自殺についての考察

このQ&Aのポイント
  • 自殺とは、自ら命を絶つことを指します。しかし、その定義は個人や状況によって異なります。
  • 自殺には積極的自殺、職務的な自殺、信仰や信念による自殺などの種類があります。
  • 社会的な貢献や行為の崇高性などを考慮し、自殺に対する見方は様々です。定型の方とは異なる考え方を持つこともあるため、注意が必要です。
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これは自殺に当たるのでしょうか?

他の方の質問の中で、自死についての質問があり、 回答者の中に >人を愛する、人の命を大切にする、 そうした根本的な人間らしい心がないから自殺してもいいだろうなどと、 自分の命を粗末に扱うのです。< という方がおられたので、少し考え込んでしまいました。 定型発達の方にとって自殺とはどの辺までを言うのだろうと? 私はアスペルガー症候群を医師より診断されていまして、モノの考え方や感じ方が「一般的な範囲」と重なっていないことが多いです。 自殺というワードでも、多くの方が抱く共通概念と違う捉え方をしていないか、少し確認してみたくなりました。 以下、私が自殺と思う事例をいくつか挙げてみるので、自殺かそれ以外の何かになるのかなど、皆さんの思われるところを教えていただけると嬉しいです。 積極的自殺(自己の気持ちで完結する理由の自殺) ● 借金・病気などの苦で命を絶つ ● 何らかの犯罪の被害者になってしまい、生きていく活力より死への渇望が上回り命を絶つ。 ● 将来に望みを持てなくなり「死んだほうがまし」と思い命を絶つ。 職務的な自殺(軍人の犠牲的献身など、立場上称賛される死に方) ● 敵機動部隊を見つけた偵察機が、より確実な接敵成功のため帰りの燃料が無いのを承知で攻撃隊を敵機動部隊に誘導する。帰還は不可能、着水しても助かる見込みもなく「先鞭」として敵艦に突っ込む。 ● 護衛対象の民間商船に魚雷が迫っており、商船側での回避は不能。火器運搬船であるため、一発当たれば大爆発してしまう。敵潜を警戒していた警戒機が「これも俸給のうち、100人より2人の方が被害も少ないですしね」と商船側に伝え、魚雷に体当たりをする(真冬のベーリング海近海で着水すれば確実に助からない)。 ● 羽柴軍に責められ水責めされた城の城主が、城の人々の助命と引き換えに船上で割腹。 信仰や信念による自殺 ● 古代アテネの様に、生贄になることが社会的な名誉となり、自ら志願して命を落とす。 ● 衆生救済のために即身成仏をする。 ● 信仰を守るため、改宗を拒み命を落とす(断れば殺されるのが自明で、他者の手を借りた自殺とも思える)。 こんな感じですが、私はこれをすべて「自殺」と思っています。社会的な貢献や時代背景、個人の立場など加味して、注意深く考える必要があるのは当然ですが、 自ら命を絶つ(立たれる状況に積極的に持ち込む)ことが自殺だと思うのです。 行為の崇高性とは別で。 上記の行為は、定型の方は私と同じように「自殺」だが崇高な行為や多くの人を救う行為もあると捉えるのか、 やはりいけないことと考え  >人を愛する、人の命を大切にする、 そうした根本的な人間らしい心がないから自殺してもいいだろうなどと、 自分の命を粗末に扱うのです。< と思われるのでしょうか? 法律的なところや、学問的な部分ではなく、皆さんがパッと見て感じた部分を教えていただけると幸いです。 私とのずれや、感じる手順やモノの見方の違いを勉強させていただきます。 どう思われます? 注意 私が自殺したいとか、希死観念が強いということではなく、純粋に同じ語句ので、他の方との感じ方のずれがあるのかを知りたいという趣旨です。 私が死にたいと思うという立ち位置からの回答はご遠慮願います。質問の内容を書いてください

質問者が選んだベストアンサー

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noname#211894
noname#211894
回答No.4

積極的自殺と記載されている物に関しては、自殺で良いと思う。 職務的な物は自殺とは言いがたい。 信仰的な物もね。 個人的な自殺の場合は、救われるのは自分だけであって、職務・殉職となるものは、救われるのは自分以外の人です。 信仰的な物で、実際に人が救われるかどうかは別になるけど、死のうと思う者、死んでも良いと思う者は、他人の幸せを願うもので、殉職を含めて、自己の保身のため死ぬのとは違う。 積極的自殺では誰からも賞賛をされることは無いし、親族以外では悲しむ者もいないでしょう。 他人のためを思うか、自分のためを思うかの違いだと思いますよ。 これが私の区分のしかたです。

miyabi16
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、他人ためか自分のためか、わかりやすく説得力もある答えです。 私が挙げた例示のこと、実は私はすべて「自分のための決断」と思っています。結果が称賛されるか否かは別にして。 この辺りの感覚が、私が自殺をよくわからない原因なのかもしれませんね。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.8

精神科に関わったことで死に追い込まれている人の実際の数と自殺といった形で亡くなられた人の数を比べた割合自体は多くはないという見方もできるのかも知れませんね。 http://progmedia.edgesuite.net/videos/cchr/ja/cchr-commercial-bottom-line_1280_ja.mp4 例えば、電車の飛び込みや飛び降り、リストカットなど、精神薬の服用歴がなかったかという統計について、7割以上という噂を聞きました。 私も詳しくデータを探してみます。

miyabi16
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 私が参考にしているのは下記のサイトです。 http://www.ncnp.go.jp/nimh/keikaku/vision/index.html 色々な研究資料があり、自分に読み込むのが大変ですが、役に立つと思います。 正直、煽るような映像は好きではないです。なので、つい反証を探してしまいます。入院患者の年齢だとか、病理として自殺しやすいとか、薬以外の要因も多くあるので、極端の話には疑ってしまうのです。 お互いに、勉強して詳しくなれるといいですね。 回答ありがとうございました。

  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.6

一つ自殺の主な要因として付け加えますと、精神科に通い始め、精神薬の持つ副作用による自殺衝動です。電車ゃ飛び降りなど、その他自殺される方の高い割合で精神科に通い、精神薬を摂取しているケースが認められています。 悩んでいた、精神を病んでいたという理由で、精神科治療の闇の部分が見過ごされがちですが、精神薬の副作用に於いては、はっきりと明記されています。なぜ、行政がより強く規制を掛けることができないのか?と申しますと、行政が本来心の拠り所とする宗教やそれに類するものを斡旋できないこともあろうかとは思いますが、大学機関から製薬会社、そして精神医学団体が社会構造に組み込まれてしまっているからです。独善が社会的常識を作り出していることです。 自殺を考える方に、摂取させられている精神薬について説明すると、断薬指導から少なくない方が回復に向かうケースが年々顕著に増加しています。 精神薬が自殺の後押しをしていることをまず考慮すべき事実としてお伝えしておきます。 参考までに。

miyabi16
質問者

お礼

ありがとうございます。 薬による自殺率は、以前少し調べたことがあります。 統計として、そこまで大きな有意差を私は見いだせなかったのですが、新しい資料が出てきたのでしょうか? それとも解釈の変更でしょうか。自殺に含まれない自殺っぽい状況もあるらしいですから。 ただ、今回私が例示として挙げたものは、たぶん薬物は関係ないと思います。その辺を踏まえてどう思われるでしょうか? ありがとうございました。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.5

他の回答者さんともかぶるかもしれませんが「自分の意思で自分の手により死ぬ」のが自殺かなと。例えば車にひかれそうな子供を助けようとして自分が車にひかれて死んだ、だと「自分の手により死ぬ」とはちょっと異なってくる(直接的な死亡原因は別)なので、自殺とはいいがたいとおもいます。

miyabi16
質問者

お礼

ありがとうございます。 直接的な死因と自殺の関係も、難しいと言えば難しいのですね。 即身成仏しようと思っていたら、地震で圧死してしまうと、条件が変わって判断に苦しみます。 そう考えると、すごく難しい問題です。 ありがとうございました。

noname#211345
noname#211345
回答No.3

自殺かどうかは 死んだ後 自身で解かる様になっています・・ どーせ この世には 居ないのだから あの世の方針に従うまでです・・ この世の方針なんて 関係無くなります・・(と ・・思う・・) 「地獄は自分で作るもの 天国は人間全員で作るもの・・・なので 未だ 天国は建設されて無い・・」

miyabi16
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり自分が死ぬまで「自殺」とは何かを真に理解はできないということでしょうか。 新たな定義で、驚きです。 そういう考え方もあるのですね。 ありがとうございました。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.2

幸福の科学では、キリスト教と同様に自殺を禁止しています。 そして、自殺すると、魂は本来の寿命まで地上に留められ、地獄にも天国に行けないのが基本ルールといわれています。 でも、ルールがあれば、そこに例外も存在します。 質問者さんがあげたような職務的な自殺に近いケースとか、多数の部下を戦いで亡くした将軍が、勝利を得たあととか、戦いが終わったあとに自殺っていう事例は、大川総裁の御法話によれば、例外的なケースになる可能性もあるみたいです。 例えば、アニメ版1作目の鉄腕アトムの最終回は、地球を救うために、暴走した太陽にアトムが突っ込むというストーリだったといいます。「ああ、地球だ・・地球は綺麗だなぁ・・」がアトムの最後の言葉だったといいますが、こういうケースは、形としては自殺ですけど、天国コースになる可能性が高いでしょうね。 最近のアニメでは、攻殻機動隊のタチコマが、バトーを救おうとして、不発だった榴弾を体当たりで爆発させる自爆攻撃を仕掛けたケースや、核ミサイルに自分が搭載されている人工衛星を落下して攻撃を防いだケースなどが印象に残っています。 まあ、人工知能のロボットに魂が宿るのかは難しい問題ですが・・・。 いずれにしても、その自殺的な行為を、残った人達とか、神様からみて、「素晴らしい!」と評価されれば、天国コースになると思います。 P.S. 大東亜戦争当時、日本が大敗北したミッドウエー海戦において、米軍側は、帰りの燃料が無くなるのを承知で、日本の空母探索のために、長時間の偵察と爆撃のための飛行を継続したといいます。 実際に空母までたどりつけずに、燃料不足で海面に不時着した米爆撃機もいたそうです。 ただ、米軍は、不時着予想地域に潜水艦を配備しておくとか、着陸が安全にできるように、ライトを使って米空母を目立たせ、パイロットが着艦しやすいように配慮して、できるだけ生還できるように配慮していたそうです。(ライトで空母を照らすのは、禁止されていた行為だそうですが、パイロットが着艦しやすいように、禁を破ったそうです。)

miyabi16
質問者

お礼

ありがとうございます。 宗教感でも違ってくるのですね。なおの事難しいです。 米軍の不時着水に、そこまでの悲壮感を感じないのは、私の偏見でしょうね。でも、助かると信じる気持ちが全然違う気もして、複雑です。

回答No.1

自らの意思で死にたいと思ったら自殺だと思います。 ホームに落ちた子供を助けるために死んでしまった人がいても、ニュースで自殺とは言われません。 なので、 軍隊が命を落とすのは死にたいからではなく誰かのため、 いけにえも死にたいからではなく誰かのため、 自爆テロも誰かのため、 これらは死にたいと思っていないので、自殺に当たらないと思います。 自分のためかどうかで判断すると、 宗教的に死ぬことであの世で・・・という宗教の価値観で自ら命を絶つのは、 自分が望む○○になるために死ぬので、自殺かな。 辞書にはなんて書いてあるのでしょうか?辞書は一応一般的な観点で書いてあるはずなので、いろいろな辞書を引いてみるのもよいかもしれません。

miyabi16
質問者

お礼

ありがとうございます。 goo辞書では「自分で自分の命を絶つこと」とありました。 自分のためかどうかですか。例えば、誰かのためという気持ちは、自分がそれをしないことで被る苦痛と天秤なのではと思ってしまう私と、 tanakanono さんでは、感じ方や同じ定義で自殺を考えても、出てくる答えが違うという感じになるのでしょうか。 難しいですね。 回答ありがとうございました。

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