• 締切済み

自己実現欲(できるようになりたい)という一般度

何かがうまくなりたい、そのために苦労もいとわない、とにかく自分の能力を高めて、いろいろわかるように、できるようになりたい!と言う欲求を持つことは、あまり一般的ではないのでしょうか? というのも、ゆとり教育などと言うものが導入されたのも、結局は子供のやる気と言うものがたいしたことはない(したがって大人になったところでその傾向は継続する)という現実に対する対策だったのかなぁなどと妄想しています。そんなに、自己実現性欲求というものは、特殊でしょうか?

みんなの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

>自己実現欲(できるようになりたい) :は誰しもがとても強く持っているはずのものではないかと思います。 それが一般的でないように感じられるのは、また、実際一般的でないのは、自己実現の方法を規制されているからではないでしょうか。 親による躾からはじまって、学校での指導教育方針に大きな問題があるように思われます。 教師は本来、子供の持てる力を引き出す手助けをすべき存在のはずですが、教え込めは良いと勘違いしている方が多いような気がします。 芽が伸びるのをじっくり見守るよりも、教え込む技術のほうが簡単でもあり、教師の能力の問題もあるでしょう。 それに輪をかけて教育委員会や文科省の役人、はたまた政治家が認識不足に基づく教育方針で現場の教師を規制しているわけです。 自己実現すらも規定のレール上で行わせようとする傾向があるわけで、つまり本来の自己実現ではなく檻の中で自己実現する道を強制されているようなものでしょう。 社会的ルールを覚えさせることと、社会的タガをはめようとすることは全く別のことですが、この区別のつかない教師が一般的ですから、結果として(自然に発露しかけているはずの本来的)自己実現など目指すきっかけすら得られない子供が増えていくことになるのだと思います。 ゆとり教育などという付け焼刃的方針が失敗したのは、「ゆとり」をお仕着せようとしたからでしょうね。 「押し付けられたゆとり」や「監視下の自由」などという矛盾が子供相手ならば通用すると思っているところが、この国の浅はかな思考形態の一端であるということは言えそうです。  

garcon2000
質問者

お礼

たいへんよくわかります。 すべて教育界は付け焼き刃ですね。 だいたい、ゆとりなんていう偽善的なパフォーマンスほどいやらしいものはない気がします。魂胆どおりに、押し付け教育のほうがどんなに完結した話しだろう。 外国語教育でもそうだとおもいますが、文法や構文を教え込むほうが、話せるようになるコミュニケート授業より簡単ですから。安易に安易に流れます。

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回答No.4

garconさん、こんにちわ。 えーっと、もともと「ゆとり教育」っていうのは 「個性を大切に」とか 「その子のオリジナルの“◎△◇したい”を考えてもらおう」 ということだったような気もするのですが、 「強制的個性化」という「画一化」が進んでいるような気も。 「・・・たい」というような「欲望」は、 何かの「不在」「欠如」を感じたときに発するもので、 「不在」「欠如」を感じるためには、 「在る」ときの記憶、「満たされた」ときの「記憶」が必要です。 「在る」とか「満たされる」という状況を手にいれるためには、 「求める」ということをしなくちゃいけないのですが、 今はあんまり強く「求める」をしなくてもそこそこ満たされ、 そもそも危機感を感じる状況が少なくなっているのでしょうね。 しかし「求める」を投げる対象だけはやたらと増え、 「求める」を「なにに」「どうやって」投げたらいいのかわからなくて 戸惑っている人も多いんじゃないでしょうか。 「・・・たい」が消えちゃってるわけじゃなくて、 「・・・たい」を選んで決めて実行するまでに、 ものすごく時間がかかるのも仕方ないのじゃないかなあと思います。 ではでは。

garcon2000
質問者

お礼

その、~~したい、というのがないところに、ゆとりも何もないと思われるのです。それが出てくるようにしてから初めて出すべき話しであるのに。そういう論理的でないことを平気でやってしまう浅はかさがありますね。 教育界は問題ですが、個々人はもっと気楽にがんばりたいものを見出せてもいいですね。そんなに難しいでしょうかね。

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回答No.3

何かができるようになりたいと思うことはとても普通のことだと思います。 そしてできるようになるためには、失敗や間違いをすることは当たり前の ことでしょう。 しかし、今の教育の仕方では失敗や間違いをいけないものとしているために 失敗や間違いをしないようにするにはなるべくならやらない方がいいといった 方向になっているのではないかと思います。 何かができるようになるためには、たくさんの失敗や間違いを積み重ねた 中からたくさんのものを発見してできるようになることだと思います。 その発見はたぶん楽しいものでしょう。 そういった機会を人から奪わないようにすれば誰かが言わなくても 向上心は育つと思います。 失敗をしてはいけない、間違ってはいけないと言われ続ければ 何かにチャレンジしようとする勇気は持てなくなるはずです。

garcon2000
質問者

お礼

失敗を認めていない風潮、それがやる気をそいでしまうと言うことは大いにありますね。これしろ、あれするな、こうしろああしろ、それはつまり、「お前のやる気なんて関係ない」ということに大体つながっています。社会的文脈と言うのも大きいですね。

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noname#194289
noname#194289
回答No.2

現状に満足するというのが生物にとっては一番幸せなことなのではないでしょうか。大多数の人が現状に満足しているというのがや肺報復な時代だろうと思います。その中で満足できない人というのはやはり少数派にならざるを得ないと思います。ゆとりが与えられるということは現状で満足することをさらに保証していることになりますから現状満足派である大部分の人はますます今のままで良い良いということになるのは当然のように思います。

garcon2000
質問者

お礼

幸せ、と言う観点からすると、現状維持それに満足していると言うこと以上のものはないでしょう。しかし、人間は不足感を糧にしている生物ですから、不足感がないというのが一般的と言うのはどうも解せない気がします。でも、あまりにやる気やる気になっている人も一般的ではないです。

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  • kt1965
  • ベストアンサー率34% (116/339)
回答No.1

マズローの5段階欲求説に基づくものであり、別に悪いものではありません。特に、ベンチャー企業などでは、従業員や経営陣の目指すものとして、提示されております。 ただし、問題は「競争過多」になりすぎる嫌いがあり、それによって内部的には不毛な「いじめ」や陰湿な「ルール違反」などが起こりやすいという課題を抱えています。 本質論的には、人間一人一人としてみれば、自己実現欲というのは誰でも持っているものであり、別に悪いものではありません。 問題は、それらが組織コントロールなどに利用されると、過当な競争を生み、しなくても良いことまでやらせるという組織上の問題を抱えているのも事実です。 ライブドア事件を振り返ると、その辺りにも深い闇が見えてくるような気がするのです。昨今では、コムスン事件や一部派遣などでの問題も同じところにあるような気がします。

garcon2000
質問者

お礼

たしかに、あまりに自己達成欲が一般的になってしまうと、競争過多からくる不都合が発生しそうですね。つまりは、やる気ばっかりはびこってしまったら、それなりにいい面もあるがわるい面もある、そういう世の法則に支配されていると言うことなのでしょう。

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