• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:服毒自殺をした人への仕打ちについて)

服毒自殺への仕打ちについて

このQ&Aのポイント
  • 服毒自殺への仕打ちについて考えてみましょう。自殺するほど追い詰められた人に対して、辛さを感じさせるために人々が言う言葉や行動は適切なのでしょうか。
  • 自殺は取り返しのつかない選択であり、いたずらや冗談として扱うことは適切ではありません。人間の痛みや苦しみを完全に理解することはできないため、配慮と共感の意識が必要です。
  • 服毒自殺への仕打ちは、倫理的な観点から考えるべき問題です。他人の苦しみを軽視することは許されない行為であり、相手を理解し共感する姿勢が求められます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

医師です。集中治療室で働いていて自殺目的の薬物過剰摂取の方は時々治療しています。 どこからこんな話を聞いたのか知りませんが、今時こんなことはしないと思います。 と書きますと昔はしていたかのような書き方なので誤解のないように説明します。 以前は大量に摂取した人には飲んだものが何であれ時間が多少経過した後でも、 口か鼻からチューブを入れて胃の中をお湯で洗浄していました。 知識や技術のない医者程、意識のある状態でしていたようです。 そうでない医者はしっかり鎮静薬を投与してから必要な時にだけ胃を洗浄をしていました。 自分は救急の専門医に指導を受けてましたので後者のほうしか経験ありません。 現在は胃洗浄は昔ほど重視されていないので誰にでも行うことはありません。 専門家でない人はする可能性が現在でももちろんありますが。 胃洗浄の後は点滴での治療が中心になりますので点滴1,2本それと尿のカテーテル、 鼻から胃への栄養チューブくらいです。yang2ling2さんが思うほどのチューブが 体につくはずがあり得ないのが現状です(1,2本の点滴も許してもらえないなら返す言葉もないですが)。意識が戻り管の辛さや不快感が出てくれば速やかに減らしていきます。 要するに管が入っているのはおそらく意識や記憶がない期間で、意識あったり記憶に残りそうな期間にはyang2ling2さんが想像していられる状況にはなっていないのです。 もちろんわざと苦しくさせてやろうなんて思ったことは一度もありません。 医師として、間違った思い込みから不必要な医療不信を抱いて頂きたくないので、 少し長いですが説明させていただきました。 自分は患者さんに「自殺しないで」とは言いません。 そのかわり「また飲んでも絶対に助かるから無駄だよ」って話しています。 飲むだけで簡単に死ねる薬は簡単に手に入りませんからね。

noname#174442
質問者

お礼

こちらこそ専門家ならではの詳しいご意見をありがとうございました。 私がよんだのはおそらく服毒自殺を許せない人の脅し又はごくごく一部の医療関係者の思いだったのだと思います。 それにしても死ぬのは簡単ではないと云われつつ自殺者が多くて悲しい世の中ですね。死ねないから死なないのではなく、みんなが生きていて楽しいから生きていたいと思えるようになると良いですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (4)

回答No.5

>二度とこんなことをする気にならないよう、体中に管をつけて洗浄し、わざとつらくさせる」 まさか。 医療従事者の親戚がいますが、彼の職業の名誉にかけて、そんなことはないと断言させて頂きます。 要するに、緊急で運び込まれた患者を、悠長にいじめているようなヒマはないんです。 命を救うために適切な処置はしますが、その処置自体がそもそも辛いことなのですよ。 ↑これをしないと、医療従事者としての倫理に反しますし、法的にも罪になります。 わざとつらい思いをさせるなんてことは考えられません。 自分が、自殺し損なって悲しい上に、手荒に扱われて(これは当然です。緊急時ですから)ショックなだけだと思いますよ。 逆に、自殺未遂の人に対して、腫れ物に触るように気を遣うほうが却って良くないでしょうね。 徹頭徹尾、事務的に(しかし、救おうとする情熱を持って)ことを進めるのが医療従事者の姿勢だと思いますし、殆どの従事者はそうしていると信じます。

noname#174442
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、お医者様もお忙しいでしょうから冷静に考えたらそんな暇はないですね。 私がよんだのは医療関係者側(と名乗る人)の話だったのですが、皆さんの意見を聞いていて恐らく事実ではないと云うことが分かって一安心しました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1847/10423)
回答No.3

>「二度とこんなことをする気にならないよう、体中に管をつけて洗浄し、わざとつらくさせる」 こんな仕打ちをしているという話自体初めて聞きました。(@_@;) これって毒の種類によっては、気化して二次的被害者を出すために、服毒者の飲んだ薬品が分からない時はとりあえず、全身を真水で洗い流すことを指しているのではないでしょうか。 確かに冬場に朦朧とした意識下でやられたら、本人は拷問のように感じるとは思いますが意図が違います。

noname#174442
質問者

お礼

ネット上での話なのでどこまで信用できるかわかりませんが… 早く薬を体外に排出するため胃チューブをつけ、腸や尿道にも管を差し込んで吐き薬と下剤を飲ませる、その時に再び自殺する気になどなれないよう必要以上に苦しくさせるという医療関係者の話を聞いたことがあって… 誇張だとしてもきいていてあまり気持ちのいい考えではないですよね。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • msn201002
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.2

質問者は、多分、服毒自殺未遂の人に対する仕打ちに ついての聞いた話を書かれたのが言葉足らずだったのでしょう、 服毒自殺しないでとの思いは、私も同感です、 そうせざるを得なかった背景考え、思い止まってほしい 万一未遂に終わってもそういったことを取り除く努力を 周りの人に期待し、自殺しようとした人を苦しめないで との思いに私も賛成します。

noname#174442
質問者

お礼

質問まで上手にまとめていただき、ありがとうございます。 本当にその通りです。 すべての命は大切にされるべきだと思うし自殺しないに越したことはありませんが、未遂をしてしまったら、その人を一方的に悪者とみなして苦痛でもって思い知らせるのではなく、その人が現世で幸福になれるように考えるほうがいいですよね。 もちろん、医療行為上やむを得ず生じてしまう苦痛については仕方ないですが。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#222486
noname#222486
回答No.1

意味不明 自殺した人に何を施しても生き返りませんが?

noname#174442
質問者

補足

すみませんでした。 正しくは「服毒自殺を試みた人に対する」ですね。 つまり、大量に毒薬を飲んだけれども死にきれず病院に運ばれた人に対して、のような。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 死生観 キリスト教 人は死んだら 自殺はダメ?

    人は死んだらどこへいきますか?天国と地獄ってあると思いますか? あると考える人は、自殺者は救われないから死ぬなと言いますね。 私は聖書を少し読んだりしますが、自分の命を自由にするなんておこがましいみたいに解釈しました。 でも神が居るならわざわざ試みにあわせる必要ないですよね?むしろ守ってください。 創世記に見る神様は物凄く性格の悪いパワハラな存在ですよね。救いを求めて開いてもそこは嫌になります。宗教が無ければ落とさなくて済んだ命が沢山あるはずです。 自殺したクリスチャンの人は、この世(この言葉自体があやふやですが)で物凄く苦しい目に会わされて、耐えかねて死んでいったのに、あの世でも浮かばれないって考え方は酷くないですか? 本当に神様が居るなら、いじめられて人生を壊されたり自殺した人よりも、いじめた側の人間の方が良い生活をしてるっておかしくないですか? 私は死について、休息の様な物程度にしか思えません。私が今死んでも、やっと楽になれるかなくらいにしか思わないでしょう。親しい友人が亡くなっても涙のひとつもこぼさない人は冷酷なのでしょうか?

  • 何故”簡単”に自殺しないでと言うのでしょうか?

    自殺をすると”簡単”に命を捨てないでとか ”簡単”に自殺してはいけない、とか言いますが 何故世の中の人は「簡単」に自殺したと思うのでしょうか? わたしはよく学校で「命」についての授業や公演があるのですがどの大人も先生も、「簡単に命を捨ててはいけません」などというので少しイラッときてしまいました・・・。同時に、なんで簡単に死ねると思うの?と悲しくなりました。 確かに1割くらいは感情起伏が激しくて勢いに任せて死んでしまう人もいるのかもしれません。けど、ほとんどは簡単には自殺していないと思うのです。 わたしは一時、一番の友達が学校を転校してから 友だちがいなくて、おまけに運動神経悪いからか 体育の授業は「お前いてもいなくても同じだから」と言われ クラスでは無視されたりグループ組んでくれる人がいなかったりで とても辛くて自殺しようと包丁を持って自分に向けたり アパートの最上階までいって落ちようとしましたが いざやろうと思うと怖くてできませんでした。 それは痛いのが怖かったのもあると思うし、まだ少しだけ生きていたいと思う気持ちがあったからだと思います。 自殺できる人はそれさえも覚悟して自殺しているのだと思います、 「今日クラス全員に無視されたから死ぬ」とかいって簡単に自殺する人はいないと思います。 最初は耐えようと我慢して、でもずっと続いて、解決策が見つからなくて、悩んで悩んで悩んだあげく、死を選んだのだと思うのです。 皆さんはどう思いますか? 自殺している人は、簡単に自殺しているのでしょうか・・・・。

  • 難病にかかりました。自殺について

    難病にかかってしまったようです。 残念ですが、親に迷惑をかけたくないです。 自殺は絶対にしたくはないのですが、難病で経済的に 親に迷惑をかけるのであれば、自殺も考えます。 電車や借りているところでは自殺しません。 また、覚悟したつもりでも死に対して動揺があります。 死とはなんでしょうか 例えば自殺した人、しなかった人、悪い事をした人、人を助けた人、 人によって、死後の世界は違う、と仏教でもキリスト教でも聞いた 事があります。果たして本当でしょうか。

  • 自殺についてお聞きしたいのですが

    自殺についてお聞きしたいのですが なぜ自殺未遂をすると特別病棟などに入れられてしまうのでしょうか? 日本では妊娠の中絶、安楽死などは認められていますよね? なのになぜ自殺は容認されないのでしょうか? 「人を殺す」のであれば罪にはなりますが「自分を殺す」は罪になりませんよね? なのになぜ病院へ入れられてしまうのでしょうか? 自分の命は自分なら自由につかっていいのではないのでしょうか? 自分が今自殺したいと思っているわけではありません。 過去に一度本当に死のうとしたことがあります。 皆さんの意見をお聞かせください。

  • 自殺するという人

    自殺するとほのめかす人に限って実際は死なないから大丈夫だという話を聞きました。 でも、知り合い(の知り合いぐらい)に周囲に辛い、死にたいと昼夜関わらず電話をし、あまりにも頻繁だから友人たちが迷惑に思い始めた頃に、実際に死んでしまった人がいます。 たいした知り合いではなくても、人の死にはショックを感じました。何をしてあげればよかったのか、と。 ただ、他人の苦しい話を聞くのは正直辛いです。こちらにも生活があるし、どんなに親しい人であっても自分の家族や仕事のほうが大切な人が大部分だと思います。カウンセラーや心療内科などの先生は仕事だから聞くのであって、その人のことを本当に考えていない気がします。(私も実際かかったことがあるので) もし特に親しいわけでもない程度の知り合いが自殺したらどう思いますか。自分とは関わりないから当初はショックでもいつか忘れていくのでしょうか。 わたし自身、死にたいと思ったことがあり、人には話しませんでしたが、未遂をしたことがあります。もし周囲の人もいつか忘れていくのなら、自殺はたいしたことじゃないような気もしてきました。 よく知らない人であっても、自殺したいという人をとりあえずとめるのは、良心が咎めるからでしょうか。それとも面倒に巻き込まれたくないからですか。 自分にとって相手が本当に必要な人だったら、全力で止めると思いますが、そこまで人から必要とされる人はそもそも自殺など考えない気もしますが・・・。 それとも、自殺したいという人は放っておいたほうがいいのでしょうか。 取り留めのない質問になってしまいすみません。 ときどき、友人から死にたくなるというような話を聞いて、そういうときにどういった対応をするのがいいのか分からなくなってきたからです。わたしの一言が自殺のきっかけになったらと思うと、下手な慰めもできません。でも、それは結局、相手のことを考えているというよりも、自分がかわいいからですよね。そう思うと、人に相談したり話したりする人の心理も分からなくなってきました。

  • 自殺について

    以前、下記の質問をしました。 http://okwave.jp/qa/q6186328.html 何件か回答をいただき、参考になりました。 しかしながらまだ、自殺について、自殺の要因についての様々な意見や見解が聞きたいです。 もう一度同じ質問をさせてください。 自殺には、遺伝子が関与しているのでしょうか?素朴な疑問です。 私も過去に、家庭のことで色々あり、毎日辛くて楽しいことも何もなく、将来に希望も持てず、自殺してしまいたいと思ったことが何度もあります。 それでも、死の恐怖には勝てずに自殺という道を選ぶことができませんでした。 誰かに相談したり、説得やカウンセリングをされたわけではなく、自分勝手に自殺をしようとしてやめました。 「迷惑をかける」「誰かを悲しませる」という考えではなく「恐怖」が大きかったと思います。 自殺という道を選んでしまった人はある意味すごいなと思う次第です。 最後の最後、自殺を思いとどまらない人と私と何が違うのかな・・・ とたまに考えます。 ただ単に、私とは比べようもないくらいの絶望感が成せた業なのか 個々の生まれながらの性格や、育てられた環境によって、死や自殺への恐怖や重みの感じ方に違いが出るのか。 死への考え方の違いか(私はあの世とか神や仏の存在、極楽や輪廻転生を信じていない) もちろん、経済の状況など、社会的な問題で自殺者が増えているのは想像できます。 鬱病になると(薬の作用もあるのか)自殺を図ってしまうことも多々あるということも聞いたことがあるので、今の社会ではうつ病は増えているだろうから、総じて自殺者も増えている??? それでも、どんなにいじめられても孤独でも自殺する人しない人がいて どんなに経済的に追い詰められても自殺する人しない人がいて どんなに絶望しても自殺した人できなかった人がいて 失恋でも自殺してしまう人もいる やはり、自殺を踏みとどまる遺伝子みたいなものがある人とない(遺伝子の働きが弱い?遺伝子が働かない?)人がいるのでは? ※自殺者は増えているとはいえ、急に桁が変わるほど増えたり減ったりしていないようにも見えるのも不思議です。現在は年間3万人くらいでうろちょろしていますよね。このことが、とても不思議に思います。 無知故のとりとめのない質問ですみません。 自殺と遺伝子の因果関係は解明されていないのでしょうか? あ、今では自殺しなくてよかったと思っております。 また、遺伝子と関係なくとも、自殺についてご意見や考え方があればお教えください。

  • これは自殺に当たるのでしょうか?

    他の方の質問の中で、自死についての質問があり、 回答者の中に >人を愛する、人の命を大切にする、 そうした根本的な人間らしい心がないから自殺してもいいだろうなどと、 自分の命を粗末に扱うのです。< という方がおられたので、少し考え込んでしまいました。 定型発達の方にとって自殺とはどの辺までを言うのだろうと? 私はアスペルガー症候群を医師より診断されていまして、モノの考え方や感じ方が「一般的な範囲」と重なっていないことが多いです。 自殺というワードでも、多くの方が抱く共通概念と違う捉え方をしていないか、少し確認してみたくなりました。 以下、私が自殺と思う事例をいくつか挙げてみるので、自殺かそれ以外の何かになるのかなど、皆さんの思われるところを教えていただけると嬉しいです。 積極的自殺(自己の気持ちで完結する理由の自殺) ● 借金・病気などの苦で命を絶つ ● 何らかの犯罪の被害者になってしまい、生きていく活力より死への渇望が上回り命を絶つ。 ● 将来に望みを持てなくなり「死んだほうがまし」と思い命を絶つ。 職務的な自殺(軍人の犠牲的献身など、立場上称賛される死に方) ● 敵機動部隊を見つけた偵察機が、より確実な接敵成功のため帰りの燃料が無いのを承知で攻撃隊を敵機動部隊に誘導する。帰還は不可能、着水しても助かる見込みもなく「先鞭」として敵艦に突っ込む。 ● 護衛対象の民間商船に魚雷が迫っており、商船側での回避は不能。火器運搬船であるため、一発当たれば大爆発してしまう。敵潜を警戒していた警戒機が「これも俸給のうち、100人より2人の方が被害も少ないですしね」と商船側に伝え、魚雷に体当たりをする(真冬のベーリング海近海で着水すれば確実に助からない)。 ● 羽柴軍に責められ水責めされた城の城主が、城の人々の助命と引き換えに船上で割腹。 信仰や信念による自殺 ● 古代アテネの様に、生贄になることが社会的な名誉となり、自ら志願して命を落とす。 ● 衆生救済のために即身成仏をする。 ● 信仰を守るため、改宗を拒み命を落とす(断れば殺されるのが自明で、他者の手を借りた自殺とも思える)。 こんな感じですが、私はこれをすべて「自殺」と思っています。社会的な貢献や時代背景、個人の立場など加味して、注意深く考える必要があるのは当然ですが、 自ら命を絶つ(立たれる状況に積極的に持ち込む)ことが自殺だと思うのです。 行為の崇高性とは別で。 上記の行為は、定型の方は私と同じように「自殺」だが崇高な行為や多くの人を救う行為もあると捉えるのか、 やはりいけないことと考え  >人を愛する、人の命を大切にする、 そうした根本的な人間らしい心がないから自殺してもいいだろうなどと、 自分の命を粗末に扱うのです。< と思われるのでしょうか? 法律的なところや、学問的な部分ではなく、皆さんがパッと見て感じた部分を教えていただけると幸いです。 私とのずれや、感じる手順やモノの見方の違いを勉強させていただきます。 どう思われます? 注意 私が自殺したいとか、希死観念が強いということではなく、純粋に同じ語句ので、他の方との感じ方のずれがあるのかを知りたいという趣旨です。 私が死にたいと思うという立ち位置からの回答はご遠慮願います。質問の内容を書いてください

  • 自殺する人の気持ち

    自殺する心理状態というのは、もう正常とは言えないかもしれませんので、愚問だとは思いますが、 自殺する人は、後の迷惑とかは考えないのでしょうか? 私も死にたいと思ったことはありますが、大体、頭の中でシュミレーション?をして、 その後、お葬式で「故人は○○で自殺をし…」なんて言われたらみっともないか と思って、やっぱり割に合わないな~と思うのが、自殺という行為なのですが、 せめて他の方の迷惑が少ない方法を取ろうとはならないのでしょうか? 追い詰められて死を選ぶにしましても、何だかすごく自分勝手な気がします。 私が思いやりがないだけかもしれませんけど。

  • 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは

     どうしてか?  次の文句をどう解釈するかを問います。  ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~  2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。    2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ( a )  《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか?    ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。  ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか?  その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか?  ( c )  《滅びる》とは 《有る神が滅びる》という言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか?  ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか?   ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》か?  ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。  いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか? つまりそれが《死》の事例か?  やや特殊な主題ですが 哲学として問います。ご見解をお寄せください。

  • 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは

     どうしてか?  次の文句をどう解釈するかを問います。  ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~  2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。    2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ( a )  《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか?    ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。  ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか?  その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか?  ( c )  《滅びる》とは 有る神が滅びるという言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか?  ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか?   ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》ではないか?  ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか?  やや特殊な主題ですが 湯気が立っている生まれたてほやほやの考えですので おしえてください。