• 締切済み

木を殺す事

趣味で、彫刻をしながら考えていたのですが、彫刻って、木の板を削って形を作りますよね。 その行為は、木のいのちを削っている事なのでしょうか? また、その根拠も教えてください。

みんなの回答

  • saidon
  • ベストアンサー率21% (99/459)
回答No.13

確かに、祟りはご神木なんかでないと起きません しかし最近はご神木の老化が進み台風などでおれることが多発しています、一部ではそのご神木を太鼓にして日本一の大きさで買うと1千万するとテレビでやっていました木は墨にしても除湿の効果があるように,ニスなんかの科学物質を塗らない限り有る程度は削りますが(寿命を)^別に問題有りません

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 1千万の太鼓なんて、買う人がいるんでしょうかね? いのち=寿命、というご回答は 初めてです。 まだ、彫刻は出来上がっていないのですが、 祟られる心配は、ないのですね。

  • suzuhide
  • ベストアンサー率20% (32/156)
回答No.12

確かに詮無い事なら質問はしませんね。 でも貴方はご飯は食べるでしょう? ご飯は考えよう因っては死体を食べて居るのですよね。 菜食主義者は死体では無いと反論するかも知れませんが、植物も生物に変わりは有りません。 例え食べなくても、息をするだけでも一呼吸で何千もの生命を殺しているのです。 それを宗教では原罪と呼ぶのです。 生きとし生きるものは生きているだけで罪を冒しているのだ、と言う考えも有ります。 貴方の行為が木のいのちを削っているとしても、それで貴方が何らかの満足を得られるのならば、それはそれでいいのでは無いでしょうか。 面白がって動物を殺すことに比べれば何をかいわんやです。 余り気に病まない方が良いと思いますが・・

may-river
質問者

お礼

生き延びる為に他の生物の命を奪うのは、やむを得ない事だと思います。 それが自然の摂理であり、食物連鎖のトップに立つ我々の権利です。 余談ですが、それに対して、植物や動物を守り育てるのは義務だと思うのですが……最近は果たされてませんね。 でも、彫刻をしたりするのは生き延びる為ではありませんよね? 単なる趣味であって、人間以外の動物ではやらない、つまり反自然的なモノだと思うのです。 あまりに人間的なモノは動物的でもある、と言いますが…… 木が「痛いよ、痛いよ!」と叫んでいるのに、私だけそれが聴こえなくて、 何も知らずに黙々と木を彫り続けている、というのが やり切れない様な気がするんです。 ……モノを擬人化するのはよくないかも知れません。 素敵なご意見、ありがとうございました。

  • suzuhide
  • ベストアンサー率20% (32/156)
回答No.11

確かに詮無い事なら質問はしませんね。 でも貴方はご飯は食べるでしょう? ご飯は考えよう因っては死体を食べて居るのですよね。 菜食主義者は死体では無いと反論するかも知れませんが、植物も生物に変わりは有りません。 例え食べなくても、息をするだけでも一呼吸で何千もの生命を殺しているのです。 それを宗教では原罪と呼ぶのです。 生きとし生きるものは生きているだけで罪を冒しているのだ、と言う考えも有ります。 貴方の行為が木のいのちを削っているとしても、それで貴方が何らかの満足を得られるのならば、それはそれでいいのでは無いでしょうか。 面白がって動物を殺すことに比べれば何をかいわんやです。 余り気に病まない方が良いと思いますが・・

noname#3511
noname#3511
回答No.10

命は削れません。有無にあらず。一にあらず。 あなたはその木の破片と共に生きているとなるのであり、その木は、あなたの生き様を彫っているのだともいえます。 ミケランジェロの生き様は石に彫られたのであり、大工の人生は、彼にとっては忘れられない、木々達によって、建てられたのであり、あらゆる「私」の生き様は、世界に依っているのです。 彫って彫られているのですが、未熟な間は、彫られるほうが、安定しています。ミケランジェロを、未熟などと言うのは、おかしいと思われるかもしれません。しかし、彼と石によってできた存在は、目を見張るものがあります。思いをめぐらせることのできる彫刻です。   「私が彫る(生きる、ある)」の意味は、私が世界に依るということです。 彫ることと、彫られることは、一切違いません。 私は、それを、叶えたい。 なんと疎い人の世か。 これが、私の本音でしょう。 人とはなんとすばらしい、まるで、世界の結晶だ。 これは、本望の過程でしょう。 無い。 これは、拠り所でしょう。

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 また出た(ミケランジェロ 申し訳ないですが 私の理解力ではイマイチ、ピンときません。 命は削れない、か。確かに、命の有無なんて論じること事体が無意味なのかもしれませんね。 でも、やっぱり考えずにはいられない。 時間をおいてから、また考え直してみたいと思います。

may-river
質問者

補足

皆様、たくさんのご回答ありがとうございました。 お礼が遅れてしまって申し訳ないばかりか、いいお礼を書けないのが心狭いです。 まだ私なりの結論は出ていないのですが、とても読んでいて楽しかったし、参考になりました。 重ね重ねご迷惑をおかけしますが、この質問はまだ締め切らないでおこうと思います。 誰か、未知の来訪者がこの質問に目を留めてくれたら、またいい意見が聞けそうな気がするので。 最近「質問者のマナーがなってない!」という声をよく聞く所為もあってか わがまま言って本当に申し訳ない、と思います。 皆様の知的な哲学と、誠意に、深く感謝しています。

  • suzuhide
  • ベストアンサー率20% (32/156)
回答No.9

生物学的に考えると植物の命って何でしょう? 動物みたいに心臓が有りそれが止まると死ぬ訳では有りません。 葉っぱを一枚ちぎって葉っぱが死んだのでしょうか? 残った本体と葉っぱとどっちに命が有るのでしょうか? つまり、少なくとも切られた後の木材に付いて命を問うても詮無い事なのでは無いでしょうか。

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間の場合に置き換えて考えること事体が無茶なのかもしれませんが 脚が動かなくなっただけで 死ぬ程絶望する人間もいるし 屍姦などについて考えてみても されている方に意思は無くとも 断然不愉快ですが。 詮の無い事なら わざわざ質問しません。 というより……詮の無い事かもしれない、と半ば諦めかけていたから 何かを信じたくて 皆さんの回答を仰いだのかもしれません……

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.8

木に限らないのですが、私たち人間は他の生き物のお世話 になって生きています。 私たちは、木で作った家にすんでいる人も多いでしょうし、 たとえ鉄筋コンクリートのアパートに住んでいても、木の 家具の一つや二つは部屋にあるでしょう。 また、穀物や肉など他の生き物のいのちを摂取して、私たち のいのちが保たれています。 結論から言うと、人間は他の生き物の世話にならずには生きて いけないのです。 そしてそれは人間だけに限らず、他の生物すべてにあては まります。お互いに殺し合っているとも言えるのですが、 私はお互いに助け合っていると考えています。 だから木を削るにしても、その木がもっていた個性を生かせる よう、愛情を込めて作品を作ってあげてください。 そしてその作品が、自分や他の人に喜んで使ってもらえる 時、はじめてその木のいのちの価値が発揮されるのです。 又聞きの話で恐縮ですが、達人ともなると木の声が聞こえる といいます。「こういう風に削ってくれ」と木の方から話し かけるそうです。 私はそういう経験はないのですが、ご参考まで。

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間は栄養の全てを自分で作る事は出来ないんですよね…… 必然的に他の生物を摂取するしかなくなる。 生死に儚さや美しさ、無情さを感じたりしますが 結局、綺麗事では済まされない様な気がします。 木を削る事も、私が勝手に決めた以上は、もう綺麗事抜きになっているのかもしれません。 「木の個性」ですか……私も、木の声が聞こえるまで木に触れていたい、と思います。

  • H-hoko
  • ベストアンサー率50% (6/12)
回答No.7

●あなたのような発想をなさる方は 普通は彫刻など  しないものです。生命にも非生命物にも魂というものが  あります。魂とは そのものの設計図・プログラム・  そこに至るまでの履歴のようなものです。  降るひとひらの雪にも魂はあります。その雪が  あなたに触れて解けて消えます。そこにあなたさえ  いなければその雪は もうすこしの間 その姿のままで  風景のなかを漂えたでしょう・・・。  この世のありとあらゆるものは 互いに影響しあいながら  常に変化しています。つまり魂を書き換えられているわけです。  木を削ることも そのひとつにすぎません。    問題なのは 自分の行為の善・悪の判断です。  人間は 自我の一番深いところに真・善・美という  目安をもっていて その目安に照らして自分の行為の  可否を無意識にまたは意識的に決めています。  この真・善・美は さまざまな事象に触れて また  優れた芸術に触れて日々変化しています。    あなたのような疑問を持たれる人は かなり  美的に優れた方です。人間が作り出すものは  到底自然の造形美にかなわないと知っているからです。  自分が削ってつくったものよりも 自然のままに  朽ちてゆく木切れのほうが美しいことを  知っているからです。  問題なのは 自分の行為の善・悪の判断です。  それは ひとりひとり異なるものなのです・・・。

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 木を削る事で魂を書き換える、ですか……浄化っていうんでしょうかね?希臘語っぽく言えばカタルシス。 自然の造形美は美しいですよね。 旅行で大王崎という“絵描きの街”に行ってきたのですが やっぱり、何と言っても美しいのは、真っ白な灯台よりも、波の砕ける音とか形とかでした。 朝焼けを見たかったのですが寝過ごしてしまって…… 家に帰ってきたら、「やっぱり奈良の夕焼けは日本一だ」と思うのですが(笑 余談でした。木を削る事が善か悪か、まだ分かりませんが 木が「もういいんじゃない」って言うまで彫ってみたいと思います。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

「その行為は、木のいのちを削っている事なのでしょうか? また、その根拠も教えてください。」 「山川草木悉有仏性」「さんせんそうもくしつうぶっしょう」という言葉があります。すべてのものに命が有るということですね。樹にもありますが石にもありますよ。すべての生物は、生まれて死ぬまでのサイクルがありますね。溶岩が岩の台になり風化しながら石になり砂になります。砂がどろになり大木の生き物を育てる土壌になりますね。ダイヤモンドだって億という歳月を経て小さな塊になるのですね。白いガラス球のような原石が地中奥深くから掘り出され、それを磨いてダイヤモンドの輝きになるのですね。ダイヤは億という歳月の果てに輝くのですね。ダイヤも非常にうれしいと思うのではないんですかね。すべての存在に命はありますが、役に立ってはじめて存在価値が有る存在がおおいのではないかと思います。人間や一部の動物は自分でいろいろなことが出来ます。でもそうではない存在がほとんどなんです。花もそうですね。野に咲く花は人間がほめてあげない限りほめられることはないのです。でも毎年、けなげに咲いてますね。 木々は、人間の何倍も生きます。1000年以上生きるものもあります。 やはり役に立つということはうれしいことではないかと思うんですね。確かに、木の命を削るという表現にはなりますがやはり木にとってうれしいことではないかと思います。木に対する感謝と心を込めて削るといいのではないでしょうか。削る技術だけでなくそういう気持ちをもって削りだすと木の喜ぶ心が見えてくるのでは。 参考程度に

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 サンセンソウモクシツウブッショウですか。舌を噛みそう。 あまり仏教は好きではないのですが 素敵な考え方です。 役に立つと嬉しいものですかねえ。 ただ生きているだけでいい、っていう自己満足を感じられる存在っていうのは難しいんだろうな……

  • 1511
  • ベストアンサー率20% (24/118)
回答No.5

大工さんの言葉です。 百年かかって育った木は、百年持つんだそうです。 木の個性を見極めて、上手に使う事を、 木を生かすと言っていました。 こじつけっぽいですかねえ。 では、 こじつけついでに、 生き物は日々、少しずつ命を削って生きているとも言えるんじゃないでしょうか? 良く生きることと、(命を)削る事は切り離せないのかもしれませんね。 かのミケランジェロは、何を彫るべきかは、石が知っていた。じぶんは、ただそれを掘り出しただけだ。 と言うような意味の事を言った。…とおもった。 「削る」という行為に、生産性を感じる言葉ですね。

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 モノを作る人の言葉は感動的ですね。 ミケランジェロ……ルネッサンスの頃の人だったような。天地創造だったっけ(ダヴィンチ?)、ヴィーナスの誕生だったっけ(ミロ?) 浅学で申し訳ない m(_ _)m 生き物は日々、少しずつ命を削って生きている……格好イイですね。 こうやって回答をひねり出している間にも 私の少ない脳味噌はちょっとずつ崩れているのかもしれませんが 私にとって出来る限りの事を 木彫で表現してみたいと思いました。

  • komomomo
  • ベストアンサー率22% (25/113)
回答No.4

木のどうなった時が、木の死んだ時なのか私には分かりませんが、あなたの「いのちを削る」という気持ちの持ちようは、アミニズムというのでは無いでしょうか。 アミニズムは全てのものに心霊や霊魂が宿るとする考え方です。その歴史はかなり古く、世界の至るところに見られるようです。おそらく人間にとって、周りの調和を自らの力で変えていくことに、畏れを感じる事は自然であり、その畏れが「心霊や霊魂が、全ての対象に宿る」というアミニズムの形をとったのかも知れません。 周りの調和を変えるという視点で考えると、彫刻というのは、強い動機が必要な作業だと思います。 その動機が必要、という具体的な例を挙げれば、小学校の授業で私は版画を彫ったことがありますが、彫刻等で板を削るたびに、新鮮な木の匂いがたつので、その板が可哀そうになり、何となくそれ以上彫れなくなってしまったことがあります。多分、その時私は、彫る必然性の弱かった結果、わざわざ板を傷つける事を厭ったのだと思います。少々乱暴に言い換えれば、アミニズムを実践していたのだと思います。 仏像を彫る時に、「魂を込める」と言って作っていた人々がいた(いる?)と聞いたことがありますが、やはり木を彫るという行為は自分の労力をかなりつかって、木に影響を及ぼすもので、だから全人的なものになるのではないでしょうか。彫る人が魂を込める、という側面もあるでしょうし、木の命を削る、という側面もあると思います。 あなたが「木のいのちを削る」と感じるのは当然かと思います。

may-river
質問者

お礼

ありがとうございます。 あなたが仰る「アミニズム」というのは、私の心の中枢みたいなものです。 専門用語は、はじめて知りました。 アイヌのカムイ信仰とか、日本の八百万の神とか、そういう考え方ですよね。 すごく素敵だと思います。自分も自然の一員であり、世界というものの構成要素のひとつである、と自覚できるからでしょうか。 私の木彫にも理由は特にありませんが…… 彫ろうと決心して、材料を自分で揃え、デザインを自分で考えた時から、理屈ぬきで彫るという事に没頭しているのでしょう。きっと。 木を彫る事、に対する心の二面性について、すごく分かりやすかったです。 少し、旅行などで忙しかった事もあり木彫をストップしていたのですが、 再開する予定でいます。

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