解決済みの質問
ANo.2の続きです。
青森でさえ弥生時代前期に水田耕作が始まっています。(田舎館遺跡)
前にも回答したとおり「続縄文文化」「擦文文化」が質問者さんが欲するものにあたりますが、基本的には北海道地域にとどまるようです。
東北北部には「続縄文文化」「擦文文化」の影響がみられるようですが、「水田耕作はせずに狩猟・採集のみ」とまで言えるかどうかはわかりません。
投稿日時 - 2009-11-11 18:49:29
お礼
ふと思いついた質問に、再度のご教示ありがとうございます。
水田稲作は、関東には東北から南下したのではないかと、歴博が推論しています。(下記)
「関東で水田が確認されるのは前100年ごろ。その一方、日本海沿いに稲作は北上し前400年ごろには青森に到着。そこから太平洋側を南下していた。関東の稲作は、西からではなく、北から伝わった可能性が出てきた。」
縄文人が、水田耕作を見てすぐ米作りを始めたのではなく、畑作・漁労・採集生活を守った集団がいたのではないかと、思っています。
そのような集団が4世紀以降にいたとして、その遺跡が発掘されても、それは「縄文遺跡」ではないのかも知れません。
あいまいな質問に回答してくださってありがとうございました。
投稿日時 - 2009-11-12 20:25:46
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