締切り済みの質問
より核心を突いた回答がいただけると思い
あえて哲学のカテへ投稿させていただきました。
日頃マナーを守れない守らない方達を良く目にします。
車からゴミを投げ捨てる。
譲り合う精神が無い。
相手を思いやる事を知らない。等々
私も偉そうな事を言える人間ではない事は承知していますし
これから精進も必要だと痛感しておりますが
最低限のマナーは守っているつもりです。
もちろん人間も千差万別でそういった方達もいて当然ですが、
そういう現場を目撃する、被害に遭う確率が多い気がしてなりません。
もしかすると人とはそれが普通であり
そうでない少数派は「許す」という視点から
お付き合いをしていかなければならないのでしょうか。
投稿日時 - 2009-09-03 11:27:06
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回答(5件中 1~5件目)
電車とかでマナーの悪い人はちょくちょく見かけます。でも、俺は電車に乗っているときは本を読んでいることが多いのであまり気にしません。
それで、マナーに対する俺の認知度はといいますと、結構フラフラしていたりします(苦笑)。注意されるのを避けるため、極力マナーは守っているのですが、その反面マナーに過敏に反応するのもいかがなものかと思っています。
なぜかといいますと、公共マナーと寛容のバランスがしっかりととれていないからです(恐らく真理として)。これは公共のマナーに曖昧さを含んでいるからだと思うからです。
明確な目的のある場所なら、その目的を阻害する行為がマナー違反として疎まれるのは当然です。例えば図書館は、本を読むための場所ですよね。そこでうるさくしたり、保存状態を悪くするような本の扱い方をするのは当然だめです。
ただ、電車や公園などはいかがでしょうか。そこでの過ごし方に曖昧さをとても含んでいます。電車の中で化粧をしている人がいても、移動手段に何ら支障はきたしません。車内での会話なども、誰かの咳払いが聞こえるほど静かである必要性はないわけです。無言などのコンセンサスが取りにくい場所において、それらを不快だと思う線引きは到って個人的なものでしょう。人前ですることではない、という到って個人的な線引きを、マナーという言葉に摩り替えている一面もあるわけです。
マナーを口早に唱える人たちが不快に思うものを挙げてみましょう。下品な漫画を読んでいる人、プラットフォームでのキスシーン、密着しすぎのカップルもこの類でしょうか。こうやってみると、羞恥心に関わることも疎まれやすいようです。
もちろん、明らかな犯罪行為や迷惑行為はどこでやってもダメです。ですが、食べ歩きがダメだとか、携帯電話を使ってはダメだとか、相当に曖昧な民意のルールに基づいていると思うんです(ちなみに携帯電話の話をすると、ペースメーカーがどうとかいう話が出るようですが、大義名分の域を出ないと思います。恐らく影響がないことが証明されても、その行為は疎まれ続けると思います)。
プライベートな面でいえば、俺の読書だって該当しますが、マナー違反かと聞かれれば口をつむぎます。
何か目障りだ。何か耳障りだ。そういう個人的な不快感で、自分を棚上げして批判したくなるような行為、しかも取るに足らない行為に、マナー違反というレッテルを貼る。
「許す」という視点でお付き合いしなければいけないのかといいますが、全てのマナー違反に対して、俺たちが「許す」という視点を持つ筋合いはないのかもしれません。マナーと寛容のバランスを深く考えてみたいところです。
投稿日時 - 2009-09-04 11:45:02
どうお答えすればよいか分からないままに、日々の思いを述べてみます。
電車の座席についてです。
わたしは同じ車両に立っている人(複数)がいる場合、座っている人は原則的に席を「つめて」おきたいものと思っています。
(体の大きい方はたいへんでしょうが)(ほどよく混んでいるとき)(座れたら座りたいだろうと思われるような人が複数いると明らかに分かるようなとき)座席を「ゆったり」使って、あらかじめ座りたい人の気持ちを「しりぞけている」(無意識であれ)のは、自分は座っている(楽している)ことへの(何と言ばいいか)「もうしわけなさ」がないとういうか、ちょっと無神経に思うのです。
そういう場合、わたしなどは、人から「ちょっと、すみません(つめてください)」と言われるのは恥ずかしいです。そう言わせねばならなかった(「すみません」なんて言う必要もないのだから)のが逆に申し訳ないです。
「すみません」と言われれば、たいていの人が(はじめて気づいたように)または(仕方ないなあという感じで)または(こちらこそ気づかないで失礼という感じで)席を詰めるのはまだ救いがあります。
これを、たとえば大の男が席につくなり、さっと詰めて座り直すのを想像すると、どんなに気持のちいい、すがすがしい姿だろうと思えてなりません。ああ、美しい日本です。そんな日がこないものだろうか。
がらがらに空いている場合は別です。
席に着いたらすぐに詰める(このとき、隣の人と接触するのでちょっとトマドイもあるでしょうが)(隣の人も座っているということは身体的接触を受け入れるという前提をもちたい)、そして、いつでも、なんの遠慮もなしに、あとから来る人が空いた席に座れるようにしておきたいものです。
「すみません」と言われるのは「恥だ」くらいの感覚があればなあというのが日々の感想です。
席を詰めるのは「ビンボウくさい」「かっこわるい」のではなく「クール」なんだという気持ちになれたらいいのですが。
わたしは隣の人にはお気の毒ですが、座ると即座に詰めます。ここで時間をおいて、あとから詰めると「不自然」になります。あとから詰めるタイミングはだれかが前を通過するとき、次の駅に着いて新しい乗客がはいってきたときなど工夫が必要になります。
とにかく、あらかじめスペースをつくって、座りたい人に気持ちよく座っていただきたい。気持ちよりも、まず自分のお尻が動いてしまうといきたいものです。
投稿日時 - 2009-09-04 09:11:23
私もマナーが気になる一人です。
自分の解釈ですけど、歳と共に気になってくるのは、感覚が世間とずれている所為じゃないかと思っています。
年代的な問題としてですね。
例えば道ばたに座り込んで何か食べている若者は、私と明らかに感覚が異なっていると思います。
電車の中での化粧も、恥ずかしいという感覚がない世代の仕業なのではないかと。
若い人達が自転車で携帯をいじりながらノーブレーキで飛び出して来るのは、危険をイメージする力が衰えているからだと思います。
もう一つ、「自分さえ良ければ」という感覚も蔓延しているように思えます。
バブルで大騒ぎした後、長く不景気が続いた所為だと思いますけど、社会の空気が荒れていると思いませんか?
下らない理由による犯罪が毎日報じられ、酷いことになっていると感じています。
その影響で「他人とは無駄に関わらず、自分だけは得しよう」という人が増えるのもあるのかなと。
いい大人が平気で信号無視するのも、そういう感覚なのでしょう。
数で言ったら守らない派はもう多数派で、多数だから普通なのです。
守らない派を個々に注意してもキリがありませんし、危険でもあります。
自分はマナーを守りますが、守らない人がいたとしても近寄らないようにするしかないですね。
つまり我慢です。
私より上の世代もおそらく、私達を見て我慢してきたのだと思います。
親の言葉を思い返すと、そんなニュアンスの発言が多々あったと思うのです。
少しは景気が良くなって、みんなの心に余裕が出来るといいのですが、日本人は根本的に許されるギリギリのところまでズルをする民族なので、改善はほとんど不可能でしょう。
投稿日時 - 2009-09-03 13:32:03
何が普通で、何がそうでないのか。。。
例えば、オタク文化はそうじゃない人からすると、全く普通じゃなく見えます。
このサイトで、以前、電車の中の化粧は普通である、と書かれていたので???と成りました。
もはや、普通とは大多数が何とも思わないと言う定義から来るようです。
横断歩道を赤で渡っても、皆がすれば怖くないと同じなんでしょう。
私は女性ですから、公の交通機関の化粧は「恥」と思いますね。
本人には向かい合う人たちは、風景の一部だそうなので「恥」でなく、みっともない行為でもないと認識しているのだそうです。
マスカラを塗る、ポッカン~と開いた口と白目をむいた目が綺麗なはずはありません。
美意識の崩壊は、脳細胞の破壊から来ていると聞きました。
精神的レベルが低い・・・脳が既に「恥」と感じる部分が麻痺している、と思い侮蔑のまなざしで見る事にしています。
ですから、決して許すわけでなく←かわいそうに~と哀れみです。
投稿日時 - 2009-09-03 11:42:24