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モノの正体

あなたの見えている赤い色は説明できませんよね。それでも、あなたはこれは赤いといって私に示します。あなたは同じものを私も見ていると考えている。それが、赤いリンゴだとします。その色はもっと複雑です。でも、あなたは赤いと主張します。 もし、われわれが突如消え去って(ありうることです)、リンゴだけが残ったとしたとき、このリンゴの存在の意味はあるのでしょうか。誰にも知られずリンゴは自分の生をまっとうするだけです。そrでもリンゴにレーゾンデーテトルはあるのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yosiochan
  • ベストアンサー率20% (27/135)
回答No.7

私は以下のように考えます。 それを認識する存在がなくても、りんごが存在するというなら(りんごだけ残っているという認識があるなら)、存在意義はあるでしょう。 でも、存在という定義が、認識されて初めて存在するというなら、りんごは存在しようがないです。存在の意味があるとかないとかではなく、モノが存在するということイコール存在を認識されているですから、りんごを認識するものがない世界ではりんごの存在はないイコール存在意義はありようがない、と言えます。 そもそも「意味」ということ自体、それを意味づける主体が存在するわけで、主観的な評価(価値)だと思います。主観者なくして、「意味」はありえないのです。 つまり、りんごだけ存在することはありえず、ましてや存在しないものに存在意義など問えることはできないのです。 あなたと私は「存在」のあり方が違うようです。私の世界ではりんごを認識するモノのいない世界にりんごは存在せず、「誰にも知られずリンゴは自分の生をまっとうするだけです。」はありえないのです。

englishboy
質問者

お礼

不可知論ですね。とはいっても、やはり、、「誰にも知られずリンゴは自分の生をまっとうするだけです」という世界はあるでしょう。この宇宙がそうです。われわれは見えるものしか見ることができません。しかし、見解は異なっても実体はひとつのようです。 あなたをこのスレッド最高の回答にします。 20ポイント! おめでとう!

その他の回答 (6)

回答No.6

物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。 一般に感じられる、「三原色」や「赤は青の反対」などといった 「色」の本質の根拠は、どこにもありません。 その「波長の連続的変化」という一次元に、その波長の視覚的体験の蓄積による 印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う 現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う 現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。 要するに「空間的要素(客観)」のようでいて、そこには「時間的要素(経験=主観)」の 潜在が不可欠、ていう(最終的には、感覚器官表面での相互作用パターンに換言される)。 最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事によって生じています。 自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが宇宙(無の無限の闇に対する自我の射影)。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.5

プレ質問の後の本質問ですね(笑) このカテゴリーで、よく話題に のぼる、クオリアですとか独我論とか間主観性あたりが絡んできそうなことですね。 >あなたは同じものを私も見ていると ほぼ、信じているんでしょうね。 自分が見ている「赤」の複雑さを、点描画に使われた全ての色を持ち出すごとくに説明していたのでは甚だ効率が悪いですもの。 哲学らしくはないかもしれませんが、ま、適当なところで手を打たざるを得ませんのが現実です。 レーゾンデートルなんて、そんなものを考えだしたのはヒトなのであって、当のリンゴは、そんなの知ったことか、でしょうね?たぶん(笑) 昔の流行歌に リンゴは何にも言わないけれど、リンゴの気持ちは、よく わかる♪ なんていうのがありますけど、「リンゴの気持ち」を こしらえているのは誰でしょうか。 ヒトの思うこと考えることとは関係なく、つまり、真なる価値を言えるとすれば、「リンゴは自分の生をまっとうするだけ」という、そこにあるのでしょう。 でも、リンゴだって、生きもののうちに入るでしょうからね~。。。 私たちに知覚されるリンゴは存在しない。byばーかでぃ(笑)

回答No.4

>>> 誰にも知られずリンゴは自分の生をまっとうするだけです。 <<< englishboy様自身の回答が既に記述されています。 すなわち、生命体としてのリンゴは、「自分の生をまっとうする」という「存在の意味」を有しています。 「赤い」といわれようと、「青い」といわれようと、「うまい」といって食べられようと、「まずい」といって食べられようと、リンゴ自身(存在)と周囲との関係(認識)の狭間にてリンゴは「自身の生をまっとう」することでしょう。。。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

前半と後半は別のことのように思います。後半はリンゴの代わりにあなた自身を対象にして考えてみたらどうでしょう。消えるというのは死ぬということだとすれば、われわれ全部が死んでしまっては考える人がいなくなってしまいます。

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.2

答はいく通りも。 ・われわれが突如消え去ったら、われわれに知覚されないリンゴは存在しない。 これ、バークリの哲学。 これが正しい場合は、質問者の前提が間違っているから、質問が成り立たない。 ・太陽よ、もしあなたが光を照らす私たちがいなかったら、あなたは幸せと言えるだろうか。 これ、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭に出る言葉。 質問者のそれに近い疑問ですね。 ・花はただ咲くただひたすらに これ、相田みつをの言葉。存在の意味とか、そんなこと考えずに、ひたすらに「ある」。そしてあるがままのものでいいということでしょう。意味がどうのとか、そんな余計なことは要らないかもしれない。 ・桃李不言下自成蹊 これ、司馬遷の「史記」の中の言葉。「桃はなんにも言わないけれど、その実を取りにやってくる人が道を作る」ということ。われわれ以外に存在意義を作ることも可能かもしれない。

回答No.1

りんご自体に存在理由は人間主体でならあるのではないでしょうか?存在とか理由とか決めるのは人だけのような気がします。理性のなせる業ですね、多分。りんごは元を辿ればりんごの木から派生しているだけなのでりんご自体は唯の種子で次につなげようとする本能のみではないでしょうか?意味を持たせようとするのは人だけですよ。存在は誰でも知ったり知らなかったりして記憶になるから意味があるんだと思いますよ。でも自分が存在していたのは事実です。他の誰に認めてもらう必要はありませんね!(^^)!私はそれで良いと思いますよ。これだけではありませんが、これもひとつの意見です。

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