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「取得先」という表現について

「取得先」という表現について お世話になっております。 作成中のとあるガイドを検証していて「取得先」という表現が出てきました。 「ここから取得してください」という意味で使われています。 取得元という言葉は使いますが、取得先という言葉は聞いた事がありませんでした。 ネットで検索すると、有名な大企業のサイトでも使われている事が分かります。 教えていただきたいのですが、「取得先」という言葉に違和感はありませんでしょうか? 特に問題ない場合、「取得元」と「取得先」の意味の違いについてご意見をうかがわせてください。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#159916
noname#159916
回答No.1

流れの方向があって、出所が「元」、行き先が「先」が自然かと思います。 が、習慣なのか「相手を先と呼ぶ」場合が多々あります。 「先方」;とにかく相手のこと。対して、自分側を「元」と呼ぶ。 「購入先」;(自分が何か購入した際の、販売店などの事) 「得意先」;取引量が多い取引相手。方向は問わない。「得意元」とは言わない。 質問文の「取得先」というのも、この類でしょう。 「供給元」「供給先」といえば流れの方向とも一致していて素直で明快なんですが。 「取得」は自分の行為なので、 自分(取得者)が「元」で、相手(供給者)が「先」と呼ばれるのは きもちわるいですが、仕方ない気がします。 先の購入元(買った自分の事)、購入先(売ってくれた店)も同様です、 つまり「自分が受取る行為全般」が該当すると思います。 自分も馴染んでないし、誤解されかねないので、可能な物は言葉を変えたりしますが。 (簿記関係も変えていいのか知らないのですが) 質問文の例だと「取得先」と言わず「供給元」と言ったり。 でもここで自問。「受注先」ってどっちでしたっけ。

triclr157
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 分かりやすくて素晴らしい回答だと思いました。 受注先はお客様なんですね。 発注と受注、取得と提供など反対語の場合などについて考える事で理解の助けになりました。

その他の回答 (3)

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.4

モノの流れに沿って「取得元」が正しいと思います。 しかし「所得先」という誤用でも、正しく伝わってしまうので「なんでも先」という使い方をとがめる人がいないのだと思います。

triclr157
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 ここで質問して回答をいただくまでは、私も Ishiwaraさまと同じ考えでおりました。 みなさまからご意見、ご回答をいただきまして、 今回のケースでは取得先が正しい使い方になるかと今は考えるようになりました。 K-Liuさま回答にあります --- 要するに行為の主の相手方が「先」 行為の主、本人が「元」 --- というところが決め手になりました。

  • ausfeper
  • ベストアンサー率33% (46/138)
回答No.3

違和感はないです。 これから取得するために行くところ。 今のページがあって、行った「先」のページで取得して下さい。 「行き先」「問い合わせ先」

triclr157
質問者

お礼

ご意見、ご回答いただき、ありがとうございました。

noname#121595
noname#121595
回答No.2

>「受注先」ってどっちでしたっけ。 お客さんの方です。 自社から見て、某社から注文を受けた(受注した)わけでしょ。 だから某社(お客)は受注先。 某社から見れば、わが社は「発注先」 わが社から某社を見れば「発注元」 >「取得元」と「取得先」 質問者さん主体で考えると、「どこか」から取得するわけですから、「どこか」は取得先です。 「購入」という言葉を使えば、「どこか」から購入するわけですから、「どこか」は購入先です。 「供給」という言葉を使えば、「どこか」が質問者さんに供給するわけですから、「どこか」は供給元です。 「どこか」から見れば、質問者さんは供給先。 要するに行為の主の相手方が「先」 行為の主、本人が「元」

triclr157
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございました。 「取得元」の「元」について、 「ここから取ってくる」という取得してくる場所を示すものだと勘違いをしておりました。

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