宇宙の時間についての驚きの真実とは?

このQ&Aのポイント
  • 宇宙の時間は始まりがあり、それ以前の時間は存在しないことが科学的に明らかになりました。
  • 以前は時間が無限で過去や未来に無制限に遡れると思われていましたが、宇宙のビッグバンが時間の始まりであることが分かりました。
  • 時間の終わりについては物理学では分かっておらず、宗教や哲学に答えを求める必要があります。
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恥ずかしながらこの歳になるまで時間は無限じゃないかと思っていたんですが

恥ずかしながらこの歳になるまで時間は無限じゃないかと思っていたんですが、、、、。 宇宙物理の本(といっても一般向けの)を読んでいたら、時間には始まりがあるんですって。 宇宙のビッグバンとかいう言葉は聞いたことがあって、宇宙の始まり、実際にはビッグバンの「少し」前が始まりということは理解していたのですが、「宇宙が始まる前」なんてのを勝手に想定していて、時間はその前にさかのぼれるんじゃないかと、漫然と思っていたんです。 ところが、宇宙の始まりが時間の始まりであって、それ以前の時間は「無い」んだそうです。 科学は、ときどき非常識な真実をつきつけてくるものですね。 過去にも未来にも無限にたどれると思っていた時間ですが、過去に遡れるのは「ここまで!」で、時間は有限であることが分かった。 始まりがあると言われると「じゃ、おしまいは?」と聞きたくなるのが人情じゃないですか。 物理学では、宇宙の終わりは、今のところ「分からない」そうです。 いつの日かわかる日がくるのかもしれないですが、私の生きている間ではなさそう。 科学でわからないことは、宗教か哲学に答えを求めるしかない。 無限でない時間のおしまいについて、哲学は答えを用意しているのでしょうか? 宗教に行く前にちょいと聞いておきたくて。

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  • pugera542
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回答No.4

高度な科学は哲学と似たようなものですね。 きちんと科学を学んでから哲学に、 哲学を極めたら、自分で宗教を作るのもよいでしょう(笑) 未来が無限かどうかについて、こんな思考実験をしたことがあります。 仮定1.時間軸は未来に向かって無限である。 仮定2.高度な文明は僕らが考えるようなタイムマシンを作れる。 仮定1が成り立つとすれば、どんなに低確率であっても、 宇宙のいたるところで、人間のような生物が、人間のような文明を起こし、 さらにそれよりもすぐれた文明を完成させるでしょう。 どんな小さな確率であっても無限回試行すれば、無限回成り立つはずです。 なぜなら時間は無限なのだから。 次に仮定2を考えてみましょう。 ここで言う僕らが考えるようなタイムマシンとは、 過去の時間軸に物質を送れるようなモノだとします。 すると仮定2が正しいとするとどうなるか? 無限の未来においては、無限回の高度な文明が誕生し、 無限個のタイムマシンが作られるとなります。 無限個のタイムマシンは無限回のタイムスリップを行いますので、 無限の過去に向かって無限の世界の広さを たちまち埋め尽くすのではないでしょうか? 今この世界が、無限の未来の物質によって埋め尽くされてしまいます。 「今」は今この時しかありませんが、 「無限」は比較にならないほど多いですから。 仮にビッグバン宇宙論のように始点があるとすればなおさらです。 しかし、今現在未来人の一人もこの世で見ることができません。 ということは、 仮定1が間違っているのか、 仮定2が間違っているのか、 少なくともどちらかであります。どちらも間違ってる可能性もあります。 ということは「未来は有限」なのか 「(僕らの考えるような)タイムマシンは完成しない」 のか、どちらかということですね。 未来が有限かどうかの決定的な話にはなりませんけども、 ちょっとした思考実験で、二択にまで絞れました。 どちらにせよ残念な話ですね。 こうしたことを考え続けてたら、 いずれ答えは出るような気がします。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

大変興味深い思考実験ありがとうございます。 魚取りの田吾作の話、ご存知ですか? 昔々、魚とりの田吾作は、一日中川辺に座って、魚が川面に飛び出すのを待っているのさ。 魚が川面に飛び出したころを、目にも止まらぬ素早い動きで、網で魚をとる。 まあ、確率で言うと、一日平均で10匹の魚が川面に飛び出してな、成功率は30%。 それで、日に三匹の魚を家に持ち帰ることができたんじゃ。 そりゃ、確率だからね、日によって違うよ。 それがね、ある日から、田吾作は一匹も魚を持ち帰ることができなくなったんじゃ。 まあ、確率の話だからそのうち30%に収斂すると信じて、毎日、毎日、川面に座って待っていた。 田吾作にとっては無限といえる程の長ーい年月が経った。 まー1000億年とでもしておこうか。 1000億年で一匹の魚を持ち帰ることができない田吾作は、女房に逃げられてしまったさ。 実は、確率を信じていた田吾作はあることを見落としていたんじゃ。 それはな、あの日から、川の温度が下がってな、まあ絶対温度で3Kぐらいかな。 つまり川面は凍りついて魚は二度と川面に飛び出すことができなくなってしまったんだ。 田吾作の確率が成立するのは「H2Oが個体でもなく気体でもなく液体のときだけ」ということを見落としておった。 確率を信じていた田吾作は1000億年分の後悔をしたけど、あとの祭りだったという話じゃ。 多湖明の「頭の体操」みたいでスンマセン。 このお話は作り話ですけど、無限に長い時間軸で確率論を論じるために必要な追加の仮定は、 「測定期間を通じて環境が不変であること」ですよね。 したがって、pugera542さんの思考実験を続けるためには、 「仮定3:宇宙環境は人類誕生の当時とあまり変化しなかった」 が必要なんですね。 ところが、現実には宇宙は膨張し続けており、質量一定、体積膨張、つまり密度低下、温度低下が続いている。 それに、エントロピーがなんだとか言って、「系の中での不可逆反応」もある。 そう考えると、今、未来人が見当たらないということが、未来が有限であることの説明にはならないかも、、、。

その他の回答 (13)

回答No.3

いわゆる、「ビッグバン仮説」が主張するのは、「今、私たちに認識できる宇宙で、今と同じ時間の流れ方(と、空間の性質)には、始まりがある」ということです。 そういう意味で、「われわれの宇宙は、ビッグバンとともに発生した」という表現をとることがありますが、あくまでも、「今のような性質の宇宙は」ということに過ぎません。 たとえば、氷河が溶けて川になったとします。 「川」としての始まりは、ある一点として定義できます。 しかし、その前は、「無」だったのではなく、性質の異なる別の物だったに過ぎません。 でも、「約××前、氷河期の終わりに、氷河の一部が溶けてこの地方の川が誕生した」という表現はそんなに不自然ではないと思います。 その前は、川ではなかったのですが、やっぱり、水の塊ではあったのです。 ビッグバン仮説の説く、「時間」や「空間」の誕生はこれほど単純ではありませんが、イメージとしては、さほど遠くないと思います。 また、この意味で、宇宙の終わりがわからないというのは、「難しくてわからない」というよりは、むしろ、「宇宙の終わりがどうなるか、決定するだけのデータがそろっていない」というほうが近いです。 この場合も、「今私たちが感じているような時間(および空間)ではなくなるかもしれない」のですが、だからといって、何もなくなってしまうというわけではありません。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

厳密な定義ありがとうございます。 >「今、私たちに認識できる宇宙で、今と同じ時間の流れ方(と、空間の性質)には、始まりがある」 で、 「今、私たちに認識できる宇宙で、今と同じ時間の流れ方(と、空間の性質)には、終わりがある」 とお考えですか? 科学でなくてよいです。 哲学でおねがいします。

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.2

相対性理論と言うのはご存知だと思います。 これが理解されにくい要因として「時間は相対的なもの」と言うものが有ります。 人間はどうしても時間を基準に考えてしまいますが、相対性理論では光速度不変と言って「光の速度」が基準となっているのです。 耳にした事も有ると思いますが、例えば光速の宇宙船に乗って宇宙に行って地球に帰ってくると宇宙船での時間より地球の時間の方が遥に進んでいるというあれです。(浦島効果とか双子のパラドックス等と表現) 乱暴な表現をすれば、時間とは「物質が運動している状態(原子核の周りを電子が回っているなど)」と定義すれば無の状態は物質が存在しないので時間自体も無いのです。 ビッグバンに関しては色々な説があり、詳細は忘れましたが現在の宇宙は6回目くらいのものだと言う説もあります。 簡単に言うと1回目より2回目、2回目より3回目と段々と規模が大きくなり現在の宇宙の大きさになるにはだいたい6回目くらいではないかということです。(6回目と書いていますが、私の記憶は曖昧です) 宇宙の終焉ですが、これはビッグバンに対してビッグクランチと呼ばれています。 今のところ仮説ですが、宇宙が広がり切ったところから今度は逆に収縮していくと言うものです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81 この説を採用すれば、最終的には宇宙誕生時に戻りますから、これが時間の終りとなります。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ありがとうございます。 とくに相対性理論の解説ありがとうございます。 名前だけしかしらなかったので、新鮮です。 「大変よくわかりました」と言いたいところですが、「大変よくわからなくなりました」ってとこです。 宇宙の終焉に関してBig Freeze / Big Chill / Cold Death仮説を取った場合、時間は未来方向に有限とお考えですか?それとも無限とお考えですか? 哲学でお願いします。

回答No.1

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100323001 宇宙の外側が存在するというニュースがあります なんにせよビッグバンも仮説であり今現在事実ではありません。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

情報ありがとうございます。 ナショジオがこんなに立派な日本語サイトになっているのを知りませんでした。 私としては「宇宙の外側」に取り組む前に、もう少し宇宙の内側を探求することにします。

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