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アリストテレスの政治学について

アリストテレスの政治学について アリストテレスはなぜ倫理と政治学を一緒に学ぶ必要があると考えたのでしょうか。 参考になるサイト、個人的な考察や意見など教えてください。

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noname#144995
noname#144995
回答No.2

それが人間的な事柄であるから、というのが答えになるでしょうか。 実践学としての政治学は、『国家において、何をどれだけ学ぶべきか、あるいは為すべきか』と言った事柄を規定する棟梁的な学問の性質を持っていると、(有斐閣:政治思想史 33Pあたり)に書いてあります。 形而上学は、真理を追究して、人間的というよりは真理に従順であって、それは実践学より理論学の仲間に入るのに比べ、政治学は実際に人間によって為される事柄であり、諸学問をどのように、何のために駆使するかもこれによって規定される。したがって、諸学問の目的を包括したその学問の究極目的は、人間的善であらねばらならない、と。 ちなみに、倫理学と政治学の両者を含む全体をポリティケーと言うそうです。   浅学ですが、このような感じです。○○すべきである、あるいはすべきでない、といった善の動機が、政治学の根本にあり政治学を動機づけているのではないでしょうか。

yurina320
質問者

補足

回答ありがとうございます。 政治学というのはさまざまな学問分野から学際的に応用して政治をおこなう学問であり、 各分野に共通する究極的な目的というのが人間的善である。 この人間的善の実現のためには倫理を学ばなければいけない、ということでしょうか。 理解が足りていなければ補足お願いします。

その他の回答 (4)

  • mmky
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回答No.5

>>政治は[祭政一致]の形態がベストというのはアリストテレス自身の言葉でしょうか。 ○ 表現はみな違いますが汲み取る精神は同じということです。 また、祭政一致で失敗した例もあると思うのですが、なぜそれが一番良いと言えるのでしょうか。 ○ 国家というものはロボットの集まりや動物の集まりでは成立も存続もしないのです。 これは何を比喩しているかといえば、愚民がいくら集まっても欲望にまみれた動物集団にしかなりえないということなのです。国家というものは崇高な理想の実現、つまり、仏国土あるいは神の国をこの地上に打ち立てるために存在するものなのです。そのために営々と努力しているといえるものです。だから、真っ当な哲学者は神近き人が政治に携わるべきといっているのですね。 倫理を学ぶということは仏神の御心を知りなさいという意味なのですよ。 神仏のような人のみが正しい国家を運営し、多くの民を正しい方向に導けるということですね。 この思想は、アリストテレス、孔子、日本では聖徳太子、イギリスのクロムウエル、ドイツのヘーゲル、カント、みな同じです。 ヘーゲルやカントは絶対精神とか純粋理性と表現してますがつまり、人間の持つ仏性や神性に従って法律、国家が成立、運用されるべきという考え方なのですね。これは「祭政一致」の言い換えに過ぎないのです。 民主政治の開祖といえばアーサ・クロムウエルでしょうね。王権を否定したのは当時の国王の能力に問題があったからでしょうね。でもクロムウエルも愚民には弱り果てたのですね。そこで、自らが独裁者となり、その間大学を作り教育をし、民主政治を導入したのですね。実際の政治に携わる者のありかたはクロムウエルに学ぶべきでしょうね。 >>共産主義は宗教を否定していますがある意味共産主義自体がひとつの倫理ということはできないでしょうか。 ○ その通りです。動物集団の論理ですね。人の欲望、嫉妬などを平準化した国家ですね。 国家に向上の理想がないのですね。中国などは金儲けの理想は取り入れてますね。 魚が数十万もの群れを成して黒い塊のようになって、餌を求め、また捕食者から逃れる様ですね。それが共産国家の有様ということです。 別の言い方だと、「最小不幸国家」ですね。つまり「魚の集団」なのですね。 国家は「最大幸福」を目指して存在するゆえ存続するものなのです。愚民が選ぶと「最小不幸国家」になるのですね。そんな人、総理にしてませんか? もう一度[祭政一致]の精神に戻るべきですね。 地球では人間が魚と同じような様で国家を作り存続することはできないようになっているのです。 それは、真っ当な哲学者ならみな知っていることなのですね。 地球の歴史の中で数限りない国家が生まれ、文明が生まれましたが、その原因結果の連鎖の中で学んだこともあるわけですね。今を刹那に行き、今の知識が正しいと思わず哲学者の述べたい「真理」がなへんにあるかを謙虚に、真摯に探求してくださいね。

noname#131234
noname#131234
回答No.4

ええ読んだことないんだ?まずは、国家をお読みください。一巻一章から直接その記述があるようです。 具体的回答ということで 昨今の道徳的風潮を踏まえて説明します。 最近の道徳的風潮(はじめ) 「自分か関与しているから、このテーマは素晴らしい。」 「今日の夕刊でこんな記事を読んだ。みんなも読むべきである。」 「利他が人間の本来の性質。だから俺に金をよこせ。よこさないなら愛をよこせ。 愛もよこせないのなら少なくとも俺のいうとおりにしろ。」 「個が求めているのは、精神の最大限の充足である。おいらの自尊心。要求をたにんが充足させるのが当然の社会性である。」 「おいらが思うことは、我々が欲していることである。その実現は、お前の責任。お前らがやれ、実行に移せ。俺がお前らを評価する。」 「基本的に社会に責任がある。俺に年金+失業保険+海外旅行の料金を払うべきなのは、当然として、俺は自由。社会の敗残者を何とかしろ。哲学経営という最高の役割を担う、俺に責任はない。」 以上が、最近よく耳にする社会風潮です。 特徴としてまとめますと、自分(俺様)が、世界の中心である。自分は世界の外・社会の傍観者・国家の監視者・グループへの卓見を抱く理性的な個であるという主張です。具体的努力仕事は他人が成し遂げる。みんな万々歳というものです。 アリストテレスの提案する「ポリス国家」では、上記の考えが認められません。 前提 de anima (Psyche プシケーについて) 生物と物質を分け隔て、質という観点から「最善の者」が「より良い」もの「良いもの」から区別される為の指標は、事物の善性を本質的に規定する特徴である。 事物を特徴づける内なるものは、その事物固有の数奇性であり、自然本性に対する畏敬の念を引き起こす「本質」である。 カテゴリーとして、物質は、4つの相からなっている。生物に活用されることでその役割を果たす。 生物=植物・動物・人間 植物を含む生物の本質は、生長のダイナミズムを含む自発的運動である。 特殊な生物である動物は、自己を保存・継続したままでの行動能力を備えている。特性は、外界との接触による受容感性である。 人間の持つ特性は、感性と思考する理性である。「理性(魂の中でその最高の本質を形作るもの)」が人を他の動物から分け隔てるのである。 比較的に、カテゴリーとして「より良いもの」は、下位のカテゴリーの特性を兼ね備えており同様の性質を併せ持つ。 Poltika (政治について) 一巻一章より趣意 あらゆるポリス国家は、具体的個としての「人的社会 (NE 1260b36f.)」の体裁をもち、人的社会は、(価値判断としてよいという意味で)「至高のもの」のゆえに、成り立っている。すべての人間とその行動について、個々人の行動の根幹には、自己の思いのまま・信条の語る「これでよいはず」という思いに導かれて行動しているからである。(Pol. I 1) 具体的に人的社会は、他の物理的社会的環境の下、その本性的良性である徳を中心として、財(goods)という基礎の上に構成されている。 徳とは、中庸である。 争いの中にあって和平を見ながら、臆病でもなく、好戦的でもなく 生業の中にあって平静を思いながら、満ちたり、利の為の利潤追求をしない。 必然を行い、人倫に利し、最高の輝きに満ちた生を全うすることである。(Pol. 1333a30ff.) 家族が、徳の現出する「場」の最小単位である。次に村。村々が血縁地縁を元にポリス国家を構成する。国家は、自足(アウタルキー)する社会としての不可分な実体である。家は、子孫なくして滅び、村は、必要な財に困窮し衰える。国家だけが、種の保存・必要財の流通・役割の補完と言う観点から唯一の統一性のある動的社会である。(Pol. I 2) ポリス国家とは、物理的理性的部位からなる自然本性的実体である。その行動を理性的観点から分析すると、人間はポリス的動物であると言い換えることもできる。良かれ悪しかれ、人と国家との関係性は、生業という観点から常に存在する。まつりごとに根ざさぬものは、根無し草であり、国を通じて人は放浪から自由となり、戦好きのごろつきも、国によって理性的生き方を見知るようになる。孤独な者が波風を立てるのは、国家に属するという人本来の生き方を仕損じたからである。これに加え、国語という観点も、喜怒哀楽を豊かにするという意味から、人間としての最高の生活を営む為には、必要不可欠である。言語は、有用なものと害毒・正義と不正・真実とごまかし・善と悪の理性的区別を可能にするからである。つまり、国家が全ての徳のための完成された舞台である。(Pol. I 2) 趣意終わり ということで一巻を読めわかります。

  • mmky
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回答No.3

アリストテレスはなぜ倫理と政治学を一緒に学ぶ必要があると考えたのでしょうか。 ○ 政治は[祭政一致]の形態がベストであるが、この形態は上に立つ者の資質に大きく左右されるので、多数決による複数による政治形態でも良い、その場合には参加者はしっかりした宗教的、倫理的心情を持たなければならない。つまり、政治は[祭政一致]が原則でそれを外してはいけないという考えですね。 近年、これを外した政治体制が出てきましたよね。共産国家、社会主義国家ですね。民主国家でも神を信じない議員や総理が出てきてますね。これはアリストテレスの考えには反してますよね。さて、その結果は壮大な文明実験ですね。まあ、ソ連も崩壊したし、中国もどうですかね。日本の民主党・社会党政権もどうですかね。 ・・・・「政治の参加者はしっかりした宗教的、倫理的心情を持たなければならない。」これ「MUST」規定なんですね。「でもよい」じゃないんですね。 有権者も哲学勉強して欲しいですね。 大根やニンジンを議員や総理にしてどうするのとアリストテレスが言いますね。

yurina320
質問者

補足

回答ありがとうございます。 政治は[祭政一致]の形態がベストというのはアリストテレス自身の言葉でしょうか。 また、祭政一致で失敗した例もあると思うのですが、なぜそれが一番良いと言えるのでしょうか。 共産主義は宗教を否定していますがある意味共産主義自体がひとつの倫理ということはできないでしょうか。 よければ回答お願いします。

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

政治は倫理によって行われないと続かないのでは。

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