• ベストアンサー

難しく考える癖を少し改めたい

noname#88701の回答

noname#88701
noname#88701
回答No.7

ディスクワーク専門の方のようにお見受けいたします。 無駄を省きたいという気持ちの焦りがかえって悪循環になっているようにも思えます。 無駄だと思う理性で自分の全てをコントロールしようとするから無理が生じるようにも思えます。 思考の余裕や遊びがない状態では、逆に思考の働きが鈍ってしまうのではないですか。 無駄だと思う思考があることが健全なのかもしれません。 アイデアを練る仕事でしたらなおさらのような気がします。 私には計りかねる事ですが、現在の状態があなたの頭脳が選択した最良の仕事の形なのかもしれません。 無駄はあったほうが良いと思います。 無駄が無くなった時には、無駄でないものも失われてしまう可能性が生じるかもしれません。 無駄が生じることを健康で自然なこととして受け止めてください。

farenheit
質問者

お礼

なるほど、と思いました。 確かにそれが自分らしさと思っているであれば、直すというよりかは、どうしたらより良くなるかということを考えるべきですよね。 他の方のご回答も参考にして、改善するよう努めたいです。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 「物事の本質をシンプルにとらえる」方法を知りたい

    仕事の場で、「物事の本質をシンプルにとらえる」ことが課題である、という指摘を受けたことがあります。そしてそれ以来、「物事の本質をシンプルにとらえる」ことができるようになるにはどうしたらいいか考えています。 調べてみると、 https://www.kyocera.co.jp/inamori/philosophy/philosophy46.html にあるように、私を含めた人間にはものごとを複雑に考えてしまう傾向があること、 ものごとの本質をとらえるためには、実は複雑な現象をシンプルにとらえなおすことが必要なこと、それが大切なことは分かります。 しかし、ではどうしたらいいのか、という問いに対する答えがいまだに分かりません。 みなさんは「物事の本質をシンプルにとらえる」ためにどういうことをしていますか。

  • 逃げ癖を直すにはどうしたらいいでしょうか?

    私は現在29歳です。今まで18歳の頃から9年間働いた運送会社ではパートでしたが社員のように働かせて頂きました。 自分から率先して物事を行い、嫌な事があっても頑張りやりがいも感じていました。 しかし、長時間勤務で体調を崩し残ったのはボロボロの坐骨神経痛と自律神経失調症の体だけでした。 そこから働く意味が全く分からなくなり、仕事も続かなくなりました すぐ辞めてしまったり、無断退職してしまう場所もありました。 自分では全く逃げていたとは気付かなかったのですが、最近気付いた事でこのままだと将来も生きていけなくなることに気付きました。 精神的にも金銭的にもです。金銭的には全く余裕が無くむしろマイナスです… 母親に年金なんて払っても、将来もらえないんだから払うほうがバカだと言われ 自主性がないまま過ごしてきたため 未納の分もあります…。 そして、今まで人を思いやることが出来ずに生きてきてしまい それが幼少期の体験からなのかも分かりません。幼少期は複雑でした。 しかし運送会社に勤めている時は前向きで居られました。 それは自分が頑張った事があったからかもしれません… ただ自分は多分、境界性人格障害ではないかと思います。 もう動かなくてはいけないのに何もかもが面倒だと思う気持ちと頑張ってきたはずなのに…と思うきもちでいっぱいで やる気がまったくありません。 どうにかして前を向いて生きたいのですが、何かいい方法がありましたら教えてくださいよろしくお願いいたします。

  • 生理前のイライラ期に、ネガティブメール

    生理前でイライラしている時期に、彼氏から仕事で落ち込んでいたり、体調悪い等のネガティブなメールが来ると返信する気が起きません。 優しくできず、突っかかることを言ってしまいそうです。 辛い時に優しいメールが返ってくる彼女じゃ無いと、この先長く愛してもらえないですよね。 生理前の精神状態では、普通のメールに対する返信もかなり辛いです。ですが、いい彼女を演じるつもりで頑張って送っています。 でも、ネガティブなメールはどうしても無理です。 付き合ってまだ数ヶ月なので、私の生理前の症状を彼は知りません。 生理前以外では、どんなネガティブなメールにも心配したり励ましたり自然とできるのですが・・・。 ネガティブといっても、日常的に恋人や家族などに話すようなもので、本来なら決して不快になるようなものでは無いんです。 今まさに生理前で、彼からネガティブメールが来ているところです。 返信しないといけないと思いつつ、どうしても返信する気がおきなくて・・・ こんな時、どうしたらいいと思いますか??

  • 大人になってから何でもできる人になれますか

    22歳です。何でもできるというのは、私の主観での、できたらいい物事に限ってなのですが。。。よく運動神経抜群、容姿端麗、成績優秀などの何でもできる人達いますよね。そういった人達の意味に使う何でもできる、の定義と似ていると思います。 今まで自信がなく、何もこれといったものを身につけずに成長してしまいましたので、私にはアイデンティティがありませんでした。 それが嫌で、19の頃から小さい時に習っていたピアノを始め、毎日練習して今ではピアニストレベルの曲が弾けるようになり、少しだけ自信がつきました。今後アイデンティティとして身につけたいこととして、英語、絵、写真など色々あります。でも色々ありすぎて、こんなにできるのだろうか。。。と悩んでいます。絞った方がいいのでは、と。仕事にしたいわけではなく趣味でです。でもアイデンティティになるくらいのレベルにはしたいのです。本当に自分に自信がないので自信が持てるくらいには; それで、大人になって色々身に付けた人のお話をお伺いしたいと思いました。時間的な面での成長などなどもお聞きしたいです。 よろしくお願いします。。

  • クセの強い後輩・良い接し方はありますか?

    (この質問文に気分を害する方もいらっしゃるかもしれません。そう感じさせてしまう部分がありましたら申し訳ございません。) 職場のある後輩(大阪出身。関東住まいは初めて)との接し方で困っています。 その人は明るく気遣いができ、仕事も頑張っていてすばらしいと思います。 良い人ですが最近疲れます。 何が疲れるかと言うと、仕事中・休憩中とよく話す私に対して。。。 1)自分の意見は、例え間違っていても矛盾があっても絶対に曲げない。 2)デリカシーのない言動が多い。 3)二人だけの時はなぜかタメ口(私が6つ年上・先輩というのは承知)。 特に1)は耐えられません。客観的な事実に基づいていればまだしも、そうではない事が多く、頭が真っ白になります。 2)3)には、「私はそんなにナメられる人間だったのか」と自信喪失。 ※大阪の人全員がこういうタイプとは思っていません。あと、関西弁は割と好きです。 ソフトに注意したら、後々になって冗談ぽく「◯◯さんはこういうコトにイラっとくるんだよね」などと言ってきました。 もはや良い対処法が分からず、どんなに頭にきても「へー」とか無言とか、適当にやりすごしてしまいます(だから一層ナメられるのかも)。 あと、少し病弱らしいので。 神経質すぎるかもしれませんが、ストレスでお腹痛いし我慢の限界です。 <質問> ◯「距離を置く」以外で、ストレスを貯めない良い接し方はありますか?  (仕事上、要話し合いで距離を置くのは難しいため) ◯大阪の人は物事をハッキリ伝えますが、自分の至らない点も厳しくハッキリ言われた方が気が楽ですか?また、キツい口調でしゃべった方がうまくいきますか?

  • なぜ、「哲学」を「探究」しようとするのか?

    「探究」の姿勢こそ格好いいと思う風潮って今の世の中にありませんか? より深くを洞察するというか、見えないものを開拓するかのような、 向上心に対しての姿勢を優れているとする傾向に疑問を感じました。 私にとって哲学は「人が豊かになる為に考えさせる」学問だと思います。 そして、これは私たちが「哲学」を考える上での素朴な疑問です。 「科学的に分析する」=「探究」という姿勢、 これは東洋哲学を理解するにそぐわないと考えます。 「木を見て森を見ず」という言葉が日本語にあり、 これは「木」も「森」もどちらも大切でその姿勢を説いています。 私はこうしたことから「哲学」の本質は 世の中の「ありのまま」である真実を見抜くことだと考えています。 しかし、何もかもが全てであるとか、人の見地ではその全ては分からない。 「ありのまま」という立場を受けいれる姿勢が馴染み易いかと思います。 「探究」という言葉に目を向けたとき、 それは人の我欲の表れを示しているように思います。 好んで「探究」という言葉を使う時は、究めたい(よう)とする我欲に陥ります。 人の「心」というものを知ろうとする時、 曇った眼で真実が見えてこないのと同じで、 我欲は人の「正しく考える」知恵を曇らせてしまいます。 確かに西洋哲学には「超越」という境地があります。 しかし、真実というものは「超越」するものではなく、 「そこにあることに正しく目を向ける」ことにあるのではないでしょうか。 自らが見つけた一つ一つの真実、 そこに捉われずにさらに進んだところに目を向けるようにすれば、 私たちはより深くものごとを知ることに繋がると考えています。 日本思想や文化は「侘び寂び」といった「あるがまま」に対する 「ものの憂い」といった精神から育ってきました。 それは私たちが私たちであるというアイデンティティと呼べると思います。 私たちが「想うがまま(侭)=わがまま」にならないことに、 一番に目を向けてきた誇りだと呼べると思うのです。 感覚的に何かを置きっぱなしになっているような気がして、 それが「哲学」を「探究」するという姿勢を不適切に思わせます。 飽くまで「ことば遊び」に過ぎないので、 「探究」という言葉の価値自体を否定する気はないのですが、 この辺りについて、西洋哲学や東洋哲学といった枠を越えて、 ご意見をお待ち申し上げます。

  • ものごとを客観視できるようになりたい

    「哲学」コーナーでのコメントを見ていると、皆さんいろんなものごとを客観的に見る力があるんだなぁと関心しました。 というのも、先日、仕事上の上司に「おまえは自分を含めてその場を客観視することができていない」というアドバイスを受けたところなのです。 就職活動の時にやるような、「自己分析」はレベルはともかくやり方はわかるというか、できている感覚はあるのですが、リアルタイムに進行している”場”と”プレーヤー”の状況を客観視するという感覚がわかりません。 単に余裕がないだけかもしれないのですが、コツというか、皆さんがものごとを客観視するときに意識してやっていることを教えてください。

  • マインドフルネス瞑想についての質問

    不安障害、パニック障害があります。いまはよくなってますが元々感情に振り回されやすいので復職後の再発防止にマインドフルネス瞑想をやり始めました。 数年前にも1日15分やってましたが、瞑想中や後はリラックスするのですが、日常生活や仕事ではネガティブな雑念、自動思考だらけで感情に振り回され、なかなか生かせず1ヶ月程度で辞めてしまいました。 やり込んでる方に質問です。 ・瞑想の効果を日常生活や仕事で感じたのはやり始めてどのくらいですか? ・瞑想してる時以外の時、雑念がわいてきたときはどうしていますか?特に普段は意識してませんか?(私は瞑想してる時以外は、雑念だらけです) ・瞑想し続けていると、普段から意識せずとも雑念が湧きにくくなった、無意識に我に帰れたとかありますか ・瞑想中に例えば「肩が痛い」「あとであれやろう」とでてきたとき、「いまは呼吸に集中」と思って戻してるのですがあっていますか? 「あとであれやろう…あ、いまは瞑想中だから後で考えよう」って思うのはダメですよね?

  • 自分のアイデンティティについて

    こんにちは。 こちらのカテにて度々相談させていただいております。いつもお世話になります。 今回、自分のアイデンティティ、価値観について、それとの向き合い方などに疑問を抱いた為質問させていただきます。 具体的に何が気になっているかと言うと、僕は昔から自分の考え、発想が弱いのか、周りに流され易く、その結果今にいたるまで後悔の山となって思考の邪魔をするほどの状況を招いてしまっています。酷い時は自分の事すら自分の事として処理できずに、無責任な考えをしてしまいます。 最近言われて気づいたのですが、それらは自分を中心に考えるから複雑になっていけないという事なのかなと思いました。 しかし結果他人を思ったり、他人の為に考えると、また同じ様に自分を見失って流されてしまうのではないかと不安です。 自分が無い、弱い事はどう解決していけば良いのでしょうか? 僕は自分の顔が周りからどう見えるか?(自分で見るとその時々でコロコロ印象が変わる) など、判断基準や思考が不安定と感じる事があります。 そんな時は自分がどうしたいか、どうありたいか、認めたくないなどの感情が複雑に入り組んで本質が見えなくなります。目的をもっても何かをきっかけに、それらの雑念に囚われて失敗してしまいます。 本気でなんとかしたいです。自分を見つけたいです。教えてください…

  • 自分の世界観をより実り多く豊かにしたいのですが

     最近自分の世界観を広げたくて、哲学に関心を持ったのですが、 ただ何もせず日々思ったことや考えたことを書き連ねるだけでは、あまり世界観が深くなるとは思えない。 全くならないことはないと思うけど、歩みが非常に遅い。 さらに一人で考えてばかりだと煮詰まって妄想同然のような考えになりかねない。  そういう時のために人間読書をしたり他人と意思疎通したりして外部から情報を入手して哲学をより広く深く普遍的にしていく、 と個人的には思うのですが、 ひょっとしたら哲学書だけ読むのではなく、哲学書以外のものを読んだり体験したり したほうが四六時中哲学書に向かい合っているより、より豊かな世界観になるかもしれない、とも思うのです。  実際、思想の科学研究会さんの出版している「哲学・論理用語辞典」の哲学への手びきの項の紹介で文学や科学者の書いた随筆文 や講談社さんの「哲学の木」の序文での紹介で中世神学の神の存在証明などを説いた本を読んだときのほうが、 まだ最近哲学書を読み始めたばかりなので哲学の奥深さを理解していないせいもあるかと思いますが、 哲学書だけを読んでいる時よりも実り多かった気がします。  哲学をやると言っても、人それぞれ好みがあって進む方向が違ってくるのが当然だからどの方向が実り多いものになるかは わかる訳がないし自覚していないので (漠然と難しい数式や化学式よりは文で知ったほうが楽しいと思えるので 大まかには文系嗜好だとは思いますが)どうしたらより実り多く豊かな哲学が育まれるのかわかりません。 そこでご覧の皆さまにお伺いしたいのですが、どうしたら豊かな哲学が作れるでしょうか? 右も左もわからない自分にこんなことを紹介している本があるよ、こんな風に考えて物事に取り組めば良いよ、こんな世界があるよ というようなアドバイスがあったら教えて下さい。一人で興味があることだけを追っていっても それだけでは学習と興味の範囲に限界があると思ったからです。個人的に実り多かった本or体験だったと思うことでも構いません。 教えて下さい。宜しくお願いしますm(__)m