解決済みの質問
自分がこうだから相手もこうだろう
という思い込みが摩擦になりうるんなら、
やられて嫌なことは人にしちゃいけない
という言葉も、なんだか違う気がする。
殴られると痛いから人を殴っちゃいけないとか当たり前なことは除いて、(細かく言うと、これにも特殊な場合の例外がありますよね)
他人が嫌だと感じることでも、私には平気なことがある。私には嫌なことでも、別に平気だという人もいる。
(たまたま合うことはたまにあるんだろうけど)
理解することは絶対に出来ない自分以外の人間の気持ちを推し量るのって難しくないですか?
私には難しくて仕方ありません。
とくに私にはそういった能力が欠如しているようで、どうにか補いたいと思うのですが、なかなか上手くいきません。
自分に当てはめて考えることしか出来ないからです。
私にあるだけの想像力を駆使しても裏目に出たり。とほほ ー_ー
自身の言動が相手にとって正解だったのか毎度毎度教えてもらえないけど、皆さんはどうしてるんですか?
アドバイスをくれると嬉しいです。
辛い経験を沢山すると人の痛みが分かる人間になれるとか。どうなんだろう?
善かれと思ってやった→相手にとってそうじゃなかった。違った→ごめんなさい。なら◎
「善かれと思ってやったのに」と言い出す(言い足す)。×
親の心子知らず。子の心親知らず。分かってくれと言うばかり、分かろうとしない。
優しさも押し付けになることがあります。
自分以外の人間の想いを汲んで言葉を発したり行動できる人は凄いと思います。
私の話は普段でも分かり辛いようなので、この質問も分かり辛いかも知れません。ごめんなさい。
何か思ったことがありましたらコメントして下さい。
投稿日時 - 2009-03-10 13:42:58
誰もが一度はぶつかる壁(問題)だと思います。(もちろん考えない人もいますが)
この問題には絶対これっといった「答え」がありません。
それは人の心が問題であるからです。しかし、人の心なんて十人十色。何通りもあります。
ですから、いますぐ相手の気持ちを汲んだ接し方をしたいと思ってもすぐにできるものではありません。それこそ何千、何万という不特定多数の人間と接してきた人が身につけられるものではないでしょうか。
だから「自分はこうだから、相手もこうだろう」という言葉も時と場合では間違った対応になってしまうのです。
質問者様は「人の気持ちを推し量るのが難しくて仕方ない」といいますが、そんなの当たり前なんです。人の気持ちなんて、一日で変わっちゃうぐらい不安定で揺らぎやすいものなんです。
そんなころころ変わってしまうものを定義するほうが難しいのです。
ですから、へんに構えず、相手に率直に気持ちを聞いたほうが早いです。よっぽど聞きづらいものでなければ「こういう時、あなたはどう思いますか?」と尋ね、答えが返ってきたら「この人はこういう考え方なんだ」と納得すればいいのです。
で、自分の定義で行動したことが相手にとって不快なことだったら「よかれと思ってやったのですが、不快な思いをさせてしまったようですね。ごめんなさい」といえばいいのではないでしょうか。
誰だってこういうことは一度や二度あります。それで仲たがいになってしまうこともあります(私です)
しかし人と付き合っていく上でどうしても出てきてしまう問題であり、一生涯悩み続けるものだと思います。
最後に「自分以外の人間の想いを汲んで言葉を発したり行動できる人」は本当にいろんな人間に出会ったからこそできる人なのではないでしょうか。しかもどんな痛い目にあっても人を信じられる人ができることなんだと私は思います。
投稿日時 - 2009-03-10 14:15:33
お礼
おお!凄い!
>しかもどんな痛い目にあっても人を信じられる人ができることなんだと私は思います。
ですね!ですね!
>人の気持ちなんて、一日で変わっちゃうぐらい不安定で揺らぎやすいものなんです。
そうですよね。言われてみると気づきました。それもありますね。
答えもないし、永遠にこういう優れた人間にはなれないかも知れない。
だからって諦めたら終わりだから、出来る範囲で頑張っていきたいと思います。変に構えずにですね。
だけど、私は自然体に問題があるらしいんです。(笑
ありがとうございました。
投稿日時 - 2009-03-10 14:23:34
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ベストアンサー以外の回答(10件中 1~5件目)
私も子供頃からずっと
「自分と他人ていっても所詮同じ人間なんだから
考えることも、そう大差ない」と思っていました。
でも、大人になるにつれて、全くそうではないことに
気がつきました。ほんとに十人十色、千差万別です。
どれが正解かなんていくら考えてもわからないです。
結局は「こうすれば、相手にとって正解、不正解」よりも
「自分と相手が合うか合わないか」の一言に尽きると思います。
たぶん自分と波長があって、好きだと思える相手なら
自分と価値観が違っても、そこがいい!と思えますよね。
>自分に当てはめて考えることしか出来ないからです。
私にあるだけの想像力を駆使しても裏目に出たり。
自分にとってベストな方法を他人がしてくれるということは
本当に難しいと思います。
でも、もし質問者さんが良かれと思ってしたことが
例え相手にとって迷惑だったとしても、
それを迷惑だと切り捨てる人はダメです。
長く付き合っていれば質問者さんがどういう人であるか
わかりますよね。逆に言えば人の本質を見ずに
「あーしてくれなかった」とか
「私の気持ちをわかってくれなかった」と
一喜一憂するような人と長く付き合っていくのは難しいと
思います。
だから、あまり深く考えずに
表面ではなく本当の質問者さんのことをわかってくれる人で
あれば、「この人なりの優しさだな」とか
「この人らしいな」と思ってくれると思います。
作家の中島義道さんは哲学者の方ですが
かなりヘンコツなおじさんで、多くの人が良かれとする
一般的な感情が大嫌いな人です。
例えば「みんなの喜ぶ顔が見たい」という人とか
「笑顔のたえない人」とか
「感謝の気持ちを忘れない人」とか・・。
自分でも少数派の人間だと仰っていますし
また、少数派がいかに無視される、生きにくい社会かと
いうことも書かれています。
私は平凡な人間だし、ここまで極端ではなりませんが
大いに共感できる部分があります。
とても読みやすい本ばかりですので興味があったら
1度読んでみてください。
きっと今のままでいいんだって思えますよ^^
投稿日時 - 2009-03-11 02:55:34
こんばんは!
私は質問を読ませて頂いて、anxiety25さんってすごく真摯なかたなんだなと思いました!!尊敬です!!
私こそもしかしたら、お読みになった際にどう受け止められるか思慮の至らなかった文面で(しかも全くメッセージ性をもたせたつもりではなかった!!本気で励まそうと回答していた)文字でみたらとげとげしかったかもと反省しました!説明不足でしたし、相手の方に本当に申し訳ないです!
あ、これは独り言です!!すいません!
先に申し上げますが私、文が下手ですのでなにか説明不足や勘違いがありましたら申し訳ありません・・
補足いくらでもさせて頂きます。
本当に他の方の気持ちを考えた行動は難しいですよね。
私もいっぱい勘違いしたり、傷つけてしまったことあります!!
またやらかしてしまいました!!!
>善かれと思ってやった→相手にとってそうじゃなかった。違った→ごめんなさい。
なら◎
で少なくとも私はいいと思います。
精一杯相手の気持ちを考えていったやった→違った→どうしたらよかったの?→こうしたらよかった→次から参考きをつける
裏に愛情を感じられればその場の話し合いのやりとりで解決できると思います。根にはもちません。
きっとすでに信頼されている仲であれば問題なさそうですね。
お互い学びあって成長していければいいなと思います。
・・・と思っているのは甘いでしょうか?
恩師に教えて頂いたのですが、キーワードは、相手を信じて尊敬する心、多様性を認める心、柔軟性、共感力
などでしょうか??
頭が死んでるかもしれません!!すいません!!
投稿日時 - 2009-03-11 00:45:23
自分の行動というものは自らのココロに応じて発出するもので、
それは自分であろうと自分以外の人であろうと同じです。
ではココロは見えるのかといえば、当然見えないものですから、
自分のココロさえ見えない(わからない)のに、相手のココロを
理解しようとするのはとても難しいです。
私もanxiety25さんのようになかなか相手の側にたって物事を
考えるということが苦手です。何かの拍子に口喧嘩になった時も
つい「自分はこう考えているから」ということをストレートに
表現してしまいがちです。勢いがつきすぎてしまうと、相手の
言うことが右から左へと流れ、自分の気持ちを一方的にぶつけて
しまうなんてこともありました。
自分が平気でも相手がだめなこと、相手が平気でも自分がだめな
ことというのはあると思います。それを考えて行動して、裏目に
出てしまうことなど良くあることだと思いますよ。ただ、それに
めげずに相手の気持ちを推し量って考えて行動していくことが、
「相手の気持ちを理解できる人」になる唯一の方法ではないかと
思っています。10を聞いて1を知る、くらいの遅々とした成長?
かもしれませんが、理解しようとしなければ理解できるようには
ならないのではないでしょうか。私も10を聞いて1を知れば
上出来なほどゆっくりと、自分なりにがんばっているとこです(笑)
当然ですが、自分がいて相手もいるからこそこのような悩みが
出てくるのでしょうから、「自分は自分、相手は相手さ」と開き
なおってしまうのは、anxiety25にとってあまり良くないのでは
ないかと思います。相手との関係をすべて断ち切るのならば、
それでも良いかもしれませんが、そうできない相手ならば少し
でも相手の気持ちを考えることが大切だと思います。
ご自分で書かれていますが、「自分に当てはめて考えることしか
出来ない」のは当然です。さらに、自分で考えられないことを
行動に移すことはできません。その結果、相手の意にそぐわない
ことをしてしまうかもしれませんが、それでいいじゃないですか。
大事なのは、そのことを覚えておいて次に生かすこと。また同じ
ようなケースが起こった場合は、失敗したことを思い出せば失敗を
繰り返すことはなくなるはずです。
ただ難しいのは、この相手というのが親の場合。全ては「親心」
ないし「子どものため」、「親が子どものことを心配するのは当然」
という理論を振りかざして、親の意見を子どもにぶつけてきます。
本当に子どものためを思っての言葉ならばいいのですが、親が
子どもを思い通り操るために押し付けてくる場合は大変です。
でもその場合は、「親は相手(子ども)の心を推し量ることが
できないんだな」と、子どもが親の心を推し量ってあげるのも
親子関係の一つなのではないかなと思います。
投稿日時 - 2009-03-10 16:30:30
質問文を読んでいて感じたことがもの凄く上っ面だけしか見ていないのかなと言うことでした。
まず己の欲せざること人に施す事勿れは人間関係の最初の基本的な行動です。
この人はどういう人かわからないときには、その人柄がわかるまで何かをしてあげるのでなく自分ですら嫌だと思うようなことをしないように接する。
自分がされて嬉しいと思うことが相手も嬉しいと思うとは限らない。
小さな親切大きなお世話になることも多々ある。
しかし、自分が嫌だと思うことをしないくらいでとどめておけば相手を不快に思わす可能性は減ってくる。
そうして相手がどういう人かをわかっていきその人に合わせた態度に切り替えていく。
>私には嫌なことでも、別に平気だという人もいる。
別に平気と思う人が居るからって、自分が嫌と思うことをする必要はないんじゃないですか。
善かれと思ってやったこともどう善かれなのでしょうか。
相手が喜ぶことと、相手のためになること、相手が楽をすることさまざまな善かれが有ります。
例えばその人の為になることは、その人自信は余計なお世話だと思うことって多々あります。
例えば不良や悪いことをしている人をそういう悪いことをしないようにさせるために注意すること。
たとえ優しさの押し付けになろうがやらなきゃいけないと思える、善かれですよね。
相手が喜んでもらえるだろうと思ってやったことが相手が迷惑に感じたのならごめんなさいですが、相手のためになることの場合は相手が迷惑に感じようがそれをやり続けないといけないでしょう。
いくつかの「似ているけど実は本質が全然違う」ことを
その表面しか見ないで本質を見ないから周りの人にはわかりにくくなるし、
自分も相手のことがわかりにくくなるのではないかなと思いました。
投稿日時 - 2009-03-10 16:13:21
国や地域や人種にもよりますよね
同じ地域内で自分と同じ人種とか似たような人種同士では何も言わずとも理解し合えるんです
ですが地域内に自分と違う人種が来た場合、たとえば自分たちは中国顔だけど相手がイギリス顔だった場合、相手の心情やポリシーとか境遇とか、解りますか?解らないですよね
その場合、イギリス顔の新人をどう扱うか、強制的に郷に従わせるのか、それとも相手を理解しようと中国顔の先住民もイギリスについて勉強しようとするか、どちらかですよね
投稿日時 - 2009-03-10 14:55:50
お礼
そういった観点からは考えていませんでした。ありがとうございます。
>同じ地域内で自分と同じ人種とか似たような人種同士では何も言わずとも理解し合えるんです
そうですか? 私はこれすらままならず質問しています。(苦笑
サーセン
でも、言いたいことはわかりますよ。
文化の違いは大変ですから。そこが同じだと分かり合える部分は多いですよね。
ただ、やっぱり、人種が同じであっても、同じ地域で生まれ育ち暮らしていても、自分以外の存在を理解できるとは思えません。
投稿日時 - 2009-03-10 15:14:56