊厳であり 共生です。ここでは 駆け引きや取り引きはありません。  龍馬の考え方は あきませんか? それを嫌った西郷さんも 海舟との談判では 第一原則にのっとって行動しませんでしたか?

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noname#122428
noname#122428
回答No.5

>半島を対馬海峡のごとくその自然の要害であることのみを言うのでしたら だいじょうぶだと思うのですが 自分たちの国のではない人が住んでいるところを 勝手に人為的に要衝とすることはいただけません。 残念で悲しいことですが・・・ 自分たちの国のではないから、人が住んでいるからの理由で力の流れが変わることはありません。 話は変わりますが・・・ 江戸時代、外様の大藩は領民の都合はお構いなしに廃されるか分割されています。 それも、一種の政治的力学の結果です。おかまいなしの力の奔流です。 ただし、伊達政宗は仙台藩を江戸の食料供給源にすることにより江戸に近いにもかかわらず実質百万石の大藩を守り抜きました。 正義を叫ぶでもなく不条理を嘆くでもなく力の奔流を見極め、江戸に近いということを逆に利用した。 まあ、bragelonne さんは優しすぎるということです。

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  そうですか。そうですね。もっと戦略的にずる賢いかたちででも 外交はすすめるものなのだといったところでしょうか。  尖閣問題のほうのやり取りでは その現実観を必ずしもはずしてはいないつもりなのですが この呼びかけの文章としては あまかった。かも知れません。  どう考えればよいか。思案しますが どうでしょう? 呼びかけには いくつかの種類があってもよいのではないか。こうも考えましたが それが甘い素なのでしょうか?  さらに考えてみます。  ありがとうございました。

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noname#122428
noname#122428
回答No.4

お礼ありがとうございます。 単純な話です。ただし、以下で述べてるのは「思われる」ですから怒らないでくださいね。 bragelonne さんは理性的なひとだと(他の質問を覗いている)私はわかります。 さて、まとめると (1)理解する能力が足りないと「思われる」人間に説明されたり謝られても時間の無駄である (2)能力があっても状況を理解してないと「思われる」人間に説明されたり謝られても時間の無駄である そして、理解する能力と理解していることを証明するのが、相手に分かりやすいように説明できることである。 ここでは、日本の歴史を参照しながら、中国の歴史を参照しながら当時の状況を説明することです。 具体的には「中国にとっての万里の長城が日本における朝鮮半島である」 「中国における北方異民族の侵入が日本における元寇である」 「明治以後、日本にとってロシアとその後継のソ連は「元」以上の脅威であった」 という風に説明すれば、中国の方もソ連の南下圧力を直感的に理解できるでしょう。 その後に、何を謝るべきが話す側も聞く側も自然とわかってきます。 全く関係ない話ですが、ソ連と中国が反目せず共産化していれば、かっての「元」の領土に近いものが東アジアにできていたわけです。そういうのを無視して過去の対中ODAを批判しても意味がありません。理解が無ければ全ての行為は無駄ということでしょう。

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとさん くわしくていねいなご説明をありがとうございました。ご回答をありがとうございます。  そうですね。わかりやすいですね。相手の中の歴史や歴史観に沿って説明をすれば たいへん分かりやすくなることが分かりました。  さてそれでは にゅうとさんとわたくしとの微妙な違いが そのことも こうして分かりましたので その点についてわざと大映しにして よろしかったら述べてみたいと思います。  ★ 「中国にとっての万里の長城が日本における朝鮮半島である」  ☆ 万里の長城を築く土地は 無主だったんでしょうか。そうでなければそうでないで問題だと思うのですが 朝鮮半島の場合には もろに問題だと思うのです。お隣りの人びとが住んでいるのですから。  半島を対馬海峡のごとくその自然の要害であることのみを言うのでしたら だいじょうぶだと思うのですが 自分たちの国のではない人が住んでいるところを 勝手に人為的に要衝とすることはいただけません。  そうは言っても けっきょく半島の人びとに最初は説得しようとしあとでは奸計を用いて緩衝地帯となってもらったというわけですが それもこれも 《相手と同じようになりました。その人を得るためです》というような交通の仕方において ロシアならロシアにあい対した。  つまり 半島の人びともわれわれと一緒に手をたずさえてそのようにして欲しい そうしませんかという心づもりがあったということのほうを まづは伝えたい。こういう魂胆なのです。半島の人びとがまだ用意がなかったことをいいことに植民地にしてしまいました。といういつわらぬ史実だと考えるのです。  ★ 「中国における北方異民族の侵入が日本における元寇である」 / 「明治以後、日本にとってロシアとその後継のソ連は「元」以上の脅威であった」  ☆ 北方異民族の侵入あるいは元寇のばあいは たしかに異民族であり異文化であるのですが のちにロシアやヨーロッパ・アメリカの人間に出遭ってかれらとあい対し《すべての人に対してすべての者になりました。その人を得るためです》という方針を取る場合とは やはり言うとすれば次元が違うほどの異質な《交通》であったのではないか。すでに銃は入って来ていたわけですが 《黒船》の衝撃は 桁違いのものがあったのではないでしょうか。  そういう視点においても われらが心づもりがどうであったかを明らかにしたい。  ロシアあるいはソ連の脅威についてですが ですから ここでも焦点の当て方が違っているかなと。それは 《脅威》はむしろ日本人はがむしゃらにでもそれにひるまず向かって行くと思うのです。黒船の《驚異》のほうが はるかにおおきな影響を与えたのではないか。デモクラシーとかカンパニーとかプレジデントだとか その思想にも肝をつぶしたのではないでしょうか。  その人たちと同じようになりました。むろん自由独立を掲げうたう民族ですが その日本人としてロシアやエゲレスやフランスやアメリカの人たちと同じようになりました。あたかも奴隷となるがごとくにです。そのすべてを得るためにです。――こういう腹積もりでしたと伝えたいのです。  口はばったい言い方をすれば 中国や韓国朝鮮その他のアジアの人びとの先駆けとなってのように 欧米を追いかけました。その道のりにおいて まちがいを侵しました。ゆるされぬことでしょうが どうかわたしたちは生まれ変わり 生まれ変わって来ていますので あらためて手をたずさえて前向きにあるいて行っていただくわけにはまいらないものですか。と問いかけます。  虫のよい言い分になりますが もしこのわたしの伝えたい魂胆に反対でないということでしたら そちらの分かりやすい説明を 基礎として組み込ませるようおゆるしを願うわけにはまいりますまいか?  そういった基礎の議論をおおいに肉づけせねばならないと痛感しております。  ★ 過去の対中ODA  ☆ は民主自由の社会とその世界のいしずえを築こうとするものであったと。  * 問いかけ文書のねらいに賛同いただけるかどうかというかたちになってしまいました。規約にのっとりいちおうあくまで情報交換というのが実態であるとしたいと考えます。

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  • debukuro
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回答No.3

芥子の樹脂なんかにうつつを抜かすから国を乗っ取られるんだよ そのあげくに日本侵略の足場を提供した ペリーだってアメリカからではなく消しにうつつを抜かしていた国から来たんだよ 侵略者に国を蹂躙させないために進出したんだ 原因を作ったことを反省することなく日本の責任だけを追及するのは盗っ人猛々しいって言うんだよ 奴らに跪いて許しを請うような売国奴はあっちに移住してもらいたい

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてですね。  ★ 奴らに跪いて許しを請うような売国奴  ☆ 《奴ら》ってだれですか? わたしの文章は 日本が戦時中に足を踏み入れたことのあるアジアのもろもろも国々のその人びとのことですが。  《跪いて》というのは そういうふうに受け取ったということですね。そういう一面も印象として感じられてしまうかも知れません。全体としては どうでしょう? 決してそういう文体では言っていないつもりです。  《売国奴》というのは 何にも考えない場合を言いませんか? まったくそのアジアの人びとと交通も対話もしようとしない場合を言いませんか?  ほかにも 誰のこと・何のことを言っているのか分かりかねる表現が見られますよ。  ★ 芥子の樹脂なんかにうつつを抜かすから国を乗っ取られるんだよ  ☆ イギリス紳士もオウピアムを売った。それに腰を抜かしたそのわれらも のちのちにはその《事業》に手を染めたようです。  1. 誰が《うつつを抜かすから》どの国の人間によってどの《国を乗っ取られるんだよ》なのですか?  ★ ~~~~~~~~~~~~  そのあげくに日本侵略の足場を提供した  ペリーだってアメリカからではなく消しにうつつを抜かしていた国から来たんだよ  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここも意味がとりにくいです。  2. 《そのあげくに》ってどの挙句にですか? つまり(1)の意味がつかめないから 何とも解釈がすすみません。  3. 《日本侵略の足場を提供した》のは 誰ですか? ペリーですか?  4. ペリーは提供されたのですか? でも《日本侵略の足場を日本から提供された》という意味ですか?  5. ぺりーが《アメリカからではなく消しにうつつを抜かしていた国から来たん》ですか? その国はどこですか?    ★ 侵略者に国を蹂躙させないために進出したんだ  ☆6. 誰が どの《侵略者に》どの《国を蹂躙させないために》 どこに《進出したん》ですか?  ★ 原因を作ったことを反省することなく日本の責任だけを追及するのは盗っ人猛々しいって言うんだよ  ☆7. 何の《原因》ですか? どのようにその《原因を作った》のですか?   8. 《反省することなく・・・追及するのは》 この質問の趣旨を書いた者すなわちわたしですか? そうだとしても 初めからのつながりが分かりにくくて どう受けとめればよいでしょう?  9. 《日本の責任を追及》していると受け取られたのですね? 責任を追及することなどはいっさいしていませんよ。過去のいきさつを説明して あたらしい世界へ向けてともに手をたずさえて前へすすみましょう――こう言っているのみです。  さてどうでしょう?

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noname#122428
noname#122428
回答No.2

全体的に、「日本人が○○する」というのが多いですよね。 第二次世界大戦中の日本の事情と日本人の決意ばっかりです。 「日本のことしか興味ないんだな」と思われても仕方ないでしょうね。 例えば、中国の方に日本史の説明するにしても、秀吉だけ説明しても理解できないし不親切です。やはり、漢の高祖に例えて説明するとか工夫が必要だと思います。 また、その工夫が(日本人同士の会話の癖で)大切だと気がつかないことが大きな障害のような気がします。

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  おっしゃっていることは ふたつの側面があると思いました。  ひとつには 相手の立ち場からもその実際にこうむった歴史に触れて述べるべきだということ。  ★ 「日本のことしか興味ないんだな」と思われても仕方ないでしょうね。  もうひとつに そのこと自体が 相手に対しておこなった事柄の性格を表わしているような印象をあたえるということ。  ★ また、その工夫が(日本人同士の会話の癖で)大切だと気がつかないことが大きな障害のような気がします。    ☆ 初めのほうのは 意図的にそうしました。というよりは短い文章としてまとめるために そういった事実に触れることはあとで肉づけすればよいと考えました。ずるいやり方ですが。また残念ながら 必ずしもそういった細かい知識に詳しいと言えない事情があります。  あとのほうの問題は どうなんでしょう。正直に言えば そうであるような・ないような。  つまり これは 宣言のような文章ですけれど あらましであるだけではなく まとめと言いましたが完結させようというものではありません。という意味は あくまで相手への問いかけであり語りかけだと思っています。つまり このあと 相手から答えをもらって さらに対話をつづけるためのきっかけであるに過ぎません。  そうでなくきっちりとまとめた文書を書くという行き方もあるかと思います。それは ここでは採らなかったかたちです。  それとも ここで意図した対話の仕方じたいが  ★ (日本人同士の会話の癖で)  ☆ と言われるような《障害》を宿しているでしょうか? 対話であるなら 或る意味でどこまでもつづくやり取りだと思いますので 特別に差し障りのある癖が目立つというふうには いま気づかないのですが どうでしょう?  ★ 例えば、中国の方に日本史の説明するにしても、秀吉だけ説明しても理解できないし不親切です。やはり、漢の高祖に例えて説明するとか工夫が必要だと思います。  ☆ たぶんこのご指摘の意味するところをわたしが飲み込めていないために 思案に暮れているのかも分かりません。そうでなくとも 横着な対応であるかも知れません。  いづれにしましても(つまり その問題をやむなく保留しつつという意味ですが) わたしの見る大事なこととして知っていただきたいところは  ○ 欧米露の人びととわれわれは同じようになった。なろうとした。かれらの国際的および人間的な交通の仕方を真似た。そして下手だった。あるいはむしろ 真似し過ぎた。  ☆ と言おうとしているところです。  ○ 朝鮮半島の人びとも大陸の人びとも 手前勝手な願いとしてはわれらと同じようになって対応し 手をたずさえて欧米の人びととそのかれらの流儀で交通するかたちを取って欲しかった。  ☆ というところです。  これは 半島および大陸の人びとに関心がないということではなく こちらの心づもりをまづは述べてそうなってしまった事情や事由を明らかにしたいという意図のことです。  果てさていかがでしょうと今一度問いかけてもよろしいでしょうか?

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回答No.1

幾ら上手いことを言っても、足元の植物踏み荒らしてたんじゃ信用されません 日本は「ヒモ付き」ですから

bragelonne
質問者

お礼

 天才なんださん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ 幾ら上手いことを言っても  ☆ ということは いくらかは《上手いこと》だと見なされましょうか?  むしろ これぢゃだめだ その《上手さ》を上げなけりゃいかんよという批判が来るかと思っていました。  ★ 日本は「ヒモ付き」ですから  ☆ それは 決まっていますね。誰もが知っているというかたちで。そしてそういう意味では たとえば韓国はもとより中国もロシアも 案外そこまでは認めている(受け容れている)のではとも思ったりします。  でも  ★ 足元の植物踏み荒らしてたんじゃ信用されません  ☆ ふむ。これは 沖縄の基地の問題を言っていますか? 沖縄県民の心を踏みにじるようなことを平気でやってるぢゃないかと。  困りました。弱りました。どうしましょう。

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    「自分の心で思っていることが、自分が見ている世界だ」 というようなことをよく耳にします。 世界は心の投影である、など、言い方は様々ですが、確かになるほどと思います。 最近ではこういった内容の自己啓発本もよく見かけます。 しかし、自分が見ている世界が全て自分の心を投影しているとしたら、幼いころから虐待されている子供や、生まれたときから紛争地域にいて、難民として暮らさざるをえない人々なども、すべてその人たちの思いが投影されているのでしょうか? 具体的な書名をあげると、「原因と結果の法則」などは、自分の見ている世界全てが自分の内側に存在している、と述べています。 たしかに、自分が落ち込んでいたり、成長したいと思っているときには、この考えはすごく納得できるんです。 けれども、上の例のような不可抗力でそうなっている場合でも自分のせいになるのでしょうか? 私のこの考えは、上から目線の自分勝手な考えかもしれません。 しかし、このことについてはあまり記述を見かけないので、質問させていただきました。 皆さんのご意見をお聞かせください。

  • 世界のどんでん返しは われらが日本から

     (あ)  昔むかしの話から始めます。  感性と理性を交えた或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見ました。  イリ(世界への入りをおこなう)人は このマボロシをそのままナゾとして心にしまっておいた。  ヨセ(世界を束ね寄せる)人は マボロシに取り憑いた。その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。  やがて修行の甲斐あって いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このマボロシには誰も 関心がない。  ヨセ人は ここであきらめなかった。    このマボロシによって人びとを感化し     世の中を束ね寄せる。    そうしてみせる。    そうすれば 《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり    世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。  と踏んだ。  (い)  このヨセ人なるアマテラス種族が 社会のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき スサノヲらはとうとうその根競べに負けて  《くにゆづり》をした。  イリ知性なるスサノヲ市民の村々におこなわれる《まつり》は 第二階によって束ねられ おまけに税を取られ全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  かくて 《アマテラス公民 ‐ スサノヲ市民》なる連関制の完成である。  《くにのいへ》と言う。家というからには 二階建てである。  二階のアマテラスなるアタマで立つなら その連関制は 逆立ちしている。  (う)  《ひかり もしくは まぼろし》と現実の大地とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言(自己表現)にもつねに 本音と建前が出て来る。  あるいはさらに 二枚舌の問題が必然的に現われる。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  (え)  広くマ(間・間合い)が 人びとそれぞれにおけるそういった心的および社会的な齟齬を容れた《関係ないし連関》のあり方として成り立って来ている。  すなわち むろん この問題が問題なのだ。ここでは     《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》逆立連関制  としてのマである。  第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方でありそこに起こるマ‐チガヒとその正し方の問題です。  おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしているのではないか? そこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか? トヨス? モリトモ?  (お)  細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられます。  問題は そもそもは 《 S (主権)- A (従属)》の連関だったものが A 圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあると見ます。  つまりは ヨセ人なるすぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。イデアは 何ものかを指し示すための指=シルシである。  ヨセ人は 指を・指そのものを見ている。このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えます。テーゼは アンチテーゼに社会のイニシアティヴをゆづった。  つまりそれが アマテラス普遍語の恣意的な用法としてのアマテラス語お二階方言という言語類型でしょう。それは 普遍語として無謬性の神話に包まれているのですが その指先を見ようとしないとなれば 必然的にと言っていいと思われるごとく二枚舌現象が生じる。あやまつは 人のつねではあるのですが。・・・モリトモは どっちが方言なのか?  そう言いたいのですが これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は すでに有る或る反措定に対する反措定ですから 綜合であり 人間のふつうの存在の肯定であると考えてよいのではないでしょうか?   (か)  マチガヒからのマの回復。つまり 市民主権・住民自治の実現としての――二階から一階への――大政奉還。  これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。    時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また経 済的にも立ち行かない情況を背負っている状態となった。  アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。  マの問題。この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  じつは 広く大きく 国家のアウフヘーベンとして世界史的な課題であるのではないか? 国家ゆえに領土問題と戦争がある。ムスリムの中の一部に国家に対抗するような暴走が起きて来た。・・・うんぬん。うんぬん。  添削をどうぞ。

  • ゴータマ・ブッダは 世界一の詐欺師なり。

     1. 《空》を 神と見立てればよいものを あくまで人間の境地だと言い張った。  2. すなわち 《目覚めた(ブッダ)》状態としてであり 言ってみれば《神として》ではなく 《神の場に行き来できる存在》として にんげんなる《われ》にその境地があるのだと言い張った。  3. ブッダ状態としての《さとり》とは ここで あくまで《確率》として存在するというものである。言いかえると その存在についてもその状態についても ついぞ人が確定して認識しえず言葉によって表現しえない場なのだと。  4. 言いかえると ブッダよ あんたのさとりを 示せという疑いや要求に対しては あくまでシラを切る。《表現しえず》と。  さとったのなら 人びとに分かるように説明せよと言われても 沈黙をまもる。  人びとが それはこれこれの状態を言うのではないか? と尋ねた場合には いやいや さとりとは そんな生ぬるい境地などではないと答える。  では どうなのか? という問い返しには だんまりを決め込む。  5. したがって ブッダのさとりは 表現の問題におさまるかとさえ考えられる。  人びとに分かるように説明しえないならば そのさとりは インチキではないか? という問いに対しては いやいや われははるか昔からはるかこの先までブッダである。と言って聞かない。  説明が出来ていないではないか? という問いに対して いやいや われは その現場を取り押さえられても姦淫はしていないとどこまでも言い張るごとく ブッダなりと答える。ブッダはブッダなんだよおーんと。  ――このような《表現およびやり取りの問題》にすべてをおさめようというおそろしく決意の固い宗教家なのではないか?  6. 一方で 人びとの求道の心を引き出し ただし他方では さとりの証明にかんしては 量子を特定して示すことは出来ないというような論理で どこまでも逃げ しかもブッダ論をぶちつづける。      *  この質問は 下記の質問でのやり取りを承けています。   【Q:ブディズムの再生はあるか。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7563932.html  その趣旨説明から 次のくだりをふたたびかかげます。上の    1. 《空》を 神と見立てればよいものを・・・  について説明している箇所ですから。  ☆☆ (信仰の類型) ~~~~~  ( d ) 有神論および無神論それぞれとしての信仰を 類型的にまとめてみます。互いに同等であると見るというものです。  |非経験の場|経験世界の分身|信仰の形(非思考の庭)|  ○ 神道  |かみ|かみがみ|もののあはれを知る;きよらかなおそれ|  ○ ヒンドゥーイズム  |ブラフマン|神々|アートマンなるわれ|  ○ ブディズム  |空|神々|如来蔵(信じないと信じる)|  |マハーワイローチャナ|マンダラ|秘密なるわざ|  |アミターユス|無し|絶対他力;自然法爾|  ○ 聖書  |ヤフヱフ|無し|名を受け容れる|  |キリスト|無し|名を受け容れる|  |アッラーフ|無し|クルアーンに拠る|    ○ 西欧古典古代  |宇宙霊魂;世界霊魂|神々|《わたし》|  ~~~~~~~~~~  7. 有神論(たとえば 梵我一如)をしりぞけ それでも無神論〔という信仰〕の立ち場をも採らないならば その存在論・その人間の境地論は 《非思考の庭》としての信仰と 思考としての経験思想とのあいだで どっちつかずのままに終わる。というおそれが 大きいと思われる。  果たして どうか?

  • 楽園主義 _ 世界の諸問題を解放するのか ?

    「 楽園主義は一種の政治体制で、共産主義と似ていますが、「労働者階級」が存在しません。楽園主義体制では、ロボット、ナノボット、コンピュータが、労働 者階級もしくは労働力に取って代わります。 楽園主義は、ロボット工学や遺伝子工学、ナノテクノロジーのような新しいテクノロジーを基盤とします。 一人の人間も関与することなく効率的に運営されるすべての生産手段、サービスや資源も国有化することができます。 ロボットによって提供される全生産手段、サービスの国営化によって、これらの製品、サービス、生産手段が無料となるのであればお金というものの存在意義は失われます。 共産主義が失敗したのは、まさに労働者階級が存在したことで非効率性が生み出されたためです。経済的に利益を得るという動機付けがなかったため、人々は一生懸命働いたり創造的な解決法を考え出そうという気になりませんでした。生産を自動化することで、この問題はなくなります。なぜなら、コンピュータやロボットは100%効率性を追求するようにプログラムすることができるからです。さらに、コンピュータやロボットは、休憩することも、眠ることも、休日をもら う必要もないので、人間よりもさらに生産的で活動的になれます。 楽園主義における国有化には、個人宅以外のすべての土地家屋が含まれます。 楽園主義体制では、選ばれた政治家は人類に奉仕するためだけに働きます。彼らには経済的な利益や権力は一切ありません。 楽園主義は、まずすべての人があらゆるものを無料で手に入れることができる貨幣のない世界の利点を理解する人々によって民主的に受け入れられる必要があります。例えば、すでに世界中で車がロボットによって生産され、ほんの少数の人だけがそれに関わっています。その人たちでさえ、まもなく完全にロボットに取って代わられるでしょう。 同様のことが食料品にも当てはまります。農場で生産される野菜は、すでに存在しているテクノロジーを使ってロボットによって収穫されるようになるでしょう。しかも自動トラックが生産物を直接消費者に届けます。消費者はインターネットで生産物を注文します。 サービスもまったく同じ方法で提供されます。例えば、外科手術ロボットはすでに人間の外科医よりも正確に仕事を行っています。 人間ができるあらゆることは、ロボットのほうがより上手にできます。 従って、お金のためだけに働く代わりに、人間はロボットにすべての仕事を任せ、創造、研究、調査、芸術の追求、あるいは瞑想、自己啓発など、好きなことに自分の人生を費やすことができるのです。このような状況のもとで、世界は遂に楽園のレベルに到達することでしょう。そういうわけで、この体制を『楽園主義』と呼びます。 楽園主義体制はすでにエロヒムの惑星では導入されています。それは人類にとって唯一可能な次なる段階です。その過程を経て、世界的共有化(世界規模の国有化)が実現します。楽園主義体制における国有化は、自動的に単一の世界政府へと発展し、その下で世界のすべての資源が世界的に共有されることは全人類にとって全く公正なことです。 この惑星のいたるところで多くの人々が楽園主義の政党を立ち上げ、この考えを広めることを私は期待します。楽園主義はいずれにせよ、まもなく実現します。それでも、実現するのが早いに越したことはありません。というのも、そうしなければ、現在のあらゆる経済および財政体制が世界中で崩壊したとき、今よりひどい壊滅的な経済恐慌によってさらに人々が苦しむことになります。楽園主義が実現すればそれを回避することができます。   RAEL 著  Paradism: Coming Soon  楽園主義   」  旧体制の酷税に反発し革命としたソ連、フロンティア・スピリット_アメリカン・ドリーム_新大陸で自由とチャンスを謳うアメリカ、その双方のイデオロギーが衝突し双方が供与する武器による代理戦争の残り火は今も各地で報じられる。  ソ連転じてロシアそしてアメリカ、その双方に新たな歩み寄りはあるのか ? そして、それらの武器にての戦火は解消されるのか ? 世界から労働者階級をなくす施策とは ? あらゆるものを無料にて手にするための政治家と資本、政治と科学の融合 は ?  所見、現状のハードルなどありましたら、お教えください ?

  • ギタリストの山下和仁さんについてなのですがギター二

    ギタリストの山下和仁さんについてなのですがギター二年目なのですがYOUTUBEを拝見させていただきましたが何がとても上手なのかいまいち分からないのですが…どなたかわかる方教えていただけると嬉しいですm(__)m (決して下手と言うわけでは有りません!!1音1音の正確さやその他すべてにおいて真似できるようなものでは有りません!しかしながら世界一と表される理由が画質もあまりなくしっかりと分かりませんでした、、なのでわかる方お願いします!!)

  • 双子のテレパシー→単に同じ脳が同じ世界を作るだけ?

    ヒトはみな視力も聴力も嗅覚も違います。 脳にも個人差があります。 ということは、感性も同様に違います。 全ての知覚は自分だけのものです。 友達と同じ空間にいても、見えている世界は違うはずです。 ところが、人は普段それを意識せずに毎日を過ごします。 隣にいる友達と同じ空間で過ごしていると錯覚しています。 【自分の脳】という【フィルター】を通した 【色眼鏡】を通した世界しか人は見ることが出来ません。 自分の死とともに、その世界は消滅するはずです。 本当に客観的な【真の世界の姿】は、 誰にも見ることが出来ないもので、 そんなものが存在すると言えるのかも分かりません。 つまり、【自分の中に世界がある】状態を、 【世界の中に自分がいる】と無理やり信じて、 我々は錯覚の中で生きているはずです。 遺伝的に脳の構造が同じはずの一卵性双生児は、 当然知覚している世界も極めて似ているはずです。 ならば、他人や遺伝的に異なる兄弟と比べると、 言葉で伝えなくとも【見える世界】が共通するのは、 何も不思議なことではなく、至極当たり前です。 双子にはテレパシーなるものがあると巷で言われます。 双子が会話をしなくとも互いに意思が伝わっているように 脳の構造が異なる他人から見えてしまうのは、 実は不思議でも何でもないように私は思います。 不思議な力で情報が伝播しているように見えてしまう、 すなわち、テレパシーが存在するというのは、 単なる錯覚ではないでしょうか? 皆様はどうお考えですか?

  • 東方の世界に。

    ゲームの東方に極度に嵌った者です、少しおかしな質問ですが、 自分は最近、この件について悩みすぎておかしくなりそうなので、相談させて頂きます。 自分は東方の世界観が好きになりすぎて、あの世界に強く思いをはせてしまい、今は無理にしても死後、あの世界に生まれ変わりたいと強く思うようになってしまいました。 質問としては「幻想郷を信じてれば、自分はあの世界に望んだ身で、存在する事は出来るか?」です。 自分は今「神道」を毎日少しずつ勉強して、 朝は仏壇に手を合わせご先祖様に挨拶、 夜は神棚に手を合わせて一日の感謝を述べています。 信仰は20代にしては自称するのも難ですが、かなり深い方だと思います。 また、家族の大事さ、慎ましい日々の一日一日の重さ・どんな小さな事でも感謝する事、自分に辛さ・安らぎを与えてくれる人・物・自然などに神様を意識して生きてます。 ここまで、日本の神様達や死と生を意識するようになったのは、祖母の信仰深さと、あの東方というゲームのおかげで、自分にとってはあの世界が『天国』とも言えるのです。 あの世界に行くためなら、何でもするつもりです。 ただ、自分の感謝すべき人や物を壊してまでは、行くつもりではないですが(神様がそれを喜ぶと思えないので)このままだと自室に神棚を設置し東方のゲームと関連性を強めてカミ様にも知ってもらうために諏訪大社の神符を置いて、元々居間にある我が家の「氏神様の神棚」と自室の「自作東方神棚」に毎日自分の家族と一日の感謝を述べる生活を初めてしまいそうなのです。 神棚を一家に2つも置くのはいけない事なのではないか? 諏訪大社の祀るミシャグジ様は祟神のため、そのような雑な扱い方をしてはいけないのではないか?(もちろん祀れるなら雑に扱うような真似は致しません) 結局、自分はどのように信じて、どのように日々を過ごせばいいのか? ほとほと困っておりますので、 どなたか、日本の宗教論や手法等も交えて自分にアドバイスをお願いします。

  •  《神》は 補助線である。

     1. 時空間ないし世界という存在・なかんづく人間という存在に先行するものは あるか?  2. ない。あるかどうか 人間には 分からない。分かるか分からないかが分からない。  3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。  4. 《分かるか分からないかが分からないこと》は カミという言葉で交通整理して捉えあおうと。  5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》としてのあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身であると。  6. 世界をつくったチカラがあるとする場合 これは 有神論のひとつでありその中でも 創造者としての神を立てている。  7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無神論である。  8. このような《自然神 / 創造神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。  9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによって(その言語によって)いくつかの名がそれぞれつけられている。  10. このようにさまざまに種類分けされる《神》も すべては そのように一定の言葉で〔特には人間が〕引いた補助線であるしかない。  11. ただし人びとは この補助線の向こうの――特に有神論の場合における――神とそのおのれの内面において しばしば向き合うことを成す。このような《神とわれとの関係》は――ひとが生きているかぎり生きた動態として―― 信仰とよばれる。  12. 補助線としての神に向き合ったとき 世界ないし世の中の〔しばしばかなしい〕あり方に沿って むしろ対立しこの神を否定しようとする場合もある。この種の神との関係は むろん 無神論となる。これは・これも 《無い神とわれとの関係》を内容とする信仰である。  (無神論者は無神論も信仰であると言われたくなければ 《神は無い》と証明しなければならない)。  13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ理由も必然性もない。風車に向かって突撃するようなものである。  14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・またおのおのわが心なる《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足りている。(と推測される)。  これを問います。ご教授ください。

  • 《神》は 補助線である。

     1. 時空間ないし世界という存在・なかんづく人間という存在に先行するものは あるか?  2. ない。あるかどうか 人間には 分からない。分かるか分からないかが分からない。  3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。  4. 《分かるか分からないかが分からないこと》は カミという言葉で交通整理して捉えあおうと。  5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》としてのあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身であると。  6. 世界をつくったチカラがあるとする場合 これは 有神論のひとつでありその中でも 創造者としての神を立てている。  7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無神論である。  8. このような《自然神 / 創造神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。  9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによって(その言語によって)いくつかの名がそれぞれつけられている。  10. このようにさまざまに種類分けされる《神》も すべては そのように一定の言葉で〔特には人間が〕引いた補助線であるしかない。  11. ただし人びとは この補助線の向こうの――特に有神論の場合における――神とそのおのれの内面において しばしば向き合うことを成す。このような《神とわれとの関係》は――ひとが生きているかぎり生きた動態として―― 信仰とよばれる。  12. 補助線としての神に向き合ったとき 世界ないし世の中の〔しばしばかなしい〕あり方に沿って むしろ対立しこの神を否定しようとする場合もある。この種の神との関係は むろん 無神論となる。これは・これも 《無い神とわれとの関係》を内容とする信仰である。  (無神論者は無神論も信仰であると言われたくなければ 《神は無い》と証明しなければならない)。  13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ理由も必然性もない。風車に向かって突撃するようなものである。  14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・またおのおのわが心なる《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足りている。(と推測される)。  あらたに問う必要を感じました。ご教授ください。