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自己実現欲(できるようになりたい)という一般度

kt1965の回答

  • kt1965
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回答No.1

マズローの5段階欲求説に基づくものであり、別に悪いものではありません。特に、ベンチャー企業などでは、従業員や経営陣の目指すものとして、提示されております。 ただし、問題は「競争過多」になりすぎる嫌いがあり、それによって内部的には不毛な「いじめ」や陰湿な「ルール違反」などが起こりやすいという課題を抱えています。 本質論的には、人間一人一人としてみれば、自己実現欲というのは誰でも持っているものであり、別に悪いものではありません。 問題は、それらが組織コントロールなどに利用されると、過当な競争を生み、しなくても良いことまでやらせるという組織上の問題を抱えているのも事実です。 ライブドア事件を振り返ると、その辺りにも深い闇が見えてくるような気がするのです。昨今では、コムスン事件や一部派遣などでの問題も同じところにあるような気がします。

garcon2000
質問者

お礼

たしかに、あまりに自己達成欲が一般的になってしまうと、競争過多からくる不都合が発生しそうですね。つまりは、やる気ばっかりはびこってしまったら、それなりにいい面もあるがわるい面もある、そういう世の法則に支配されていると言うことなのでしょう。

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