• ベストアンサー

ハプスブルク家と周辺諸国

ハプスブルク家はいろいろな国と政略結婚を繰り返しました。ということは、ウィーン文化とはいろいろな国の文化が入り混じったものなのだろうと考えました。現在でもウィーンに残るもの(こと?)、文化で融合文化(スペインや新大陸、ハンガリー)であることがわかるものはなにかありますか?? わかりにくい質問で申し訳ありません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.2

少し勘違いをされているように思えます。 ハプスブルク家は、ずっとウィーンを本拠地にしていたわけではありませんし、近代まで続くハプスブルク家が過去に中心だったわけではありません。 フリードリッヒ3世以前のハプスブルク家は、ウイーンを本拠地にしていたアルプレヒト系(本家)とグラーツを本拠地とするレオポルド系、インスブルクを本拠地とするチロル系に別れており、近代まで続くのは、グラーツに本拠地を置くレオポルド系になります。 また、フリードリッヒ3世の子マクシミリアンが、ブルゴーニュ公国を手に入れてからは、本拠地がブリュッセルに移り、ウイーンはハプスブルク帝国の辺境となってしまいます。 その状態は、スペインのハプスブルク家が、断絶するまで続きます。 スペインのハプスブルク家が断絶した後、ウイーンがハプスブルク家の根拠地となりますが、それ以後婚姻政策で獲得した領土はありません。 またハプスブルク家は、他民族国家でしたから、中央集権をとらず、地方分権をすすめ、地方の不満が起きないようにしていたため、ウイーンへの一極集中のようなものは見られません。

pochi0157
質問者

お礼

理解が浅かったようです。 また色々調べてみます。ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.1

15年くらい前にウィーンに行きましたけど、小さな街ですよ。のんびりしてね、いかにもヨーロッパの古都の典型的な雰囲気を残した街だと思います。 治安の良さはほとんど日本並みじゃないかなあ。今は少し違うかもしれませんが、当時は地下鉄の改札に駅員はいませんでした。もちろん自動改札機でもなく。田舎の無人駅みたいな感じなんです。でもみんなちゃんと切符を買っていました。およそヨーロッパの都市って、夜になると雰囲気が変わってちょっと日本人には怖いんですが、そういうのが全くなかったですね。 オーストリアに行った後にスイスに入ったら、車は猛スピードで走っているし、ホームレスはそこらへんでゴミ箱あさってるしで「スイスは怖い国だなあ」と思った程です。スイスの治安もヨーロッパじゃトップクラスなんですけどね。 ウィーン・ハプスブルク家にどういったイメージを持っているか分かりませんが、いわゆる「文化のごった煮」のようなイメージを持つならそれはちょっと違うような気はします。いい意味で田舎くさいところです。

pochi0157
質問者

お礼

実際に見に行ってみたいです。 回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • ハプスブルグ家について

    ハプスブルグ家について質問なのですが、この名家はそもそもなぜあんなにも発展したのでしょうか?そして、スペインだったりオーストリアだったり様々な皇帝がハプスブルグ家から出ていますが、なぜいろいろな国の皇帝になれるでしょうか?wikipediaを見たのですが、あまりよくわからないので(おそらく難しいです)、簡単に教えてください。 また、この頃スペインはなぜそこまで発展できたのでしょうか?ポルトガルも大航海時代活躍したのに・・・ お願いします。

  • ハプスブルクブームの背景、エリザベート等

    ハプスブルク家を題材とした芸術作品が、日本において特にヒットしているように感じるのですが、気のせいでしょうか? (ミュージカル「エリザベート」や「うたかたの恋」、映画「ルードヴィヒ二世」など) また、日本では昔「ハプスブルクブーム」なるものがあったと聞いたのですが、時代背景などの理由があるのでしょうか? 個人的には、エリザベートとルードヴィヒを鑑賞して「同性愛」的な要素が、近年のBLブームに通じるものがあったのかな、とも考えています。 また、ミュージカルの「エリザベート」は、日本やウィーンではヒットしたにもかかわらず、アメリカやイギリスでは不人気だったとききました。 その背景も何かあるのでしょうか? (国民性の違いなど) ルドルフ皇太子のことを、精神異常者として記しているような文献も多いようですが、国により、歴史的なハプスブルク家の人間のイメージも違ってくるのでしょうか? 当方、宝塚歌劇を見てから、ハプスブルク家に興味を持った者です。 歴史に興味のある方や、ミュージカルに興味がある方、BLに興味がある方などなど、様々な観点からのご意見、楽しみにお待ち申し上げております。 宜しくお願い致します。

  • スペイン語圏のラテンアメリカ諸国の大学

    こんにちは。現在スペイン語圏のラテンアメリカ諸国の大学へ留学を希望しております。そこで、ラテンアメリカの文化や歴史を学びたいと思っているのですが、どこか優良な大学はご存知ないでしょうか? 国公立・私立は問いません。国も、メキシコ・アルゼンチン・ペルー・パラグアイなどラテンアメリカ諸国のスペイン語圏の大学であれば、どこでもかまいません。 大変ぶっきらぼうな質問なのですが、ご存知の方いらっしゃれば教えてください。お願いします。

  • 世界史定期テストについて

    1530年頃ハプスブルク家の領地ではない国を次から選んで下さい。 1ネーデルランド 2スペイン 3ポルトガル 4オーストリア

  • 政略結婚について

    政略結婚について調べていますがどうしても分からないことがあるます。 ウィキで政略結婚を調べてみるとこの結婚をすることによって 同盟を結び、戦争回避を目的としたもの 侵略推進を目的としたもの 相手の君主の継承権を得るため 経済的支援を得るため のいいことがあるみたいなんです。 政略結婚ってただ自分の娘を相手国に嫁がせるだけですよね。 下二つは結婚することによってできると思いますが、上二つは本当に出来るのでしょうか?? またどうして相手国は自分の国、または家が危なくなるのに受け入れるのでしょうか?? どうかお願いしますm(_ _)m

  • スペインはいかにして二流国家へと落ちぶれたのか?

    スペイン語は言語としては極めてメジャーですが、スペインという国は 国家としては比較的マイナーで、西欧の資本主義国でありながら、 サミットからは完全無視という先進国とは見なされない残念な扱いです。 かつて、スペインと言えば、世界の海を支配した強大な国家でした。 スペインが強大化するに至った経緯とは、非常にシンプルに説明すると、 こういう事です。↓  『15世紀まではイベリア半島はイスラム帝国の支配下にあり、それをヨーロッパ人に  手によって奪還すると、ヨーロッパとイスラムの優れた文化を融合させた  「良い所どり」の文化が誕生し、世界で最も発展した文化を築き上げた。』 では、今はどうかと言えば経済的にももうひとつだし、世界に通用する スペイン企業は?と聞かれても何も出てきません。 なんとなく、勘ですが、隣のフランス人によるスペインに対するイメージとは、 日本人が韓国に対するそれと類似しているような気がします。 スペインが韓国あたりと同レベルの二流国家へと落ちぶれてしまった 歴史的経緯とは何でしょうか?

  • アメリカとスペイン

    多民族国家であるアメリカ合衆国ですが、多くの国から文化的な影響を受けていると思うんですが、スペインから受けた影響って他の国と比べてどうだったんでしょうか。 文化的なことじゃなくても、米国におけるスペインの影響や関わりをおしえてください。

  • 欧州でのスペインの存在感

    スペインという国の欧州での存在感、位置付けを教えてください。 まだスペインに行ったことがないのですが、ヨーロッパの中でどんな立場にある国なのかなと思いました。 現在のヨーロッパではフランスとドイツが経済的には中心的な役割ですね。 イングランドは、昔は大英帝国と言われていたし、最近では強いポンドの力でなかなかユーロに参加しようとしませんでしたが、歴史的にも、まぁ、メジャーな国と思います。 勿論、スペインやオランダもその昔は海商などによる強国でした。 Euroが誕生し、欧州は巨大な統合体となったように見えます。 それぞれの国が独自の文化を維持しながらも、経済や技術、人的資源などの交流は行われていると思います。 やはり経済的、そして文化的にもフランスとドイツ、特にフランスがリーダーシップの国なのだろうと思っていますが その中でスペインはどんな立場と強さを持った国として他のヨーロッパの国からどのように思われているのでしょうか。 また、スペインの人達はどう思っているのでしょうか。 単純に言うと、フランスに対する憧れが強かったりするのでしょうか。

  • コロンブスが新大陸を発見しましたが、スペインにどのような変化を与えたの

    コロンブスが新大陸を発見しましたが、スペインにどのような変化を与えたのか。 また、現在のスペインにどのような影響を与えたのかを知りたいです。

  • 迷っています⇒ドイツ&オーストリア vs 中欧(プラハ・ウィーン・ブタペスト)

    9月下旬に60代の両親と一緒にヨーロッパ旅行を計画中です。 この旅では、趣きのある建物や街並みを堪能できればと思っています。 また、母が音楽好きで、今年はちょうどモーツァルト生誕250周年でもあることから、オーストリアには行きたいと思っています。 したがいまして、オーストリアを基準に「ドイツと組み合わせるか」「チェコ・ハンガリーと組み合わせるか」で迷っています。 今迷っているプランは、大きく分けて2つあります。 (1)ドイツ&オーストリア8日間 行程:ドイツ(ライン川クルーズ~ハイデルベルグ~ローテンブルグ~ロマンティック街道~ディンケルスビュール~ノイシュバンシュタイン城)→ オーストリア(ザルツブルグ~ザルツカンマーグート~ウィーン) (2)中欧3ヶ国(プラハ・ウィーン・ブタペスト)8日間 行程:ハンガリー(ブタペスト~ドナウ川クルーズ)→オーストリア(ウィーン)→チェコ(チェスキー・クルムロフ~プラハ) 私は、中世の美しい街並みが堪能できそうな(2)に傾きつつあるのですが、両親にとってはチェコやハンガリーはドイツに比べてマイナーなイメージであまりピンとこないようなのです。 そこで、これまでドイツ・チェコ・ハンガリーに行かれたことがある方に「ドイツ派」か「中欧派」かのご意見・おすすめ情報等をいただければと思いご相談させていただきました(全ての国の情報でなくとも、いずれかの国について教えていただけるだけでも嬉しいです)。 ちなみに、旅行代理店の添乗員付きツアーに参加する予定です。両親も私も、ヨーロッパはこれまでイタリアのみ行ったことがあります。 勉強不足のため的を得ていない質問になっているかも知れませんが、よろしくお願いいたします。