• ベストアンサー

最後まで続いた縄文集落遺跡はどこですか

水田稲作を核とするいわゆる弥生文化に同化せず、狩猟・漁労・採集を生活の基本とした縄文人もいたと思うのですが、4世紀以降まで続いた縄文集落遺跡を教えてください。 サンカのように山野を移動した人たちを除いて、定住した人たちの遺跡です。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

ANo.2の続きです。 青森でさえ弥生時代前期に水田耕作が始まっています。(田舎館遺跡) 前にも回答したとおり「続縄文文化」「擦文文化」が質問者さんが欲するものにあたりますが、基本的には北海道地域にとどまるようです。 東北北部には「続縄文文化」「擦文文化」の影響がみられるようですが、「水田耕作はせずに狩猟・採集のみ」とまで言えるかどうかはわかりません。

goo-par1732
質問者

お礼

ふと思いついた質問に、再度のご教示ありがとうございます。 水田稲作は、関東には東北から南下したのではないかと、歴博が推論しています。(下記) 「関東で水田が確認されるのは前100年ごろ。その一方、日本海沿いに稲作は北上し前400年ごろには青森に到着。そこから太平洋側を南下していた。関東の稲作は、西からではなく、北から伝わった可能性が出てきた。」 縄文人が、水田耕作を見てすぐ米作りを始めたのではなく、畑作・漁労・採集生活を守った集団がいたのではないかと、思っています。 そのような集団が4世紀以降にいたとして、その遺跡が発掘されても、それは「縄文遺跡」ではないのかも知れません。 あいまいな質問に回答してくださってありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.2

ANo.1の続きです。 ちょっと誤解を招きそうな書き方になっていたので捕捉します。 狩猟・採集社会として「アイヌ遺跡」を掲げたのであって「縄文=アイヌ」という意味ではありません。

goo-par1732
質問者

補足

質問があいまいでした。 申し訳ありません。 近くまで弥生人が押し寄せたのに、水田稲作を導入せず、従来どおりの狩猟・採集生活を続けた人びとの集落遺跡があると思いますが、そのような意味で質問しました。 北海道以外でこのような遺跡をご存知ないでしょうか。

回答No.1

北海道地域は、その気候もあって近代に至るまで水田耕作に向かないところでした。 故に北海道地域では 縄文文化→続縄文文化→擦文文化・オホーツク文化→アイヌ文化 と変遷します。 「北海道のアイヌ遺跡」が答えとなるかと思われます。

関連するQ&A

  • 縄文住居と弥生住居。

    縄文住居と弥生住居の違いは何ですか。 紀元前のある時期、後世、弥生人と呼ばれる人びとが日本列島にやって来て、縄文土器とは明らかに異なる土器を作りました。 弥生人は、住居も作ったはずですが、縄文人が作ってきた“縄文住居”とは、どんな違いがあるのですか。 鉄や水田稲作の技術をもつ弥生人は、同じような竪穴住居を作っても、縄文人が作った“縄文住居”とはどこか違っているのでは、と思っています。 弥生人が初めて北九州へやって来て、定住し始めたころの住居がどんなものだったかは、ある程度分かっているのですか。 よろしくお願いします。

  • 縄文人の寿命

    縄文人の人骨が各地の遺跡で出ていますが、埋葬時の推定年齢は分かっているのでしょうか。 ヒトも自然界の動物ですから、狩猟・漁労・採集の生活では、長生きできないと思っています。 生物学的な見地からは、寿命は20年とか、31年ほどとか、推定されていますが、実際の発掘人骨の例ではどうなのか、気になります。 参考となるサイトを教えてください。よろしくお願いします。

  • 弥生時代の遺跡

    中学入試問題です。 解答ありますが、わかりませんので解説お願いします。 問題 朝鮮や中国から移りすんだ人々により米づくりの技術が伝えられました。その遺跡として、 A【今から2300年も前の水田のあと】が見つかっています。 問1.A【】について、その遺跡として正しいものを、次のア~工から1つ選び、記号で答えなさい。 ア 吉野ケ里遺跡 イ 登呂遺跡 ウ 三内丸山遺跡 工 板付遺跡 解答は、エの 板付遺跡となってます。 ウは縄文時代の遺跡なので違うとすぐわかるのですが、 吉野ヶ里、登呂、板付は弥生時代ですよね~。 弥生時代は、紀元前5世紀(あるいは10世紀という説も)~3世紀中ごろまで 2300年前は、紀元前3~4世紀となれば、弥生中期あるいは弥生前期なんですか。 吉野ヶ里をwikipediaで調べると水田のキーワードはありません。 水田跡は登呂遺跡、板付遺跡にありました。 板付遺跡と即答できるポイントがあれば教えてください 私の無知それとも、クソ問題でしょうか。。 ご指導よろしくお願いします。

  • 弥生人は韓国人の事ですか?

    狩猟採集の生活を営んでいた縄文人から渡来人(韓国から?)の 弥生人によって稲作生活を持ち込んできた経過があります。 この渡来人というのは、朝鮮半島からの事でしょうか?

  • 縄文・弥生の混合と日本社会の特性

    文系の出身ではないのですが,最近,古代史に興味を持ち始めました.日本には,もともと縄文人が独特の狩猟(加えて,栽培・農耕)文化を持っていたようです.あとから,稲作をする弥生人が移住してきたようです.大事件だったはずです.北九州の弥生遺跡では,弥生人同士の争いのあとはありますが,縄文人・弥生人は大規模な戦争をした様子はなく,どうやら平和的にゆっくり混血していったようです.後から来たものが先住者を殲滅することの多いヨーロッパの歴史とは大きく違うようです.不思議です.稲作は徐々に日本中に広まって,青森の縄文遺跡でも稲作のあとが発見されたりしています.日本人は,混血・雑種民族のようです.おおきく同じ文化・言語で暮らしていますが,西日本と東日本で異なる習慣・文化も息づいています.基本的に争いを好まず,忍耐強く,ものを大切にする暮らしを続けてきました.日本人(日本民族)がどのように形成されてきたのか,なぜ弥生人と縄文人が平和的に統合されていったのか,同一言語をもった雑種形成がうまくいったのか,その後の日本文化・国家の形成にどのような影響を与えたのか,世界史のなかで,それはどのような特徴をもつことなのか,わかりやすく解説した歴史書はありますか?そのようなことを研究されている大学・学者はいらっしゃいますか?まったく素人ですが,勉強してみたいです.

  • 縄文時代から弥生時代になった理由

    縄文時代は定住狩猟民族とか。弥生時代は農耕。劇的に変わったのは恐竜の絶滅のような異常気象があったのですか。弥生人は農耕ですので穀物のスットクがあり生き残れたのでは。

  • 三内丸山遺跡の栗林は何故農耕とされないのか?

     青森県にある縄文期の遺跡である三内丸山遺跡では、遺跡の周囲に広大な栗林が存在していた事が判明しており、この栗林は意図的に植林されたものと考えられている様です。  ところが三内丸山遺跡に関して調べてみた処、「NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落」等を始めとして、三内丸山遺跡では農耕が行なわれていたと見做していない情報が幾つもありました。  土地を管理し、植林等によって食用に供する目的で植物を増やして栽培していたのであれば、それは農耕だと思うのですが、何故、三内丸山遺跡の栗林は農耕と見做されないのでしょうか?  後それから、三内丸山遺跡の事を狩猟採集社会と見做す考えがあるという事は、その栗林で収穫される栗の実の量は、人口を支えるのに必要な食料の半分にも満たないものだったと考えられているのでしょうか?  もしそうではなく、人口を支えるのに必要な食料の半分以上を栗林等を始めとする栽培した植物からの収穫物で賄っていたという事であれば、その場合は農耕社会と呼んだ方が良いのではないでしょうか?(尚、食料の過半を農作物で賄っていたとしても、全てを農作物で賄っていない事をもって狩猟採集社会と見做すのであれば、現代社会もまた漁業等の農耕以外の手段によって得た食料も利用している事に変わりはありませんから、現代社会も狩猟採集社会と見做さねばならない事になってしまいます)

  • 縄文時代、弥生時代の人びと

    この◯×と、なぜそうなのか理由のわかる方、 回答して頂きたいです。 1、縄文時代の人びとは、小規模な竪穴住居を営んで居住していたが、青森県三内丸山遺跡では、大規模な集合住居と思われる竪穴住居も見つかっている。 2、弥生時代の人びとは、たてあなの他に高床倉庫も営んで集落を形成しており、佐賀県吉野ヶ里遺跡では、集落の周囲に濠がめぐらされている。

  • 日本の多民族:朝鮮系は政治、ユダヤ系は神社天皇、中

    縄文は多民族渡来 弥生は中国人(水田稲作と鉄を持ち込む)が渡来 日本の多民族は朝鮮系は政治、ユダヤ系は神社、天皇 すると、 中国系の職業はどうなんでしょう!

  • 素人の単なる疑問ですが、わが国「最古の加工品の出土品」は何でしょうか。

    素人の単なる疑問ですが、わが国「最古の加工品の出土品」は何でしょうか。 縄文時代前期の丸木舟が京都府舞鶴市の浦入遺跡で見つかっていますが、これより古い出土品はあるのでしょうか。 ただし、土器・石器に関しては、「最古の土器・石器」で検索すれば、なんとか解りますので、これらを除きます。 縄文時代、狩猟や採集に使ったカゴや釣り針、あるいは耳飾りなどの装飾品が出土したことがあったのではないかと思います。 パソコンで検索できる程度の情報でよいですから、教えてください。 よろしくお願いします。