• ベストアンサー

安楽死について

安楽死と自殺は倫理的にどう異なるのですか? 自分の考えのなかに安楽死はいいが自殺はいけないのではないかという考えがあるのですが・・・。

  • 医療
  • 回答数4
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Hageoyadi
  • ベストアンサー率40% (3145/7860)
回答No.4

比較すべきは尊厳死と自殺か、尊厳死と安楽死であるべきだと思います。

参考URL:
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=542716,http://www.onyx.dti.ne.jp/~saitone/rinrigaku/08.htm

その他の回答 (3)

  • upas
  • ベストアンサー率15% (24/155)
回答No.3

安楽死は病気で助かる見込みのない人を 身体的苦痛から開放してあげるみたいな事でないでしょうか。 >安楽死はいいが自殺はいけないのではないかという考えがあるのですが どっちもあまり変わらないのでは? 身体的苦痛と精神的苦痛という違いなだけで どっちも自分の意思ですし

  • azicyan
  • ベストアンサー率21% (368/1747)
回答No.2

「安楽死」 は 他殺です。

  • shindyJr
  • ベストアンサー率35% (463/1321)
回答No.1

どちらの死に方も本人の意思によることは共通してると思いますが、倫理的というよりは手続きの差異では? 「安楽死」ってのは医師による医学的措置で苦痛を伴わずに死ぬ措置で、「自殺」は苦痛の有無に関わらず自ら絶命に至る行為のことじゃないですかね。

関連するQ&A

  • 死は恐くない!!

    こんなふうに考えれば死(自分の死)は恐くないという考えをお持ちの方がいたら教えて下さい。 *霊界とか魂のことを持ち出すのはNGとさせて頂きます。 *私は別に自殺を考えているわけではありません。

  • 死との上手な付き合い方

    精神科でパーソナリティ障害と診断されている20代女性です。 現在、治療をしながら、通信制大学の学生をしています。 私は中学生の頃から自殺願望がありました。 原因は学校でのいじめ、それに伴う不登校や親との喧嘩などでした。 私にとって、死とはもちろん怖いものでもありますが、とても大切なものです。 耐えきれないほど辛いこと悲しいことがあると、私はいつも「死にたい」と思ってきました。 そう思えば、その辛いことから逃げられるような、不思議な安心感があったのです。 いつの間にか、死というものが人生の中で私の心の支えになっていました。 正常な人ならば辛いことや悲しいことがあっても、その次に自分がとる行動の選択肢の中に「自殺」はなかなか入らないでしょう。 しかし、私の場合、常に「自殺」が行動の選択肢に入っている状態と言えると思います。 そのおかげで私は今までどんなに辛いことがあっても生きてこられました。 死がどんなときも選択肢にあれば、人生で何が起こっても怖くないからです。 だって、死んだら終わりなんですから。(私は死後の世界とかはあまり信じていません) でも、最近よく考えます。 常に自殺を選択肢に入れている私は、自分の人生を生きることができないのではないかと。 死を軸にした私の生き方は、安心感をもたらす一方で、自分の人生に対する無気力さや甘えを生んでいると思います。 死んだら終わりだから、努力する必要がないとか、なにをしても無駄だと思ってしまいます。 頑張らなければいけないことがあっても、どうせ最後には死ぬんだからやらなくていいなどと思います。 自分が今努力しないで、もし人生が行き詰まったら自殺すればいいんだ、と短絡的に考えてしまうんです。 死は確かに私の心の安定剤となっています。 これは不思議な言葉だと自分でも思いますが、死がなければ私は生きてこれなかったでしょう。 ですが、最近はどうにもそれだけじゃ駄目だという思いが出てきました。 今までの私はただ日々を生きるだけで精いっぱいでした。 自分の人生をどうしたいとか、どういう人間になりたいとか、将来何をしたい、とかそういうことに気が回らないほどでした。 それでも精神科で治療を続けていく中で、段々と症状が軽くなっていったと思います。 それで心に余裕が出てきて、最近はこのように考えています。 私と死はもはや切り離せないぐらい密接な関係だと思います。 私の中では「死にたい」と言わない自分を想像できません。 だから、私は死と上手に付き合いながら、自分の人生を精力的に歩んでいきたいと思いました。 すぐに死にたいと言ってしまう自分を変えたいという気持ちがあります。 そのためにはどのような考え方、または行動をすればよいと思いますか。 回答を頂けると、幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • 安楽死について

    20才程の若さで自殺したい人でも安楽死をさせてくれるような公的機関はあるんでしょうか? もしくは自分で出来る痛みを伴わない死に方などあるんでしょうか? もしあるんだとしたら、実際の自殺者の方で安楽死を選ぶ人があまり居ない理由は何でしょうか?

  • あなたの死という考え方について

    あなたの死という考え方について、哲学でも、直感的に思ったことや、体験から感じたことなど。 死ぬことに対する思いや、死そのもの見解、論文的なものでも何でもOKですので、死についてちょっと考えを教えて下さい。別に悲しい思いのものである必要はありません。 ちょっと今日一日で死という考え方がどれくらい集って自分の中で、どのくらい死について議論できるかかちょっと試したかっただけですので、何でもかまいません  ご協力お願いします

  • 死の不可能性

    突然なのですが、 倫理学の授業で「死の不可能性」というものを話されたんですが、 その定義を説明される前に色々話されたので、 あまりつかめていません。 死の不可能性とはなんなんでしょうか??

  • 希死念慮って辛くない場合もあるのでしょうか

    閲覧ありがとうございます。 私はつい最近希死念慮という言葉を知り、自分に当てはまっていることに気がつきました。 というのも、私は小さい頃から自殺に憧れて。きっと私は自殺をして死ぬんだろう、という考えが現在までずっと続いています。 ずっと不思議に思っていたのですがようやく原因らしきものが見えて喜んでました。 しかし調べてみると皆さんこの希死念慮を辛がっていらっしゃったので、もしかすると私はまた違うのかな?と思いました。 私はこの症状が辛いとか苦しいとかはありません、ただ自殺をして若くして死ぬという未来のビジョンがあるだけであって、それをどうにかしたいとか怖いとかはありません。 死に恐怖を抱いたのは多分幼稚園の年少さんの時が最後だと思います。あの頃は母親がいつかは死ぬという恐怖に夜寝付けなくなるほどでした。(思えばこの時から自分の死にはさして興味が無いみたいですね) 今私は特に死にたいとは思っていませんが、生きていたい訳でもありません、いつも死ぬ理由がないから生きてるだけ、な状態です。 こういうことを言うと随分病んだ人間に思われるのですが、私は普通に友達もいますし、好きなことや打ち込めることもあります。 両親にも愛されて兄弟仲もいいです。 でも自殺をして死ぬということが私の人生の最大のテーマであり美しいとすら感じてしまっています。 プランや場所なども大体決めてます。 今すぐする訳ではないです、来るべき時が来たらする、それだけなのですが、できることなら老衰で死にたいです。 病院に行くべきですか?これは希死念慮なのか鬱なのか、そもそも私はこの考えで生きてきたのでこれが間違ってるとも思ってないのですがそれもまたおかしなことですか?? 私を老衰で殺すために何か良いアイデアはありませんでしょうか?

  • 積極的安楽死・消極的安楽死について

    積極的安楽死と消極的安楽死のそれぞれの倫理上の問題を教えてください。

  • 死への好奇心

    はじめまして、23歳の女です。 私の質問に嫌悪感を抱く方が多いだろうな、とは思いつつ抑えきれずに質問させて頂きます。 私は「死」に関して凄く興味があります。 元々読書が好きで色んなジャンルを読みますが、特に人の死を取り扱う話を好んで読みます。 しかし、いわゆる「美しい死」には全く興味がありません。 例えば恋愛小説で恋人が死んで…等は全くです。 殺人、自殺、人体実験など、出来るだけむごい描写のものを好んで読みます。 ちなみに中学の自由研究も「人体実験」でした。 (医学的な興味ではなく主に死までの過程、死体への興味ですが) フィクションでもむごい(グロい?)話が好きですが やはりノンフィクションかつ描写が生々しい物が一番好きです。 しかし死体が好きというわけではありません。(画像を見て楽しむ、などは皆無です) 私の一番の興味は「死んだらどうなるか」です。 非常に不謹慎なことかとは思いますが、好奇心が沸いてしまうのです。 もともと鬱の傾向があるのか、自殺願望も持ってはいたのですが 最近はそういった意味での願望が強くなっています。 私個人としては、死んだら「無」になると考えております。 しかし当たり前のように、答えは誰にもわかりません。 ですから知りたいのです。答えを。 「好奇心」という言葉は不適切かもしれませんが…。 普通の自殺願望とは少し違うのでこの言葉を選びました。 「何もそんなに急がなくても…」と言われてしまいそうですが、 きっと元々生に対する執着心がないのでは、と思っております。 哲学的に死に興味がある、と言いますか…。 (しかし専門的に勉強しているという訳ではなく、考えることが好きで…程度です) 最近このサイトを利用するようになって「死への恐怖」という質問が多いことに驚愕しました。 いえ、きっとこの考え方が普通なのだとも思います。 思いますが、むしろ私は、死がないことの方がよっぽど怖いと思います。 ちなみにですが、私は身近な人を亡くしたこともあります。 (むしろこれがきっかけのような気もしますが…) 母方・父方の祖父、そして実父を学生の頃に、最近では友達を自殺で亡くしました。 「悲しい」という感情はあります。 けれども、私自身の願望は消えないのです。 そしてもう一つあるのですが…実は自分が死ぬ時は、いわゆる綺麗な死は嫌なのです。 恐らく大半な方は綺麗な死を望むので少数派だとは自覚していますが…。 最近の私は、「一番むごい死に方」を探しています。 頭の中であらゆる場合を想像し、自分の死体を創りあげ、楽しんでいる自分がいます。 実際私は何度か自殺未遂を起こしています。衝動的なものもありましたが…。 死にたいなら勝手にしろといわれそうですが… 「死への恐怖」を読んでいるうちに、やはり異常なのか?と… こういった考えの方は他にもいるのか?という疑問が沸いてきたのです。 そしてもう一つ、こういった類の自殺願望はどのような方法で改善するのだろうか? 恐らくこれは専門医に聞くべきだとは思いますが…。 拙く、まとまりのない文章で長々と書き申し訳ないのですが、 もしよろしければ意見を聞かせてください。

  • 《死》に対して、憧れを持つことはありますか?

    みなさんは、自分の《死》に対して、憧れを持つことはありますか? (自分が死ぬことについてです) (別に自殺と限ったわけではありません。 事故死、病死、寿命、何でもいいですが。) よろしくお願いします。

  • どうして自殺志願者に安楽死は適用されない?

    どうして自殺志願者に安楽死は適用されないんでしょうか? 自殺志願者に安楽死を認めれば 自殺したいが自分では死ねない! なら通り魔殺人とかで死刑になろう! とするバカな奴も出ないと思います。 何故、自殺志願者の安楽死を認めないんでしょうか?