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不老不死

老衰を含め不治の病がなくなり、二十歳くらいの外見・身体能力を ずっと維持できるようになり、死亡原因の大半は生きることに飽き た人による自殺という時代が訪れるとします。 (死者の蘇生はまだ不可能で、全身を燃やしたり首を切り落としたり した場合は死ぬこととします) 人口増加による居住地・食料の問題については、宇宙空間の利用 等から特別大きな問題にはなっていないとします。 このような社会と今の社会を比べた場合、プラス面・マイナス面等 について感じることを教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ebinamori
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回答No.5

私は死にたくないのですがそれは別問題として回答します。 陳腐な言葉だけど限られているから面白いのでは? 私は丸ごとばななが好きだけど3個一遍に出されたら 胸がむかつくと思います。 滅多に食えないからおいしい。 あと生きることの意味が今以上に問われる事になりますね? 耐えられるのでしょうか? 私は代替可能な(社会から見て微視的な意味ではあるかもしれないが巨視的な意味ではない)人間であると思いますがしかし死のうとは思いません。 だってそんなことしなくてもそのうち死ぬからです。 そして限られているから楽しまなければいけないまた楽しんでも良いのだと思うのです。 代替不能な人間なんて人間の中の1%も満たないでしょう。 99%の人は今以上に死が隣り合わせの人生になりそうですね。 段々代替不能な人間だけの世の中になるでしょう。 それは正しい事でしょう。 でも代替不能な人間は代替可能な人間によって評価されるのに一体全体どうなるのでしょうか? 何のために発展するのでしょうか? 人の命は平等という言葉はなくなるでしょうね。 確かによい作品しか世に出てこないのだから受け取り側はいつまでもすばらしいものを得られるでしょう。 でも作り手側は? 常に「天才」を求められ「変化」を求められる。 果たして耐えられるのでしょうか? 私が見聞きしただけでも今までの数多くの天才は苦悩しているのに 大丈夫なんでしょうか? さっき書いた1%未満も死にたいと思うようになりますね。 確かに満足するまで生きてから死ぬ事に成ると思うけど では死ぬ事は今以上に悲しいものになりますね。 なぜならもう生きているに値しない世界なのですから。 残された人はどのように感じるのでしょうか? そして死ぬ事は今以上に敗北ですね。 また、小説は自分の人生がありそして他の人生を見たいと思って読むものですよね? でもどんな人生もおくれるのだからもはやそれは小説ではなく解説書になってしまいなんの魅力もない気がするのですが。 冒頭にも書いたとおり私は死にたくありません。 しかし矛盾していますが死のない世界に個人として何のプラスも感じ取れません。 今まで長々と書いてきたことは個人としてマイナスであり社会としては全てプラスでしょうだって弱者(社会的弱者ではなく)を保護する理由がなくなるのですから。(意味のない人間に生きつづけろとは言えないでしょう) 有能な人間だけで構成され発展しつづける。 (もちろん絶対に能力至上主義) そんな時代に生まれなくて私は幸せだなぁと感じてます。

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質問者

お礼

> 陳腐な言葉だけど限られているから面白いのでは? 人生が有限だから、若い時に大学なりに入ってそれから就職して その後も順調にキャリアを積んでいかなければならない・・・。 一定の年齢になったら結婚して所帯をもたなければならない。 そんな雛形的人生を自分に課してただただアクセクしている人が 多いように感じられます。 ようするに雛形的人生という牢獄に閉じ込められているといった イメージです。人間にとって本当に大切なこと・自分にとって本 当に興味のあることにじっくり目を向けることができないで死ん でしまう人が多いように感じられます。 ただただ、雛形的人生を全うすることだけにエネルギーを費やし て、必死に皿回しをし続けるような人生が多いように思えてなり ません。 もちろん、ただただアクセクし続ける人生にも面白みがあるかも 知れないですが、アクセクすることをやめて雛形的人生の牢獄か ら脱出することができるなら、そこで初めて、真の意味での自己実 現に向けての一歩が踏み出せるような気がするのですが。 > 私は代替可能な人間であると思いますがしかし死のうとは思いません。 > だってそんなことしなくてもそのうち死ぬからです。 そのうち死ぬことがわかっていても、自らの手で命を絶つ人が相当います。 命が限りあるものだから、絶望して自殺する人が多いように感じます。 > そして限られているから楽しまなければいけないまた楽しんでも良いのだと思うのです。 雛形的人生の牢獄の中で、真の意味で楽しめることなどあるのだろ うかと感じています。 > 段々代替不能な人間だけの世の中になるでしょう。 最初はご指摘のように代替不能な人・権力者・富裕者達に限定された ものになるでしょうが、科学の進歩はすぐに不老不死を安価で提供で きるようになり、誰もがそれを享受できるようになると思います。 > 何のために発展するのでしょうか? 不老不死社会でも、便利さを追求する意向があるうちは発展は続く と思われますが。 また現代においても、とくに重要性があるとも思えないような無意味 な発展に狂奔しているようなケースが多々あると感じますので、 発展=善 とも一概には言えないようにも感じます。 > 人の命は平等という言葉はなくなるでしょうね。 現代においても、何十万もするブランド品のバックが飛ぶように売れて いるかと思えば、飢餓で消え行く命が無数にあります。 「人の命は平等」などという言葉は既に意味を持っていないように感じ ますが。 > 確かによい作品しか世に出てこないのだから受け取り側はいつまでもすばらしいものを得られるでしょう。 現代においても、質の高い作品が必ずしも多くの人に受け入れられる 状況ではないように感じています。 > 常に「天才」を求められ「変化」を求められる。 > 果たして耐えられるのでしょうか? 耐えられなくなったら創作活動を止めればいいだけではないでしょ うか。やり直しはいつでも可能でしょうから、別世界の仕事に就い てみて、その後に新たな経験を材料にして新しい作風の作品を作り 出すなどということが可能になるように感じます。 が、現代においては、やり直しがきかないので、才能の限界を感じ て自殺するなどということがあるのではないでしょうか。 > では死ぬ事は今以上に悲しいものになりますね。 > なぜならもう生きているに値しない世界なのですから。 現代においては死にたくなくて死ぬ人が大多数だと思います。それに 比べたら死にたいと思って死ねることは、私には幸せのように感じま すが。 生きていることになんの未練もなくなるということですから、ある意 味では、 「悟りの境地」 に近いもののように感じます。 > 残された人はどのように感じるのでしょうか? 現代においても身近の人が死ねば悲嘆にくれると思います。 > そして死ぬ事は今以上に敗北ですね。 私の場合は人生に勝ちとか負けという概念はないですし、 そういう見方をすることがいろいろな争いごとを生むこと につながっている側面があるように感じています。 >でもどんな人生もおくれるのだからもはやそれは小説ではなく解説書になってしまいなんの魅力もない > 気がするのですが。 そもそも現代においても小説を読む人は少数派のように感じて ますので、社会全体を考えた場合、小説の衰退などということ はさしたる問題ではないように感じます。 また、現代においても小説は衰退の一途のように感じていますが。 > 冒頭にも書いたとおり私は死にたくありません。 > しかし矛盾していますが死のない世界に個人として何のプラスも感じ取れません。 死にたくないという希望がかなうということだけでも、プラスの 一面があるように感じられますが。 > 弱者(社会的弱者ではなく)を保護する理由がなくなるのですから。 >(意味のない人間に生きつづけろとは言えないでしょう) 雛形的人生の牢獄に縛られているゆえに、意味のある人間・ない人間 という発想が生じやすいように感じられます。 雛形的人生の牢獄から出獄してゆっくり落ち着いてものを考えること ができたら、意味のある人間・ない人間という発想の愚かさに気がつ く人が多くなるような感じがします。 > 有能な人間だけで構成され発展しつづける。 (もちろん絶対に能力至上主義) 現代が既に能力至上主義化しているように感じられます。 雛形的人生の牢獄から出獄してゆっくり落ち着いてものを考えること ができたら、能力至上主義の愚かさに気がつく人が多くなるような感 じがしています。 > そんな時代に生まれなくて私は幸せだなぁと感じてます。 そう思えることは喜ばしいことだと思います。 私もそういうふうに思えるようになりたいです。 できれば、自分が今置かれている時代・状況が最高であることを望み たいです。未来に今よりずっとよい時代がきて、今生きていることが 損しているような気分になるのは面白くないですから。 だから私は不老不死社会が不幸であることを期待していろいろと考え たのですが、結果は期待に外れて、今より良さそうに思えてしまいま した。 ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • ebinamori
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回答No.9

釈迦が出家して何をしたかは知りませんが 日々に忙殺され気付かない事は社会保障が高度に発達すれば確かに可能かもしれませんね。 自殺のことを毎日考えるというのはつまり漫然と生きることを許されないと思います。 なぜなら生死を自らにゆだねられているからだと思います。 >今の時代は命は有限ですから辛苦が無限に続くことはないように感じますが。 実際的にはそうです。 無限に続くなんてそんな事ありえるわけがありません。 しかし無限に続くと「感じる」のだと思います。 人間皆自分が一番苦しいと思うものですよね。 私にとって楽しい事だからわからないと思いますが 私は細胞が喜ぶと書きたかったのですがあまりにも抽象的かなと思ったのですが 娯楽だろうがなんだろうが私にとっては「真に楽しめる事」ですね。 (私の周りの野球をやる奴でもそうはいないと思う) 物を作る人手世間に出てくる人は皆少なからず才能を持った人です。 そして才能のある人は受け取り手側よりも明確に駄作であると自覚できるでしょう。 質問者さんの言う自己発現とは人の評価に左右されないというようなものですよね。 ということはそれはもはやなんの価値のないものになってしまいます。 今よりはやり直しが容易ということには同意します。 >少なくとも80年足らずの人生で経験しきれないことは山のようにあるように感じられますが。 それは意味を考えているのでは? 今の社会のどこが明確に区別されているのでしょうか? 人種、性別、年齢これらの事で差別されている人は 差別している人と差別されていない人とでは同じ地位につくには3倍近く能力の違いがなければ不可能でしょう。 >不老不死社会がお金の必要のない世界になるとも限らないように感じますが。 そうだったら時間があるだけでお金を稼がなければいけなくなり 自己発現など可能なのか? 才能のない人でも自己発言は可能なはずなのに不可能になってしまいませんか? 宗教・・・・・・。戦争を起すような宗教しかないし無理っぽい気が。 詳しくは知らないけどどこにも「寛容」という印象を受けないのですが。 道徳なら良いんですけどね。

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質問者

お礼

> 釈迦が出家して何をしたかは知りませんが > 日々に忙殺され気付かない事は社会保障が高度に発達すれば確かに可能かもしれませんね。 そういう一面はあるかもしれないですが、福祉国家では高齢者 の自殺が多いとも聞きます。 基本的には雛形的人生の延長線上のものでしかないような気も します。 > 自殺のことを毎日考えるというのはつまり漫然と生きることを許されないと思います。 > なぜなら生死を自らにゆだねられているからだと思います。 「取りあえずゆっくりあせらずいろいろなことを経験してみるか。 そして生きることに飽きたら、死というものをいっちょう経験してやろう」 その程度の気持ちの人も多いような気もしますが。 >>今の時代は命は有限ですから辛苦が無限に続くことはないように感じますが。 > 実際的にはそうです。 > 無限に続くなんてそんな事ありえるわけがありません。 > しかし無限に続くと「感じる」のだと思います。 > 人間皆自分が一番苦しいと思うものですよね。 敗者復活が非常にしにくい社会であることが、無限に辛苦が続く と思えるような重圧を与えている感じがします。 > 娯楽だろうがなんだろうが私にとっては「真に楽しめる事」ですね。 釈迦が悟りを得た後には、己が絶えることのない歓喜と一体化 していることを感じる、といった内容のことを聞いたことがあり ます。それと単なる娯楽レベルのことでは、意味合いが全然違 うように思えます。 > 物を作る人手世間に出てくる人は皆少なからず才能を持った人です。 > そして才能のある人は受け取り手側よりも明確に駄作であると自覚できるでしょう。 > 質問者さんの言う自己発現とは人の評価に左右されないというようなものですよね。 > ということはそれはもはやなんの価値のないものになってしまいます。 人の評価を気にせずに己で上出来だと思ったら素直に喜びを 感じれば、評価され続けなければならない苦悩からは解放さ れるような気がしますが。 別に他の仕事をしながらでも創作活動は可能のように思えま すし。 また己でさえ上出来だと思えるようなものを作れなくなった のなら、暫く創作から離れてみればいいだけのような気がし ます。 なにせ二十歳の身体能力が永続するのですから、創作から離 れる・復帰する・決別する、と選り取りみどりの選択が可能 のように思われますが。 それが現代なら、プロが才能の枯渇を感じると、絶望して自 殺 or 他の世界に転進しても下積みのまま、等ということに なりがちのような気がしますが。 >> 少なくとも80年足らずの人生で経験しきれないことは山のようにあるよう >> に感じられますが。 > それは意味を考えているのでは? とくに自殺をしたいと思っている人以外は己が生きる意味(単 に好奇心を満足させたいということでも)を持っているように 感じますが。 ただ最初の回答の中で、 >(意味のない人間に生きつづけろとは言えないでしょう) というご発言がありましたので、他者が他者に対して生きる意味 のある者ない者という選別をするようなことを想像しましたので、 そのような選別をすることなら愚かしいことと感じますので、その 思いについて述べたというのが経緯です。 > 今の社会のどこが明確に区別されているのでしょうか? > 人種、性別、年齢これらの事で差別されている人は > 差別している人と差別されていない人とでは同じ地位につくには3倍近く > 能力の違いがなければ不可能でしょう。 前回のお礼の中で、 >> 有能な人間とそうでない人間は実質的には厳格に区別されてるような >> 気もしますが。 と申していますが、かといって差別が存在しないとは申していない と思われますが。 逆に、有能かそうでないかという基準での区別は存在しないと思わ れているのだろうかと疑問に感じましたが。 >>不老不死社会がお金の必要のない世界になるとも限らないように感じますが。 > そうだったら時間があるだけでお金を稼がなければいけなくなり > 自己発現など可能なのか? お金を稼ぐ必要があっても、そのために費やすエネルギー はかなり少なくなるように感じます。 老後の蓄えという発想もないと思われますし、年齢とともに スキルアップし続けていかなければならないという強迫観 念も乏しいと思われますので、仕事に向けるエネルギーは 今より格段に減るような気がしています。 それに二十歳の身体能力が永続するのですから、ある程度 お金を貯めたら暫くは仕事をしないということが極めて容易 に行えるような気がします。 > お金の必要のない世界になるのなら なぜそのようなことを想像されたのか、非常に不思議に感じ ました。 不老不死社会では物々交換のようなことが行われると思わ れたのかなと思いましたが、その根拠は全く想像することさ えできません。 > 宗教・・・・・・。戦争を起すような宗教しかないし無理っぽい気が。 おっしゃる通り、宗教には私も期待を持っていません。そもそも、 仏教でもキリスト教でも、釈迦やイエスの真の教えからは大きく 掛け離れているように思えますので。 ですので、以下のように"宗教的"という表現を用いさせてもらい ました。 >> 科学では無理でも宗教的なことなら可能なような気がしますが。 > 道徳なら良いんですけどね。 道徳は雛形的人生を全うする上での校則程度の機能しか果たし ていないように感じています。 表向きはそれに従っている振りをしていても、裏では破り放題と いったイメージです。 自己実現をどういったニュアンスで受け取られているのか 正確にはわかりませんが、不老不死社会より現代の方が自 己実現しやすいとお考えなのかなと、ふっと疑問に感じま した。 また、創作活動をする人達の苦悩に関してかなり関心がお 有りのようでしたが、私にはどう考えても、現代の方が彼 らの苦悩がはるかに大きいように感じられます。だからと いって作品が質が高いということでもなさそうです。 敗者復活が現代より格段にしやすいという面から、不老不 死社会では絶望による自殺・本当は死にたくない自殺が極 めて少なくなるように感じます。その点だけでも不老不死 社会は、仮にデメリットがあったとしても、それを補って 余りあるほどのメリットがあるように私には感じられます。 ありがとうございました。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.8

とても長い回答になり申し訳ありません。 一つ了承してもらいたいのは質問者さんの意向に反対しようと思って書いたことではありません。 なるべく私の考えを補足するものとして書きました。 少なくともそう思って再度投稿した事をご了承ください。 雛形的人生といいますがどうして自己実現を可能にしている人間が今現在いるのでしょうか? 命が有限であるときに出来ない人は命が無限であっても出来ないと思います。 忙しいといってやらない奴は暇な時でもやりません。 これは私自身がやらない人間なのでそう思います。 また、限りがないからやるなんて性根でまともなものを作れるわけがない。 死ぬ物狂いで作るから名作は生まれるのでしょう。 そのうち死ぬ事が分っているのになぜ自殺するのか? 私は自殺したいと思ったことがないからただの想像でしかないけど それは自らの生と死に真正面から向き合った時耐えられなくなってしまったからだと思います。 自殺するか歯を食いしばって生き続けるか万人が向かい合わなければいけない問題だけど そうしなくても生きていけます。 しかし不老不死ならばそういう訳にはいきません。 毎日強制的に問われるのです。 私はこのことを全く悪い事だと思いません。 個人としてプラスが出てきました。 また、私は命が有限であることに絶望して自殺するのではないと思います。 今の辛苦が無限に続くことに絶望して自殺するのだと思います。 そういった人は不老不死になっても無限に続く事がより明確になるのだから変わらないでしょう。 >雛形的人生の牢獄の中で、真の意味で楽しめることなどあるのだろうかと感じています。 真の意味で楽しめる事とは何を指すのか良く分かりませんが 楽しいと感じる事と区別されるものなのですか? 錯覚かも知れないけど私は野球をやっているとき運動だからというわけではなく気分が高揚してきます。 私にとって真に楽しめることだという自信が有り。 私の中の自信とはこれぐらいではないでしょうか? そしてそれがとても自慢です。 安価で不老不死になったとして権力者が実力至上主義を実行してくれるかが問題になりそうですね。 不老不死という究極の技術が作られたとして次に必要な事は何になるのでしょうか? 知的欲求は何に向くと思いますか? そういう意味では自己実現の為に勢力を注ぐようになるかもしれませんね。 ほぼ頂点へと上りついた末に次に何を目指すのか想像するのも楽しいですね。 人の命は平等ではないというのは私も同感ですが 人の命が平等であるというのは道徳です。 そしてその道徳がなくなるといいたいのです。 (そんなものがあったら社会活動を円滑にするための道徳が邪魔なものでしかなくなる) 私はこれに大きな差異を感じます。 >現代においても、質の高い作品が必ずしも多くの人に受け入れられる 状況ではないように感じています。 そのとおりだと思います。 そしてそれはなぜなのか? それは世間に認められるということはその道の第一人者に認められるということだと思います。 この前話題になったゴッホだって生前は全く売れなかったのに後世の第一人者に認められる事によりあのような高価になったのですよね? そして不老不死が可能になればいつまでも価値の評価基準が変化するのでしょうか? (現代は人の死により評価基準へ多大な影響を及ぼすと思うのですが) 優れたものを享受し続けられるというのは撤回すべきですね。 私は芸術家でも作家でもないのでさっぱり分りませんが 作品とのその人そのものを表現するものですよね? そして受け入れられないということはその人自身を否定されるという事ですよね? 強い精神力が必要ですね。 生が有限であるからといって才能が無限にあるかどうかは私は疑問に思います。 また、他の才能に挑戦する事も多大な精神力を要すると思います 私もしにたいと思って死ぬ事はある意味幸せであるとも思うのです。 しかし完全に磨耗しきったということですよね? それを「悟り」というのかもしれませんが想像しただけでぞっとします。 (矛盾だらけだけど死にたくないのに死ぬのもぞっとします) 今の人が近しい人の死に悲嘆に暮れるのとは意味が異なると思います。 なぜなら現代において自殺した方の遺族の方も同じだと思うのですが 遺族はその人にとって全く無価値の人間であると評価された事になりますよね。 なぜならその人のために生きようと思えなくなってしまったのですから。 そういう遺族の方だけになってしまうのです。(殺された場合を除き) 私が言っているのは人生の敗北ではありません。(今以上と書くべきではありませんでした。すみません) 自分に敗北しているといいたいのです。 いきつづけるほどの精神力が不足したということです。 明らかな敗北です。(悪いとは言わない) 小説が好きな私としては悲しい限りなのですが まぁ確かに言う事ももっともだと思います。 自分の生死は完全に自分自身に委ねられる訳ですよね? 意味を考えなければ何を考えいきつづけるのでしょうか? それも無限に。矛盾している気がしますが永続的な刹那主義? 一瞬に全精力を傾ける事を永続的に行うここでも強い精神力が要求されますね。 現代は意味のある人間だろうがない人間だろうが区別されないだから社会が成り立っているのだと思います。 それをはっきりさせるというか自覚させる事のどこがおろかなのでしょうか? あくまでも意味のあるなしとは自分で評価する事です。 >ゆっくり落ち着いてものを考えることができたら、 能力至上主義の愚かさに気がつく人が多くなるような感じがしています。 これはなぜでしょうか? だって能力至上主義にならなければ評価されるべき人間がいつまでも評価されない気がするのですが。 今現在夢を諦める人は能力の限界つまりは評価されない事によるわけですよね? お金の必要のない世界になるのならなおさら評価される事が大事になってくるのでは? 欲望をどこかにやることはどんな科学を持ってしても不可能ですよね? ある特定の人から欲望を取り除く事は可能でも人類の欲望の総量は変わらないと思います。どこかに幅寄せがくると思います。 個人として何のプラスも感じないというのは撤回します。ごめんなさい。 再度考えてみた所 強靭な精神力と優れた能力を持った人だけが生き残りその他の人は淘汰される。 人間の極みに到達できるかもしれませんね。 現代に生きる人間が目をそむける事が可能な問題を直視しなければならないのですから。 それは非常に厳しいが良い社会だと思います。(淘汰される側だと容易に想像できるのが悲しいが)

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質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。 前回の回答のお礼の中で私が感じていることをいろいろと 述べさせてもらいましたが、あくまでも何となく思うところを 述べた程度のことですので、それが正しいとか正しくない というレベルのものではありません。 ですから違う見解の人を説得したいとかそんな厚かましい ことは微塵も思っていません。ただ、違う見解に接してもら うことで、ちょっとした退屈しのぎにでもなっていただけた らと思っている程度です。 > 雛形的人生といいますがどうして自己実現を可能にしている人間が今現在いるのでしょうか? 雛形的人生を歩んでいる人が多いとは申しましたが、全ての人が 雛形的人生であるとは申してないと思われます。 > 命が有限であるときに出来ない人は命が無限であっても出来ないと思います。 > 忙しいといってやらない奴は暇な時でもやりません。 AAということをやった方がいいと思っているのに忙しいからや らない人は暇な時でもやらない――それは私も同様な思いです。 が、AAということをやった方がいいとさえ思っていない人が大 部分なのが現代で、命が有限でなくなるとAAについて興味を示 す人が増えてくるように私は感じています。 AAというのは例えば釈迦が出家して行ったようなことと取りあ えずは申しておきます。 > また、限りがないからやるなんて性根でまともなものを作れるわけがない。 > 死ぬ物狂いで作るから名作は生まれるのでしょう。 質のいいもの・名作といったものにこだわり過ぎるので、 その対極として無価値のものの存在を有らしめることに なり、しいては価値のあるものを持ちたい・有能な存在 になりたい、といった呪縛に多くの人がとりつかれてい るのが現代のような気がしています。 > 自殺するか歯を食いしばって生き続けるか万人が向かい合わなければいけない問題だけど > そうしなくても生きていけます。 > しかし不老不死ならばそういう訳にはいきません。 > 毎日強制的に問われるのです。 私は別に不老不死の時代になったとしても、自殺のこと を毎日考えるようになるとは思わないですが。 > また、私は命が有限であることに絶望して自殺するのではないと思います。 私も命が有限であることに絶望して自殺するとは思っていません。 私が前回申し上げたかったのは「命が限りあるものだから、敗者復 活のようなことが出来にくいので絶望につながりやすい」という趣旨 のことです。 > 今の辛苦が無限に続くことに絶望して自殺するのだと思います。 今の時代は命は有限ですから辛苦が無限に続くことはないように 感じますが。 > そういった人は不老不死になっても無限に続く事がより明確になるのだから変わらないでしょう。 不老不死社会では敗者復活が今の時代よりは格段にしやすい状況 にあると思えますので、辛苦が無限に続くという発想は抱きにくいよ うにも思えますが。 >>雛形的人生の牢獄の中で、真の意味で楽しめることなどあるのだろうかと感じています。 > 錯覚かも知れないけど私は野球をやっているとき運動だからというわけではなく気分が高揚してきます。 > 私にとって真に楽しめることだという自信が有り。 真の意味で楽しめることとは、単なるレジャー・娯楽の類ではなく、 全身が打ち震えるような激しい歓喜に満たされるような事柄といっ たイメージです。 > 安価で不老不死になったとして権力者が実力至上主義を実行してくれるかが問題になりそうですね。 権力というものに一切興味を持たない人達が共同体を作って生活 する、などという形態も出てくるような気もします。 > 不老不死という究極の技術が作られたとして次に必要な事は何になるのでしょうか? > 知的欲求は何に向くと思いますか? 不老不死は別段究極の技術とは私は思いませんが。 そもそも技術に究極というものは存在しないような気がしていますが。 ただ、技術の進歩に奔走することが必ずしも善ではないという考えの人 が多数派になったなら、技術の進歩が停滞することはあるかもしれない ですが。 > 人の命が平等であるというのは道徳です。 > そしてその道徳がなくなるといいたいのです。 そうなるかも知れないですが、逆にその道徳が実践されるような 事態になることもありえるような気がします。 > そして不老不死が可能になればいつまでも価値の評価基準が変化するのでしょうか? 評価する人も評価することに飽きて評価をやめることもあるような 気がしますが。 > 作品とのその人そのものを表現するものですよね? > そして受け入れられないということはその人自身を否定されるという事ですよね? > 強い精神力が必要ですね。 ただ不老不死社会は人口が非常に多いと思われますから、物好きな 人の数というのも相当なものになると思われますので、駄作であって もある一定数の人には常に受け入れられるという事態になるような気 もしますが。 > 生が有限であるからといって才能が無限にあるかどうかは私は疑問に思います。 > また、他の才能に挑戦する事も多大な精神力を要すると思います 多大な精神力が必要だとしても今の社会に比べればやり直しははるかに 容易だと感じますが。 > 私もしにたいと思って死ぬ事はある意味幸せであるとも思うのです。 > しかし完全に磨耗しきったということですよね? 磨耗というよりは、いまだ経験したことのない死という未知の扉を開く うねるような好奇心に包まれた状態、とも言えるような気もしますが。 > 遺族はその人にとって全く無価値の人間であると評価された事になりますよね。 > なぜならその人のために生きようと思えなくなってしまったのですから。 > そういう遺族の方だけになってしまうのです。(殺された場合を除き) 数百年か数千年生きた後の自殺ということであるなら、遺族もそれは ある種の大往生というふうに受け止めるような気もしますが。 > 自分に敗北しているといいたいのです。 > いきつづけるほどの精神力が不足したということです。 > 明らかな敗北です。(悪いとは言わない) 自分が敗北しているかどうかは自分で決めればよく、他者が評価して もしょうがないような気もしますが。 > 自分の生死は完全に自分自身に委ねられる訳ですよね? > 意味を考えなければ何を考えいきつづけるのでしょうか? 少なくとも80年足らずの人生で経験しきれないことは山のように あるように感じられますが。 > 現代は意味のある人間だろうがない人間だろうが区別されないだから社会が成り立っているのだと思います。 有能な人間とそうでない人間は実質的には厳格に区別されてるような 気もしますが。 > それをはっきりさせるというか自覚させる事のどこがおろかなのでしょうか? > あくまでも意味のあるなしとは自分で評価する事です。 「意味のない人間に生きつづけろとは言えないでしょう」と前回言われて おりましたが、意味のない人間という思考自体が虐殺や愚かな戦闘行為 等に結びつきやすいような気がしています。 >> 能力至上主義の愚かさに気がつく人が多くなるような感じがしています。 > これはなぜでしょうか? > だって能力至上主義にならなければ評価されるべき人間がいつまでも評価されない気がするのですが。 うつろいやすい人からの評価によって心が揺れ動くようなことは、 幻影に踊らされているようなことと気づく人が多くなるような感 じがしています。 > 今現在夢を諦める人は能力の限界つまりは評価されない事によるわけですよね? 命が有限であるがゆえの雛形的人生からはみ出すことへの極度の 不安から、きちんと取り組むことなく夢を諦める人も多いように感じ ています。 > お金の必要のない世界になるのならなおさら評価される事が大事になってくるのでは? 不老不死社会がお金の必要のない世界になるとも限らないように 感じますが。 > 欲望をどこかにやることはどんな科学を持ってしても不可能ですよね? 科学では無理でも宗教的なことなら可能なような気がしますが。

  • Assy
  • ベストアンサー率29% (62/212)
回答No.7

今の人間の行動や考えは全て“いつかくる死”を前提に成り立っていると思いますので、それが無くなった世界は、何もかも想像を絶するんでしょうね。。。現状で唯一考えられるプラス面は“死への恐怖”が無くなる、という事ぐらいでしょうか。マイナス面は、パッと思いつくのは“家族の愛”とか“親子の愛”とか、“絆”みたいな概念が一切無くなると思います。何もかも“自分だけ”の世界。一番楽しい思いをするのは死が克服された瞬間から何十年かだけのような気がします。後は、、、地球上の人間全てが来る日も来る日も大地の上で植物か銅像のようにボッーと太陽の方を向いて立っている、というような世界が思い浮かびます。。。死が無くなると、人間にとってどんな事が楽しみや喜び、また苦しみとなるのかが想像出来ません。

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質問者

お礼

> 今の人間の行動や考えは全て“いつかくる死”を前提に成り立っていると思いますので、それが無くなった世界は、 > 何もかも想像を絶するんでしょうね。。。 基本的には私もそのように感じてます。 > マイナス面は、パッと思いつくのは“家族の愛”とか“親子の愛”とか、“絆”みたいな概念が一切無くなると思います。 > 何もかも“自分だけ”の世界。 なぜそう思われるのか、理由が今ひとつわかりません。 ただ今の時代は、人生が有限であるゆえに、少しでも 損をしないようにと、自分なり身内の幸福こそが最優先 という思考の人が多いように感じています。 不老不死になって人生に限りがなくなってくると、自分 本位・身内本位の考えを見直せる余裕が持てるような気 がしているのですが。 真の意味の人類愛を持ちやすくなる環境とも思えている のですが。 > 一番楽しい思いをするのは死が克服された瞬間から何十年かだけのような気がします。 仮にそうだとしても、その何十年間を楽しめるならそれ はそれでいいことだと思うのですが。嫌になったら死ぬ 自由はあると思いますので。 > 地球上の人間全てが来る日も来る日も大地の上で植物か銅像のようにボッーと太陽の方を向いて立っている、 > というような世界が思い浮かびます。。。 悟りを開いたような人は一日中ボッーと瞑想している ケースが多いと聞いたことがあるのですが、それに近 いものがあるんでしょうかね(笑) > 死が無くなると、人間にとってどんな事が楽しみや喜び、また苦しみとなるのかが想像出来ません。 実際にはむかえてみなければわからないですよね。 ただわからないなら、悪いように考えるよりはいいように 考えてあげたいと思ってます。未来の子孫達のことですから。 ありがとうございました。

  • osieteguu
  • ベストアンサー率18% (7/38)
回答No.6

プラス面 病気の苦しみがなくなる。 マイナス面 宇宙空間ですごしたり、人口密度が高いのでストレスがたまる。 他人の痛みがわからない甘ったれた人間が増える。

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質問者

お礼

> 宇宙空間ですごしたり、人口密度が高いのでストレスがたまる。 慣れることや技術革新によって克服できそうな気がしてますが。 ありがとうございました。

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質問者

補足

> 他人の痛みがわからない甘ったれた人間が増える。 他人の痛みがわからないというのは、今の時代の方が顕著 なのではないかと思えています。 時代に乗り遅れないように自分の立場を悪くしないようにと、 自分本位の思考で凝り固まっている人が非常に多いように思 えてなりません。何かを頑張るといっても大抵は自分のため だと思います。 それというのも、人生に限りがあるゆえに人のことよりもま ず自分という思考に陥りやすくなっているようが気がしてな りません。 不老不死になってアクセクする必要がなくなってくると、自 分本位の思考を見つめなおす人が多くなってくるような感じ がするのですが。

  • yum_p
  • ベストアンサー率32% (163/497)
回答No.4

プラス面 今、すばらしいとされているものがいつまでも得られる。 例・映画、小説、芸術、音楽など。作者が死なないので。 マイナス面 世代交代が進まないのでは。 社長はいつまでも社長、王様はいつまでも王様、天皇はいつまでも天皇(笑)。 元号がいつまで経っても変わらないかも。

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質問者

お礼

> 今、すばらしいとされているものがいつまでも得られる。 > 例・映画、小説、芸術、音楽など。作者が死なないので。 ただ、作者が飽きて作品を生み出すことをやめることはあると思えます。 また、今まで無難な道にしがみついて芸術方面に進むことを断念してい た人がそちらの方面にチャレンジできるようになって、才能を開花させる なんてことはありそうですね。 > 社長はいつまでも社長、 売り上げが伸びていれば問題はないでしょう。 売り上げが伴わなければ会社が潰れるだけでしょう。その前に株主や メインバンクが社長を更迭させるでしょうけど。 > 王様はいつまでも王様、 王様の圧政が気に食わない人はあっさり国を捨てるでしょう。 高齢だと国を捨てるリスクは大きいでしょうが、若いままならリスクも少 ないでしょうから。 > 天皇はいつまでも天皇(笑) あってもなくても人畜無害と感じてます(笑) > 元号がいつまで経っても変わらないかも。 変わらない方が煩わしさが少なくないですか(笑) ありがとうございました。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.3

多分そういう社会になったとしたら、子供を作る人もどんどん減るような気がします。 ゆぇに、 プラス面 知識・経験の蓄積効率が非常に良い。 マイナス面 人口はどんどん減る

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質問者

お礼

> 多分そういう社会になったとしたら、子供を作る人もどんどん減るような気がします。 大抵の人は生きることに飽きるまで数百年は生きるように なると思いますので、経験できることはなんでも経験しよう と思うようになると思うんです。 なので、子供を育てることも一度は必ず経験しようとするの ではないかなと思えます。また仮に子供を作る人が減った としても、それ以上に死ぬ人が少ないので人口が減ること はどうかなと思います。 ありがとうございました。

回答No.2

プラス面 :研究・開発のすすむ分野がでてくる マイナス面:親子の区別がつきづらくなる

__fresh__
質問者

お礼

> マイナス面:親子の区別がつきづらくなる 確かに!! でも、逆に考えると、恋愛対象の年齢制限がなくなりそうですね(笑) ありがとうございました。

  • kamiero
  • ベストアンサー率31% (88/282)
回答No.1

プラス面:文明の発展が一定水準までは非常にいい感じで期待できる。 マイナス面:個々人の向上心の欠如。で、文明の衰退。

__fresh__
質問者

お礼

> マイナス面:個々人の向上心の欠如。 向上心といっても、今の時代は、安定した仕事に就きたい・いい立場に身 を置きたい、などといったものが殆どではないでしょうか。 限り有る人生を少しでも損をしないためにアクセクしているという印象です。 老化の心配がなければ、みんなに乗り遅れないための努力よりも、本当に 大切なこと・本当に興味があることにじっくり目を向ける余裕を持てるように なると思えるのですが。 > で、文明の衰退。 私は逆の結果になるような気がするのですが。 ありがとうございました。

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