• 締切済み

KYとゆう言葉について

KYとゆう言葉について 直訳ですと「空気が読めない」とゆうことになりますが、「読めない」わけではない場合もあると思うのです。 1:ホントに(空気を)読めてなくて、流れからズレた行動(発言)をする人と、 2:空気は読めているが、ここはその流れ(空気)ではいけない、とある種の信念のもと、独自(少数派。流れとズレる。)の考えを述べる人、 上記の2パターンあると思います。 そして、 空気を読み取る「洞察力」が非常に足りない人でも、表だった発言や行動をしなければ、流れからズレるとかズレないとかのジャッジが発生せず、結果的にKYにはならない事もあるはずです。 ■ 「KY」は、「洞察力がない」のとは必ずしもイコールではないと思います。 空気とズレる、空気を乱す、のは現象を見れば分かりますが、「読めない(洞察力や観察力がない)」のとはイコールではないはずです。 強いて言うなら、「空気に合わせない」かな。 ■ KYとゆう単語の流通が一回りして、「読めない」Yとしてではなく、結果とにかく「空気と違う人」を指す記号のようになればいいですが、「読めない」とゆう要素が含まれてしまうと、賢くない感じがするので、しっくりこないんです。 KYを使っている人は、先述の、1と2の違いを意識していますか?

みんなの回答

回答No.6

質問者さんの違和感に共感します。 「(KY)空気が読めない」という言葉が流行しはじめた時、私はこれは日本語ではなく協調性の無さを冷やかすための”俗語”と解釈しましたが、あまりに当然のように様々な場面で使われるようになって、えーそんな言葉ってある?と思わず広辞苑をひいてしまいました。第三版には「•空気②その場の気分、雰囲気」とあるだけでしたが。 「空気を読む」なら10代に国語で習ったと思います。 例文を作るとしたら、↓こんな感じが正解。 「A子は二人の険悪な空気をさっと読み、双方にお茶をすすめた」 これって、ふつうは見えない「空気」を見る位に気の利いた行動をした人に対して使う言葉ですよね。なのに今は、みんなと同じ事をしないとKYだったりして。仮にA子が皆からちょっと浮いている子だったら、この行動もそう言われるんだろうなあと・・・。うわーぜったいいけませんよ!そんなの。 空気とズレる、空気を乱す、空気と違う・・・言い替えても、結局あまり変わりないような気がします。それよりも私個人としては「空気を読む」という日本語を正しく使おうと思っています。

anikimae
質問者

お礼

ありがとうございます 「協調性のなさを冷やかす」 まさにそうですね! 冷やかし、意地の悪さ、悪意、時にはイジメが入ってますね。 そうでない場合(友好的な関係の下のジャレあい)もあるけど、これはある意味、応用編とゆうか、ネタとしてもじっただけですから、省くとしまして。 大抵は嫌ってる事の表現に使いますね。 しかも、「その意見」「その行動」を否定するのでなく、その人の性質を否定する言葉だから、ディスカッションにすらならない。 と同時に「その意見」を否定した感じを与えつつ、「その意見」の正否には責任持たない。 否定したなら、(周囲は)確固たる確信のもとに、否定し続ける持続力を見せるべきなのに、そうでもない。 否定され損です。 それが「KY」の使われ方です。 ...また脱線しました。。 「読めない」とゆう語源じゃなければ、僕はあまり気にしなかったんですけどね。 尊敬を込めて「変人」と呼ぶ、などは好きですから。 少なくとも、こっちの持っていないものを相手が持ってる感じがしますし。 一方「KY」は、こっちが何を持ってるのかすら見えてない、みたいな、非常にアホっぽい。

  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.5

#2です。 もちろん洞察力のない1がKYであることは当然ですが、空気は読めているが、ただ単純に反対意見を述べるだけであればやはりKYだと認識されてしまうのは当たり前だと思います。 anikimaeさんの言うとおり、向上心のない集団などにやむを得ず所属している場合、まず自分がその空気を変えることができるか否かを判断することが正しい選択だと思います。 自分ができないと判断したら、それが可能な人間(課長・部長等)に意見するべきであり、その他大勢の前で同僚や上司に面と向かって発言するならばやはりKYであるということになってしまうと思います。 KYでないということは、まずその場の空気を読み、己の立ち位置を確認し、正しい方法でその対処ができることを言うのだと思います。もちろんその場の空気に流されるということではありませんのでよろしくお願いいたします。 余談ですが、なんか書いていて#1の方の「KY」とこの「KY」が非常に似ているような気がしてきました。

anikimae
質問者

お礼

ありがとうございます 繰り返しになりますが、「KYとは何か」ではないんですよ。 私がこだわっているのは、読めてない「Y」ではないのではないか、とゆう事。 他の補足やお礼を前提としていただかないと、話の流れを読んでいただけないはずでして、、、 わりと露骨にその辺りの描写をしましたが、読み取っていただいておりませんか?

回答No.4

「KY」と言う言葉については・・・ 本当にその場の議論の流れや雰囲気を理解出来ずに、つまり、「空気を読めずに」発言や行動をしてしまう人・・・(1)のパターンにおいてのみ使うのが適当だと感じますよ。 (2)のケースの、流れを理解しながら、「自分の信念」に基づいて、敢えて違った発言をする事は、本来「KY」と呼ぶべきではないのでしょうね。 ただ、「KY」と言う言葉が使われるケースは、往々にして、居合わせた仲間が、「ここはみんなに同調するべき」或いは、「議論の流れを乱さないようにするべき」であると感じている時に多いと感じます。 もちろん、他の回答者の方がおっしゃっているように、場合によっては流れが間違った方向へ傾いている時に、敢然と異を唱える事が「KY」と呼ばれることはあるでしょうが、それは後になって「正論」であった事がわかるでしょうし、さもなければ、その集団そのものが「異を唱えた当人」とは異質のものであったということでしょう。

回答No.3

あなたの提示されたい問題意識に心から共感する者です。 KY=「空気が読めない」と全てネガティブに捉えられるとしたら、人と違う言動は全て良くない、と捉えられてしまう可能性があります。 あなたのおっしゃる通り、空気を読んだ結果、敢えて空気(周囲の人)と違う言動を取る場合だって考えられる訳であって、KY=「空気が読めない」を全てネガティブに捉える考えは間違っていると思います。皆が同じ言動形式を取るようになったら、社会に進歩はなくなりますし、異分子を排斥する集団暴力にもつながると思います。今、ちょっとでも考えや外見の違う人間が近寄ると、「うざい」とか「きもい」と言っていじめよう、とする一部の小中学生と同じです。 少し前に、何かのアンケートで、「周囲の空気に自分の行動を合わせようとしているか?」と聞いた所、近年'YES'と回答する率が増えているとの報道を聞いた記憶がありますが、全く由々しきことだと思います。 自分の行動を決める際に、周囲の考えを聞いたり文献を調べたりすることは重要ですが、いつでも最終決断は自分自身の信念に基づいてするべきと信じています。

anikimae
質問者

お礼

ありがとうございます そうなんです、現在の風潮においてKYと言われる状況は、建設的でなくなるとゆうか、その辺りの非常にデリケートなディスカッションの場の、ある特定の一場面に対し、総まとめ的なネーミングとして、「KY」でして、、 それは、大づかみ過ぎるんですね。 様々なジャンルの「プロ」の本気の世界において、奇才、鬼才、異才、異端、などと言われるアーティスティックな人材がおりますが、 日常生活の延長で、この方向に向かおうとしようとする「芽」を摘み取る風潮に一歩進めたのが、KYとゆう単語の出現だと、憂いております。 私、個人的には、アーティスト肌でして、世の中が多様化していくのが好きなので、KYとゆう単語の出現は足枷になりますね。 *すみません、根底的な考えが放出し、質問の本筋からズレてしまいました。。 ■ 本題に戻しますが、 私がこだわっているのは、読めてないわけじゃない場合は区別するべきだろと。 やっぱり、KA:空気に合わせない、や、KN:空気に飲まれない、とかがいいです。 私がこだわっているのは、ネーミングの問題なのです。 なお、ホントに空気読めてなくて、オチのない話を長々したりする人や、マイクをはなさない人、いますが、これはKYでいいと思います。 KYの適用範囲の安直な拡張は、変な事になると思います。

  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.2

進化論的(あくまでも的です)に言えば、空気が読めないということは、環境の変化に対応できていないということになります。環境の変化に対応できなければ、その種は滅びるか他所へ移動するしかありません。 もちろんその場の環境を変えるという選択肢もあるのでしょうが、周囲が付いてこなければ白けてしまうだけでしょう。普段からKYだと思われている人の言に耳を傾ける人が多いとは思えませんので、これはかなりエネルギーが必要で、その人の立場や影響力、信頼などがないとできないことです。 したがってKYな人とは、「賢くない」のではなく「生存の危機に瀕している」可能性がありますので、常に自分の立ち位置の確認を怠らないで下さい。

anikimae
質問者

お礼

ありがとうございます いたって普通の「KYとは何か」の話ではないのはわかっていただけますでしょうか? 「読めない」とゆう部分の話に言及させてください。 「必ずしも読めてないわけじゃない。」と。 ちなみに、私ではないですよ。 論理的でフェアな考えが好きなので、昨今の「○○はKYだ」とゆう安易な位置付けが、やはり安易だなぁ、と思うことが多々あるので。 例えば: 向上心のない集団などにやむを得ず所属している場合など、 「さぼろう」「ズルをしよう」「ちょろまかそう」といった空気があります。 ソレに反する意見を述べるAさんは、KYになります。 Aさんは、周囲の空気が読めてなかったから、そうしたのでしょうか? 周囲が、さぼりたい空気を出しているのを、そんなものは分かってるけども、事故が起きてからでは遅いから、あえて(この集団の中では)悪役を演じる、と。 この手のパターン、あると思うんです!

anikimae
質問者

補足

お礼コメントを踏まえての補足ですが、 Aさんは、「さぼらせてくれない人」であるのは事実でしょう。 その集団ではKYとなるのでしょう。 ここで問題視したいのは、空気が読めてない人ではないんじゃないの、と。 そのKYレッテルを放置すると、人の気持が読めないヤツ、洞察力がないヤツ、と変化するのが「評判」とゆうもので。 さぼらせないヤツ、と言われるのは仕方なくても、人の気持が分からないとまで変化されたらねぇ。 そもそもが、 確かな人物が「KY」とゆう単語を作ったわけではないので、読めない読めるの部分ではなく、合わせる合わせないの部分が肝である、とゆう所までケアできていない単語なのかと思います。 これが、「KA:空気に合わせない」だったら、何も問題ないのですが。

回答No.1

関連するQ&A

  • KYの乱発について

     20の男です。最近若者を中心にKY(空気を読め)という言葉 を頻繁に使う人が増えています。そのことに疑問を感じています。 例えば、ある人との会話の中で明らかに会話の流れに沿わない発言 をしたり、関係ないことを言うのはKYに該当すると思います。 しかし、単に自分の都合が悪くなったときや思い通りにならない 場合に使う人もいるので、KYという言葉を不快に感じることもあ ります。  空気を読むことはコミュニケーションをとる上で大切だとは思って いますが、空気を読もうとすることにこだわって相手の顔色ばかり うかかがうのはどうか?と思います。皆さんの意見をお願いします。

  • 「KY」「空気を読め」が出現する以前、これをあらわす言葉は何でしたっけ

    「KY」「空気を読め」が出現する以前、これをあらわす言葉は何でしたっけ? 2,3年前から「KY」「空気を読め」という言葉が流行っています。 ご存知のとおり「空気を読め」は周囲の雰囲気を察することができない人に対して「周りに配慮した行動をせよ」という嗜めの言葉であり、それを「空気を読め」と表現し、「KY」はそれを略語風にした言葉遊びです。 この「KY」「空気を読め」という表現が出現する前は、この意味を表す言葉、単語ってどのようなものがありましたでしょうか? 「気を使いなさい」 「TPOを考えなさい」 というような硬い、面白みの無い言葉でしたでしょうか? それとも「空気読め」というような若者の言葉遊び風な言葉がありましたっけ?

  • KYってなに?

    KYってなに? はじめまして。 私の彼氏が、「空気的に帰れる雰囲気じゃなかった」「空気的にそうせざるを得なかった」というようなことをよく口にします。 話を聞いてみると、「周りに合わせるのが日本社会のルール」であり、「守らなければ周りから疎まれる」と思っているらしいのです。 しかし、私はちょっと合わせなかったくらいで悪意を持つような人はいないと思うし(いたとしてもそんな人とは友好関係を築けなくていいと思う)、意思表示をして万が一にも糾弾されるのが恐いだけのように見えてなりません。 というか、空気を読むという行為自体、そもそも相手の感情を汲み取って相手のためを思って行動することであり、自己保身のためにただ周りに従っておく、というのは違っているように思います。 彼の言っていることは正しいのでしょうか? 正しいのであれば私の考えを改めたいし、間違っているのであれば彼の被害妄想癖を矯正したいです。 この「KY観」について、皆様の率直な意見をお聞かせください。

  • 人生相談です。空気が読めない。KY。

    24の男です。 昔から、人と話すことが好きで、話題に困るとこっちからは話せなかったりしますし、人見知りな方なのですが、話すこと、コミュニケーション自体は大好きなんです。  高校生くらいから、「俺って、KYな気がする。俺がふと話したり、ちょっとでも話題の方向を変えると空気がおかしくなる」ととても深刻に考えちゃうんです・・・。  「そうそう、そのことなんですが、この前僕、こうこうこうだったんですよ」などと、できるだけ流れを汲んで自分から話したりしているのですが、あとで「あ、これはちょっとズレてたな、うわあ、絶対KYなやつだって思われたよ」と凹むんです。 それで、一度でも「ヤバい」と思うと、余計に空気を読もう、空気を読もうとそればかりに意識がいってしまって逆にもっと空気の読めない発言をしてしまったりして、帰り際に「うわあ、また印象悪くなったかな」とか「なんて俺はコミュニケーションや人との距離が下手なんだ。こんなだったらコミュニケーションが嫌いな人間に生まれるんだった」って自己嫌悪、後悔、申し訳なさ、自分への腹立たしさが込み上げてくるんです・・・。  でも友人は「本当に空気の読めない人は自分がKYだってこと気づかないよ」って。 本当でしょうか? もう少し行き当たりばったり気味に話したり、「自分ごときの発言に対してよっぽどのことを言わない限り人は気にしてないんだ」って開き直ったほうがいいんでしょうか? 空手を習ってるんですが、仲のいいグループが出来て、よく駐車場でダベって、楽しくて嬉しいのですが「はい?あ、ああ・・・。そうですね」とかいうリアクションになると「うわあやっちゃった」と気まずくなって・・・。 どうすればもっと空気が読めて、人との距離感を上手くつかめるようになるのでしょうか? アドバイスお願いします。

  • 実際にKYな人見たことありますか?

    KYという言葉が流行って、やたらとその言葉に敏感になる人が多いかと思います。 そこで、質問ですが。会社や学校で実際にKYな行動・発言を見たことありますか? あれば個人特定に繋がらない範囲で具体的に教えていただきたいです。 宜しくお願いします。

  • KYはわかるけど、KKって?

    KYってのが空気読めないっていうのはわかったのですが、 私の周りの若いもんが、「KK、KK」って最近使っています。 気になって盗み聞きしてたんですが、どうも、「KK=こうだ・くみ」のようで、とんでもない発言する人みたいな意味で使ってるようです。 だとするとホントつい最近できたってことですよね? いつの間に出来たのでしょうか?私も年でしょうか・・・?

  • KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか

    KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか  民主制には わざわざ空気を読む必要はなく 空気をかたちづくる必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。  KY というときの空気は このいわば白紙であるという意味での空気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとしたその結果であり その手段じたいであろう。  いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程にいまひとつ別の手段を持ち込もうとするときの思潮のあやつり手段である。  さいわいこの国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世志向)ならびにアマテラス予備軍症候群(アマテラス公民の無謬性神話を無条件に信奉する)》なる風潮がはびこっていて この風潮に乗れば KY としての空気も 上昇気流となること請け合いであるようだ。  たぶん その場合にも KY としての空気も読むことだけは読んだほうがよいはずだが 読んだ結果として KY という現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由である。  ご見解とご批判をたまわりたく。

  • KYな性格直したいです

    30代女性です。 私は自覚していますが、KY(空気よめない)性格です。 両手相にくっきりKY線がでています・・・。 私が話すと「え?」という空気が流れ、会話がとまります。 たとえば、 いま働いている場所は子持ちの主婦の方ばかりなのですが、 主な会話は子供、旦那、夕ごはんのメニューです。 私には子供がいないので、 お子さんの話になるとどう返答していいかわからず、 「かわいいね~」みたいな相槌をうつのですが、 なんだか、とんちんかんなこと言ってるらしく、微妙な空気になります。 言って、「ああ。間違った反応をしてしまった」と心の中で落ち込みます。 またほかの話でも、 ほかの人たちのようにテンポよく、気の利いた楽しいことが言えなくて、 「あわわわわ」みないな感じになって、たくさんの輪にいても、 ひとりでぽつ~ん、な感じがあります。 いい年をして恥ずかしいのですが、 こういう会話がきたら、こう返す、みたいな会話スキルが私には低くて、 なおかつKYなものだから、求めらている会話とトンチンカンなことを言ってしまい、 周囲にだんだん遠巻きにされていく・・・というのが、 私のスタンダートです(´・_・`) いい年なのだから、人並みのコミュニケーションを!と思いますが、 もうどうしていいのかわからないのです・・・。 女性同士の独特な群れる体質・・・というのも苦手で、 考えず一人で行動してしまって(食堂へ行く。会議室へ行く。など社内での移動のさい)KYな上に、こんな行動でさらに嫌われます。 自分では腹黒い人間ではないと思っていますが、 こちらから打ち解けようと思ってあけっぴろげに話してもダメだし、 気を使って笑顔をたやさずいても、キモがられます。 生理的にダメなのか?とも思いますが・・・。 こんな私でも、子供とお年寄りからは好かれます。 子供とお年寄りはピュアなので、私も好きです。 好きと思って接しているからでしょうか。 どうやったらコミュニケーション下手なKY体質を修正できますか。 どうぞよろしくお願いいたします。

  • KY は 草の根民主制への第一歩ではないか。

     KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか  民主制には わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。  日本人にあるまじきKYだ と言ってそれを読めという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとしたその結果であり その手段じたいであろう。  いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の中に持ち込み人びとに飲み込ませようとするときの思潮やまた圧力と感じられもする雰囲気のことである。  この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世志向)》が人びとの心の中に見られる場合がある。  あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》という無謬性の神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。  これらの風潮がはびこっている。  この風潮を読まないというKY は 未来社会への旗手である。  たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY という現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由である。  ご見解とご批判をたまわりたく。  なお最後にですが あらためて定義です:   ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに    言論をとおしてというかたちを超えて    おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って   ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの   意向をすでに汲み取って――    多くの参加者の意向がそれになびいているとき    そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • KY は 草の根民主制への第一歩である

     民主制には わざわざクウキを読む必要はなく クウキをかたちづくる必要もない。それこそ民主制の雰囲気は 空気のようなものだ。  日本人にあるまじきKYだ と言ってそれを読めという意味でのクウキは このいわば白紙であるという意味での空気のさらに上に別の訴える手段を持ちこもうとしたその結果であり その手段じたいであろう。  いろんな意味での党派の意向を 民主的な対話や話し合いという過程の中に持ち込み人びとに飲み込ませようとするときの思潮やまた圧力と感じられもする雰囲気のことである。  この国には お上には逆らえない・長いものには巻かれろ・寄らば大樹の陰といった《アマアガリ・シンドローム(公民アマテラスへの出世志向)》が人びとの心の中に見られる場合がある。  あるいはそのアマテラス公民のおこなうことは《あやまち得ない》という無謬性の神話が浸透していて アマテラス公民を無条件に信奉するという《アマテラス予備軍症候群》がしばしば見られる。  これらの風潮がはびこっている。  この風潮を読まないというKY は 未来社会への旗手である。  たぶんその場合にも KY はダメだと言われるときのクウキはそれをも読むことだけは読んでおいたほうがよいはずだが 読んだ結果として KY という現象が起きても構わないし 起きたほうがひとは よりいっそう自由である。  ご見解とご批判をどうぞ。  なお最後にですが あらためて定義です:   ○ KY の定義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   広い意味での会議において 会議としての意志決定をするときに    言論をとおしてというかたちを超えて    おもにヨリ高い権限を有する者の意向を人々がすでに汲み取って   ――必ずしもまだ発言されていなくとも噂で流されているところの   意向をすでに汲み取って――    多くの参加者の意向がそれになびいているとき    そのような同調という風潮を意に介さない傾向および志向性。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

専門家に質問してみよう