• 締切済み

わかりやすい著者

大学の4回生のものです。 哲学に対するイメージとして、 以前は、難解なだけの言葉遊びで文章を読んでも何を言ってるか結局よくわからないものという感じでしたが、 最近はやっと、先人達が生きていたときに何か大切だと思った物事について本気で考えた結果であって、その大切さは今の自分にとっても同じだという気がしてきています。以前持っていたイメージというのは、議論を厳密にしたいがために表現が堅苦しく難解になっていたことが原因なんだと思います。 今のわたしにとって議論の厳密さはたいして重要ではなくて、とにかく言っている内容の全体像と意味を理解したいと思っています。 こう考えた時、哲学に限らずとも、学問について全体像と意味を直観的な文章でわかりやすく論じてくれている著者の本を今からでも大学卒業までにたくさん読みたいなとなりました! ぼく自身がイメージしているのは、 哲学なら小阪修平さん 社会学なら宮台真司さん 経済学なら細野真宏さん のような方たちです。 主に分野としては哲学、社会学、金融の世界について今は知りたいと思っているのですが、どんな分野に対しての方でもかまいませんので、 この文章を読んでいただいて、誰か思いつく著者がいらっしゃいましたら回答いただけると嬉しいです!!

みんなの回答

  • tech22
  • ベストアンサー率35% (14/40)
回答No.1

◆そういうことなら、有斐閣アルマの入門書シリーズをこつこつ読むのが良さそうですが。見取り図を知りたいなら、今村仁司『現代思想の系譜学』、シュヴェーグラーの『西洋哲学史』、杉本栄一『近代経済学の解明』あたりも面白いですよ。この三冊は値段も安いですし。 アプローチの仕方は色々あるので、いくつか挙げてみましょう。 ◆あるいは、ご質問主様の読書傾向を読むに、今の時代を理解するうえでつながっていそうなものがいいのかしら? 私の趣味に従って回答すると、経済学でしたら二人のノーベル経済学賞受賞者の著作をお勧めしますね。 ハイエクの『隷属への道』(http://www.amazon.co.jp/dp/4393621824)と、アマルティア・セン『グローバリゼーションと人間の安全保障』(http://www.amazon.co.jp/dp/48185284042)を併読してみてはいかがでしょう? セーフティネットや社会福祉の話と絡んできますが、ある意味でこの二人は対極にあります。ただ、対極的であるということの意味は、巷間言われている通り、ハイエクが「徹底的な市場原理主義者」であり、センが「徹底的な社会保障擁護者」であるという分かりやすい把握とは、また違ったところにあると感じます。個人的な印象ですが。 セン自身が『不平等の再検討』で書いている『何の平等か?』という問題と絡んできますが、ある意味では新自由主義者たちは「機会の平等」の徹底を望む平等主義者ですから、彼らを不平等主義者として論じてしまうと議論が成り立ちません。昨今、そういう単純化が流行っているようですが。 また、センはベンガル大飢饉の経験から物事を考えているし、ハイエクの方は、ソ連で発生したシベリアへの強制移住と飢饉について触れていて、この二人は視点が違うだけなんだということも見えてくると思いますね。 ハイエクが論じる福祉国家と全体主義の問題は今日なお、大きな問題として存在しています。片や、センの論じる経済学と倫理学の近接関係も実に示唆的です。 近代経済学の始祖・アダム・スミスにしてからが元は倫理学者で『道徳感情論』をものし、自らの主著として挙げていたわけですが。 『平等』とか『福祉』とは何か? ということを哲学的な地平から問い直す上ではもちろんですが、ハイエクとセンを同時に読むことはきっと、それに限らず、これからの社会を考えていく上で、有用な議論の出発点への道を開いてくれると思います。とにかく二人が論じていることはテーマが広いので・・・。 「平等」をさらに遡って考えるなら、ルソーの『人間不平等起源論』やマルクスに行くでしょう。そういう具合に一つのキーワードを追いかけてまとめて本を読むと見えてくるものがあるのではないかと思います。 昨今やたらに持ち上げられている「現代社会のありようを一貫したストーリーで書き上げている」とされる社会学の著作には、アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(http://www.amazon.co.jp/dp/4753102246/)があります・・・私はあまり感心しませんでしたが・・・。これは姜尚中のゼミでも読まれているそうですよ。 ◆あとは、著者が勧める本を読んでみるのはどうですか? 宮台さんの本を読んでいるだけで膨大な参考文献の数が出てきていると思います。ニーチェ、デュルケーム、パーソンズ、ルーマン、デューイ、C.W.ミルズ、ミード・・・etc。 あの人の場合は政治学や歴史学に属する著者にも言及してますけどね。宮台さんの解釈の仕方以外の仕方で読めることもあるでしょう。その差異を追いながら読むのも楽しいのでは。 ◆また、お気に入りの著者に影響を与えた人の本を読んでみるのもいいと思いますよ。たとえばセンであればロールズの『正義論』は必読ですが・・・。 どうぞご質問主様ご自身の関心にあわせて有意義な読書をなさってください。

s11011102
質問者

お礼

とても充実したご回答ありがとうございます!! 質問してみてよかったです。とてもモチベーションがあがります。 たくさん参考にさせていただきます。 ありがとうございました!

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