• ベストアンサー

海軍飛行実験部の柴田少佐はなぜ影響力が小さかったのか?

零戦の計画において海軍の源田実は格闘性能第一主義を主張。 それに対して、飛行実験部の柴田少佐はスピードと航続性能を主張。 結果海軍部内で影響力をもつ源田の主張が取り入れられました。 二人とも少佐なのに、なぜ柴田は源田より影響力が弱かったのですか?

noname#90278
noname#90278
  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数10

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#115647
noname#115647
回答No.1

派閥の影響によるものだろう。源田は山本五十六(海軍航空本部長経験者。)と大西瀧治郎(山本に非常に信頼されていた。ハワイ作戦もまず大西に打診した。)につながる航空戦の主流の派閥により近かったから。 しかし貴方の零戦の開発計画においては多少の誤解がある。 まず航続力については当初より絶対的なものだったし、これは中国戦線をも考慮した爆撃機の護衛、島嶼部への進攻、零戦に限らないが敵よりも遠距離から発進し、敵に叩かれるよりもいち早く敵を叩くというアウトレンジ戦法は、開発当初より非常に重要視されていた。事実開戦当初においては航続力は絶大な力を発揮した。 スピードも当然重要視されたが、当時の日本では大馬力の戦闘機用エンジンの開発、それに基づく機体設計や量産、整備は難しく小馬力(といっても当時としては普通)で機体の軽量化が図られた。 これは急降下過速における機体の脆弱性、ひいては戦法に問題を残すことになる。 それでも戦闘機であるからして、格闘性能は大事である。後年から見ればドッグファイトは無駄、効率が悪いなどの見解もあろうが、それは間違いである。最新鋭のジェット戦闘機でも格闘性は重要視されているのである。 ちなみに零戦の登場当初はベテランパイロットには不評であったらしい。ベテランは零戦に乗りたがらなかった。古い九六式艦上戦闘機の方が小回りが利き格闘戦に強かったからだ。零戦は新人パイロットに回されることも多かったと聞く。 しかし時代は短期間で、より速いスピード、上昇力、高高度性能も要求されてくるのは周知のとうり。

noname#90278
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#90278
質問者

補足

ドイツでロッテ戦法を編み出した撃墜王は格闘戦を否定しましたが。 戦闘は相手に気づかれないように攻撃し、格闘戦になったら高速ダイブでにげるのが最良と ほとんどの戦闘は相手が気づかれないように攻撃するか、相手が気づいたときにももはや逃げられないようにするのが最良と。 日本の坂井も格闘戦で落とした敵はほとんどいないとか。

その他の回答 (4)

noname#115647
noname#115647
回答No.5

ちょっと間違いがあったのでお詫びして責任をとって訂正しておきましょう。 柴田VS源田論争があったのは、昭和13年4月13日の横須賀海軍航空廠における「十二試艦戦計画説明審議会」の席上でしたね。論争については、前述した堀越二郎著「零戦」に記述してありました。 パイロットの出席者としては、航空廠の戦闘機主務部員、柴田武雄少佐、次席、榊原喜与二大尉。 横須賀航空隊からは、戦闘機隊長、源田実少佐、分隊長、板谷茂大尉、艦爆分隊長、奥宮正武大尉などとなっています。 堀越・・「計画説明書の中に示すようにエンジンの性能向上がなく、そのうえもしも定回転プロペラが使えないものとして、性能を平均的に要求値に近づけようとすると、計画要求より速度が約15キロ低く、格闘性能は九六式艦戦二号一型より劣らざるをえません。エンジンの性能が向上し定回転プロペラの信頼性が高まれば、話は別ですが・・・。」 更に続けて堀越・・「航続力、速度、格闘力の三つの性能の重要さの順をどのように考えておられるのでしょうか、それをお伺いしたいと思います。」 これに対し、終始鋭い目つきで私の発言を見守っていた源田少佐は机の上の茶を一気に飲み干して立ち上がり、「九六艦戦が戦果を挙げえたのは相手より格闘力がすぐれていたのが第一です。もちろん計画要求は確実に実現してもらわねばならないが、堀越技師の質問にあえて答えるとすれば、格闘力を第一にすべきだと思います。これを確保するために止むを得ないとするならば、航続力と速度をいくらか犠牲にしても致し方ないと思います。」と、はっきりとした語調で意見を述べた。 「異議あり!」といって立ち上がったのは、航空廠の柴田少佐だった。(中略)。「日華事変の戦訓が示すとおり、敵戦闘機によるわが攻撃機の被害は、予想以上に大きいので、どうしても航続力の大きい戦闘機でこれを援護する必要があります。また、逃げる敵機をとらえるには、少しでも速いことが必要です。格闘性能の不足は、操縦技量、つまり訓練で補うことが可能だと思います。いくら攻撃精神が旺盛で、技量がすぐれているパイロットでも、飛行機の最大速度以上を出すことは不可能だし、持ちまえの性能以上の長距離を飛ぶこともむずかしい。だから、速度、航続力を格闘性能よりも重く見るべきだと思います。」 「しかし・・・」とまた源田少佐が立ち上がり、両者の白熱した議論がくりかえされた。両者はたがいにゆずらず、また、この論争の黒白を判定できる人もいなかった。 私は、この二人の息づまるような論戦を聞きながらこう考えた。(中略)。この交わることのない議論にピリオドを打つには、設計者が現実に要求どおりの物を作ってみせる以外にはない。私としてはいままできめた設計方針にそって、重量軽減と空力的洗練を、徹底的にやり通そう。そしてエンジンの馬力向上と定回転プロペラの実用化を促進してもらおう。 そうする以外に、残された道のないことを、深く心に刻んだのであった。 堀越二郎著「零戦」より抜粋。 結局、堀越さんらがなおいっそう頑張って、当時としては格闘性能、航続力、スピードにおいては世界一等の航空機を作ったという事であり、論争の結果には関係なく、また論争自体も無意味ではなかったという事。

noname#90278
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.4

 まず、源田VS 柴田論争というのは、1938年(昭13)1月17日から海軍航空廠にて開催された官民合同の十二試艦戦計画要求研究会の席上で行なわれた議論を指すます。この際の互いの趣旨をみると必ずしも真っ向から対立していたとはいえません。同年4月13日会議上堀越技師が「航続力、速度、運動性の三性能の重要順序につき如何に考えておられるか」との質問を発したのに対し、海軍航空廠飛行実験部のテストパイロットであった柴田は「速力、航続力を格闘性能よりも重く見たい」と発言したわけです。これに対して源田は九五艦戦や九六艦戦で戦って帰国した直後の生々しい体験から「もちろん速度も航続力も充分欲しい。しかしいずれを多少でもとるかということになれば戦闘機に欲しいのは絶大な格闘能力である」と主張したというのです。しかし、源田は「攻撃機を掩護する戦闘機たりうるには高い速度と航続力が必要だし逃げる敵機をつかまえるには少しでもスピードが速くなくてはならぬ」とも認識していました。つまり、三つの性能のどれ無視するかではなく優先順位をどうするかであり、柴田のほうに先見の明があったにせよ二人とも正論であったと思われます。また堀越技師は、双方の要求を受けて零戦という当時万能ともいえる戦闘機を生み出したのですから。ただ、問題は速力を出すために重馬力エンジンを開発生産するのではなく、小型発動機をベースとしたこと、そのため機体の軽量化で解決しようとしたこと、これはのちに防弾装備のなさと機体の脆弱性を米軍に突かれてしまうことになります。勿論これは技師個人の問題ではなく、当時の日本の国力や技術力の貧しさに起因します。たとえば堀越技師の回想には「急降下速度はほかの性能要素と両立しないので格闘性能には重要なプラスとは考えられていなかった。むしろ小型発動機を装備してよい格闘性能を得ようとすれば最優先に放棄すべき性能要素とされた」とあります。終戦に至るまでついに日本は予定性能を満たせる重馬力エンジンの生産が出来なかったのでした。 資料:源田実「零戦と私とロッキード」 『丸』60年2月号所収    堀越二郎「堀越二郎 零戦回顧録」『丸エキストラ版』69年5月増刊号所収

noname#90278
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#115647
noname#115647
回答No.3

>ドイツでロッテ戦法を編み出した撃墜王は格闘戦を否定しましたが。 ロッテ戦法は格闘戦の一種で、2機がチームを組んで敵1機に当たるもの。1機は見張り及び援護、1機が執拗に敵機を追う。格闘戦の格言に「敵機に狙いを付けたら必ず後方を確認せよ。」というのがあるが、この時、自分も敵機に後ろから狙われている場合が多いからだ。この憂いをなくさせた戦法がロッテ戦法。アメリカではサッチ戦法(サッチ・ウィーブ)とも言われた。 >戦闘は相手に気づかれないように攻撃し、格闘戦になったら高速ダイブでにげるのが最良。 これは一撃離脱戦法と呼ばれる。これは初期において、零戦との格闘戦にかなわないと見たアメリカがとった戦法。前述したように零戦は機体の脆弱性から降下速度に制限があり、追いつけずそのまま逃げられる場合も多かった。 戦う前に優位な位置を占めておくのも重要。 なお機体の軽量化には、防御力不足の人命軽視の問題もあったことも付け加えておく。 >ほとんどの戦闘は相手が気づかれないように攻撃するか、相手が気づいたときにももはや逃げられないようにするのが最良と。 これは正攻法で、敵をいち早く発見し優位な位置を占めるという事が最も重要だが、同時に指揮官機の味方機誘導、攻撃方法の技量も試される。 >日本の坂井も格闘戦で落とした敵はほとんどいないとか。 全然ないという事はないが、格闘戦で落とした敵機はほとんど7.7mm機銃によるものだ、とは本で読んだことはある。20mm機銃は初速も遅く、弾が放物線を描くので難しかったのではなかろうか。 なお戦いが終わって敵機が集合地点に向かう途中の油断を突いて襲いかかる坂井の「落ち穂拾い戦術」は有名。これも零戦の長い航続力を生かした戦術であろう。坂井自身も零戦の最大の武器はその長い航続力にあったと述べている。 今手元に堀越二郎著「零戦」の本があるから、海軍の「十二試艦上戦闘機(零戦の事)計画要求書」をかいつまんで記述してみよう。 用途・・・援護戦闘機として、敵の戦闘機よりもすぐれた空戦性能をそなえ、迎撃戦闘機として、敵の攻撃機をとらえ、撃滅できるもの。 大きさ・・・全幅、つまり主翼のはしからはしまでの長さが十二メートル以内。(注、これは空母のエレベーターの幅が基準となっている。) 最大速度・・・高度四千メートルで、時速五百キロ以上。 上昇力・・・高度三千メートルまで三分三十秒以内で上昇できること。 航続力・・・機体内にそなえつけられたタンクの燃料だけで、高度三千メートルを全馬力で飛んだ場合、1.2時間ないし1.5時間。 増設燃料タンクをつけた過荷重状態で、同じく1.5時間ないし2.0時間。 ふつうの巡航速度で飛んだ場合、六時間ないし八時間。 空戦性能・・・九六式艦上戦闘機二号一型に劣らないこと。 その他にもあるが、もう省く。 はっきりと援護戦闘機と明記されている。 事実、零戦の初陣は昭和15年8月19日の重慶爆撃であった。横山保大尉率いる12機の零戦11型は陸上攻撃機(爆撃機)と共に漢口基地を飛び立っていった。 目的は爆撃機の援護と敵機の殲滅である。この日は敵戦闘機は姿を見せず爆撃だけに終わる。 翌20日は進藤三郎大尉の率いる零戦12機が陸上攻撃機と共に再び重慶へと向かうが、敵戦闘機は姿を見せない。どうも新鋭機投入を察知して敵戦闘機は事前に避退するらしい。 9月13日は進藤大尉、白根中尉の指揮する13機の零戦は陸上攻撃機と共に漢口を飛び立つが、98式陸上偵察機を引き連れていた。 やはり敵機は姿を見せず爆撃を終えて帰路につくも、残した偵察機から敵機現れるの情報が入る。要するに敵は戦闘を避けただけの、我が軍健在なりのデモンストレーションだ。 すぐさま零戦13機は重慶に舞い戻る、敵機はイ15・イ16の計30数機で零戦の2倍以上の数であったが、敵機27機を撃墜した。零戦の被害はゼロであった。 これで往復1850キロ(1000海里)の作戦行動が確認され可能となった。 これは世界的にも非常に画期的で、これからの戦闘機のありかたを示したと言えよう。 柴田VS源田論争は零戦開発計画とはもう少し前のことだろう。 その前に戦闘機無用論もあったが、さすがの山本や大西もミスを犯した。源田は逆らえず調子を合わせたといったところか?。源田も戦闘機乗りだったが、源田は少しずる賢いところがある。 そういった意味では柴田武雄の方が先見性もあったし、戦闘機の運用に関してはよりエキスパートではあったろう。 また多くのエースパイロットもいち早く敵を発見し、優位な位置を占めて先に一撃をかけるのが圧倒的有利とは言っている、いわば一撃離脱戦法に近い考え方だ。 坂井もドッグファイトでは「なかなか当たるものではない。」とは述べている。 しかし格闘性能が悪い戦闘機では、よほど逃げ足が速くない限り、乗る気にはなれないのが人情というものではある。

noname#90278
質問者

お礼

ありがとうございます

  • tande
  • ベストアンサー率12% (22/179)
回答No.2

多分、零戦について誤解があります。 http://www.warbirds.jp/truth/seinou.html ここを見てればわかるかと思いますが、零戦の特性として「速力、上昇力優秀にして敵高速爆撃機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること」となっています。 というか、旧海軍の戦闘機の速度は初の国産機である一〇式艦上戦闘機以来増加していますし、零戦は九六式艦上戦闘機より100キロも早い事だけ見ても速度が重視されてないとはいえないでしょう。 またそれ以外でも、昭和12年頃に旧日本海軍の外国の飛行機の調査についての文書を見れば速度と上昇力を非常に気にしていることがわかります。 また蛇足ながら付け加えると、元々は爆撃機の護衛は零戦ではなく十三試陸上戦闘機の役割であり零戦の役割ではありません。 零戦の航続力は長時間艦隊上空を飛び続け、艦隊防空を果たすためにあるのです。

noname#90278
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#90278
質問者

補足

二人が零戦計画でお互いに一歩も引かなかったため、海軍ではすべてを要求し、結果、堀越次郎が実現させただけではないのでしょうか? それでもやはり空戦能力にこだわり、烈風においても「速力を最初の要求よりさげて、空戦能力を優先させたと丸で読みました。

関連するQ&A

  • 紫電改の実力

    こんにちは。 私は子供の頃から零戦、長嶋、卵焼きが好きで育ちました。 大人になってからにわか勉強ですが、大戦終盤になってやっと零戦の後継機といわれる紫電改 が投入されました。遅すぎました。 ただし、いくらもっと前に紫電改が大量に投入されようとも米国との国力の差には戦局はあまりかわらなかったでしょう。ただ、終戦が伸びただけになったでしょう。 前置きはこれ位にしまして本題ですが、 紫電改は2000馬力級の出力を誇り、零戦の弱かった防弾設備もあったと聞きます。 そこで、当時世界の主な戦闘機との総合的な比較で順位をつけるとしたら、どんな順位になるでしょう。 ○比較戦闘機 紫電改 F6Fヘルキャット P47サンダーボルト P51マスタング スピットファイヤ メッサーシュミット フォッケウルフ ○比較要素 操縦性 スピード 航続距離 旋回性能 武装 生産性 等。 これらの飛行機は海軍あり、陸軍ありで又使用用途も違うと思いますが、客観的にみて総合順位 をつけるとしたらどのような順位になるのでしょうか。 お暇な時で結構ですのでよろしくお願いします。

  • 中国元少将が「中国海軍、海保・海自の力に及ばぬ]

    覇権主義の中国。 でも、中国の元少将が「中国海軍は、日本に及ばない」と述べたそうな。 この元少将の言うことはホントなの?真実性あると思う? 閣問題で中国元少将が「中国海軍、海保・海自の力に及ばぬ」 台湾紙報道 2012.7.20 18:59 [尖閣諸島問題]  日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化方針を受け、同諸島の主権を主張している中国海軍の元少将が「今の中国海軍は日本の海保、海自の実力に及ばない」と分析していることを20日、台湾各紙が報じた。台湾の与党・中国国民党寄りの聯合報や中国時報が、中国紙、環球時報の電子版、環球網(19日)の報道として伝えた。  それによると、中国海軍装備技術部長だった鄭明・元少将は、日本の海上保安庁の巡視船や海上自衛隊の護衛艦、潜水艦の性能、艦載ヘリとの連携、運用能力の高さなどを列挙した。(台北 吉村剛史) http://sankei.jp.msn.com/world/news/120720/chn12072018590002-n1.htm

  • 第5~6世代戦闘機にステルス性が要求されないのか?

     アメリカ海軍の作戦部長(CNO)ジョナサン・グリーナート大将が >「米海軍の次世代戦闘機にはステルス性能と高いスピード性能は不要だ」 と発言したそうですが、グリーナート大将は何故その様な結論に至ったのでしょうか?  ステルス性能を備えていない機体、即ち、非ステルス機は遠距離からもレーダーで探知されてしまいますし、レーダーが非ステルス機を探知する事が出来る距離は、熱源を捉える赤外線センサー等をはじめとする「レーダーとは別の捜索手段」が敵機を探知する事が可能となる距離よりも大幅に長いため、レーダーや「レーダーとは別の捜索手段」ではステルス機を捉える事が出来ない距離からでも、ステルス機は非ステルス機をレーダーで探知して、中・長射程ミサイルを用いて一方的に攻撃する事が出来るのですから、「レーダーとは別の捜索手段」を主な探知手段とするのであれば、尚の事、対レーダーステルス性能が高いものでなければならない筈です。  しかも彼は >「結局ミサイルは追い越せないのだから、過剰なスピードは必要ない」 >必要なのは、防空網を突破する新しい兵器を搭載する大きなペイロード搭載能力 と述べたそうですが、中・長射程ミサイルは格闘戦用に用いられる短射程ミサイルと比べれば機動性・運動性が低いため、進行方向を急速に変えて高速で離脱を試みれば、中・長射程ミサイルのロックオンを外す事が出来る可能性も少しはあります。(速度で振り切るのではなく、「航空機よりも高速であるが故に急速な方向転換が困難なミサイル」を横に躱す)  それにもかかわらず、速度が遅い上に大量のペイロードを抱えた鈍重な機体では、遠距離からのミサイル攻撃の格好の的となってしまいます。  ですから、グリーナート大将が言う様な機体は、ステルス戦闘機が飛び交う将来の航空戦では圧倒的に不利になるとしか思えないのですが、何故彼は米海軍の次期戦闘機のイメージとして、そんな役にも立ちそうもないものを思い描いているのでしょうか? http://news.militaryblog.jp/e636239.html http://flyteam.jp/news/article/46130

  • 海軍の飛行部隊、空軍の飛行部隊

    軍隊において海軍にも航空機部隊があり、当然空軍にもありますが所属部以外に、大きな違いはあるのでしょうか? ちなみに一般的にどちらが優秀とか、優位性があるとかあるのでしょうか?

  • 原爆実験の影響について

    週刊誌に原爆実験が盛んだった頃に日本に降り注いだ放射能について書いてありました。 その結論は福島の事故よりもたくさん降り注いでいるけど健康の被害はなかった。というものでした。 1960年代から1980年代が一番原爆実験はさかんでその直後にチェルノブイリがあったけど、健康に影響はなかったし、異常な子供も生まれなかった、とのこと。 ただ私の記憶ではその時期、肺癌の発症率が増えてたような気がするんですけど。 みなさんはどうおもわれますか?

  • キレート剤の影響を調べる実験

    キレート剤を用いて、金属イオンをとらえさせ、金属イオンの数を減らし、不均一核生成させ、粒子サイズがどうなるか調べる実験をしました。結果、不均一核生成なのに粒子サイズは小さくなってしまいました。 ここから、どうやって実験していけばよいかわかりません。粒子サイズが小さくなった原因を調べる方法はありますか? 加えて、ここから、どうやって実験を展開していけばよいかわかりません。 金属イオンは、亜鉛です。 大学の知識はあります。

  • 核実験の影響

    北朝鮮の核実験の影響は本当にないのですか?偏西風で被爆するとか(表に出ないほうがよい)、食べ物が被爆するとか(日本海側の食品)、詳しい情報を知りたいです。

  • 50xcモーターのコイルについて

    電動ラジコン飛行機を始めようと思っていたところ、 知人からブラシモーター用のスピードコントローラーを譲り受けました。 10Aのlipo用です。 そこでここはやはり50xcだと購入を考えましたが、千円近くします。 今時ならもう何百円か出せばブラシレスモーターが買えます。 そこで同じカンの大きさで100円のCN12RLCモーターの コイルの巻き線の径とターン数を変えれば 50XCと同じような性能に なるのではないかと、考えました。 それで何個か実験を繰り返したのですが、いま一つ良い結果がでません。 それに要した費用は50XCどころかブラシレスモーター&スピコンのセットを 何個か買えるまでになってしまいました。 もう諦めて、RLCをギアダウンするとか、ブラシレスにするとかの選択肢もあるのですが ここまでくれば何とか 50XCを購入せずにRLCを改良するというのが 目的になってしまい、ラジコン飛行機を飛ばすと言う目的より重要になってしまっている 状況です。   そこで50XCモーターのコイルの太さとターン数ご存じの方がいらっしゃいましたら 教えて頂けないでしょうか? でも、もしかしたらカンの大きさは同じでもマグネットの磁力なども異なっているのかも 知れないですね。 http://www.gwsus.com/english/product/MOTOR/MOTOR.HTM

  • 農学部と実験

    家が農家なのでそういう意味では将来の農業活動に役に立つかなと思ったのですが、私は別に食品の実験とかバイオテクノロジーに興味はないので そういう場合農学部に行く意味はあるのでしょうか? (※行きたくないというわけではなく実験には興味ないという意味です)

  • 大日本帝国海軍の飛行服について

    1940年代の大日本帝国海軍の飛行服は上下繋がったつなぎのようなものでしょうか。それとも上下わかれるのでしょうか。また、飛行服の下には何を着ていたのでしょうか。海軍の軍服でしょうか。それとも下着を着ていたのでしょうか。下着の場合、どのような下着を着ていたのでしょうか。タンクトップやブリーフ等でしょうか。大日本帝国海軍の飛行服について詳細を知りたいので、詳しい方は教えてくださると幸いです。