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死とは

生から死への間は自由が与えられていますが、死とは何なのでしょうか?

投稿日時 - 2003-01-25 11:56:59

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QNo.454754

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回答(19件中 1~5件目)

ANo.19

生きているものはみな死につつあると言えます。不可逆的な変化であり、常に身に起こっていること、それが死であるとするなら、生物はみな自らの死と共生していることになります。死とは生命の変化の様態の一つであると言えるのではないでしょうか。そしてその変化が完了したときを死の訪れと呼んでいるのだと。

自分が自分でなくなっていく瞬間瞬間を死と呼ぶのかもしれません。

投稿日時 - 2011-05-18 13:47:34

ANo.18

以下は、私が本等で知り、納得できたものですので、紹介します。
 死とは、肉体と魂が分離しただけのことでもあり、ちょうどぬいぐるみから魂が出で来るようなものです。
 また、肉体と魂の関係は、パソコンと電気のようなものでもあり、肉体やパソコンは【物質】ですので、やがて消滅しますが、魂や電気は【物質】ではなく、存続します。パソコン稼働中は、あたかもパソコンが自動的に動いているように見えますが、それは電気が通っているからこそです。
 また、魂は(意思・思考・感情等を持った)気体・電波のようなものですので、ちょうど缶詰のフタを開けて中から気体が出て来るとその比重・波長によって階層等が分かれるように、魂も肉体から出るとその比重・波長に応じて行く先が分かれます。
 以上は理科的な説明ですが、以下は国語的に説明します。
 人間は死んで肉体から魂が出ると、通常はあの世で自分の一生を映画のように上映されます。それを見て、自分がどのような人柄・人格であるかを自他共に認識・納得させられ、人格に応じた世界へ行くことになります。(上映不要なほど人柄が明白の場合等は上映なしに直行というパターンもあります。)
 ちなみに、この世では他者にわからないようにふるまったことでも、上映においては明白になりますし、自分が他者へ与えた影響によってその後その人がどうなって行ったか、その人の感情まで伝わるそうです。
 そして、上映後観衆から拍手を送られる人もいれば、その逆の印象を持たれることもあります。
 それで天国行き・地獄行きが分かれますが、どちらも更に様々な階層・種類に分かれています。心境が変化すれば行先も変わりますが、人の趣向は簡単には変わり難いのも現実であるようです。
 なお、天国にいると居心地がいいですが、長く居ると退屈になったりし、そうするとまた新しい体験を求めてこの世に生まれ出て来る、というわけです。(なお、地獄からこの世に生まれることは許されていません。)
 あの世では(基本的に)自分と似た人としか交流できませんが、この世では自分と違うレベル・趣向の人々と交流ができることで、自分も変化したりし、生まれる前よりすばらしい人間となってよりすばらしい世界へ帰ることができるわけで、そうした幸福感を味わうために生きている、というわけです。

投稿日時 - 2008-06-29 22:08:11

ANo.17

私は私たちが一般的にイメージする死は存在しないと思います。
私は生や死を理解する上でまず自分の存在そのものが謎めいており、
そもそも死とは私たちが存在し続けるために勝ち得たプロセスに過ぎず、
なぜ私たちはそういったプロセスを駆使し存在し続けようとするのか疑問でした。
この疑問に対する答えは見つかりませんが、
私は宇宙そのものが存在し続けようとする意思があるのではないかと思います。
それはいつか宇宙が消えてしまうことによる反作用なのかもしれません。
元をたどれば私たち生物もただの物質に過ぎず、
そこに神経回路が形成され、
私たちが普段認識している意思が生まれたようにイメージしますが、
それはあくまでこの宇宙が存在を維持しようとするプロセスに過ぎないと思うのです。
つまり宇宙は私の意思であり、私の意思は宇宙の意思なのであり、
したがってあなたの意思も私の意思であるように思えます。
よって私たちの考える死は存在しないと思います。
無の象徴として死があるわけであり、
死が疑問なのではなく無が疑問であるのだと思います。
つまりそれは宇宙の存在そのものの謎であると考えます。

投稿日時 - 2004-02-15 23:29:12

ANo.16

個性の喪失。

投稿日時 - 2003-02-11 12:31:15

ANo.15

死は自由>それは「解脱」のことを言っているのだろうか?(^^; 

こんにちわ。よろしく。^^
僕も宗教的、考古学的な本を読みふけりましたが、古代の思想からいえば、死は恐ろしいもの、穢れているものだそうです。
だから、神話の話になりますが、イザナギが黄泉の国(死後の世界)からかえってきて、みそぎをしたんです。
「吾は汚いところにいったから、洗い流さなければならない」といって。
死ぬことは汚いこと。おそろしいこと。
黄泉の世界(=死)は暗くて怖いという恐怖感があったのです。
もちろん、日本神話に限らず、ギリシア神話にも死後の世界がでてくることから、古代では黄泉の国と現世(うつしよ)を行き来できたのかもしれませんよね。現代では無理でしょうけれど・・・。
本題からずれましたかね?(^^;


「死」がなんなのか。
肉体と魂が別れることのみをさすのかもしれませんし、
科学的な意見も出ていますね。
僕も死後の世界はみたことがありません。
それゆえ、明快な回答はできないと思いますが、僕なりに思うところはあったのでレスしました。(^^;


仏教の事についてのレスもあったので、書いてみたいと思います。
仏教では解脱と言う言葉を用いてこの世での苦しみを終え、「涅槃」にゆく、と説いていたようです。
解脱は肉体を捨て、魂だけの存在になることですが、この世で悟りを得ると、すっと肉体から魂が抜け、悩みも苦しみもない自由な「涅槃」で暮らせるそうです。
つまり、今日言われるような死に方ではない。だから死ぬことに恐怖感を抱くなというのが、釈尊の意見ですね。インド哲学においては、「ブラーフマナ」と呼ばれる宇宙の真理が存在していますが、これは仏教のもとになったものです。
すべての根元と言われているあたり、死とも関係あるのでしょうけれど、このことについては省きましょう。



キリスト教でも「死を恐れてはならない」とか言うのがあったと思うんですが・・・。
キリスト教は支配的な教えでもあります。だからあまり勉強はしてこなかったんですけど。キリスト教の死生観も、曖昧ではあります。それなのに、
「永遠」と言う言葉が頻繁にでてくるのです。「永遠」はありえません。
仮に永遠があるとして、そうすれば誰も、死にたいする恐怖は抱かないはずですよね。(←西洋思想史は苦手。苦笑)


このように、単純に「死」に対してだけ結論を出そうとしても、でないものなのです。否、僕が理論的な展開ができないだけだと思うのですが。。。
もし違う答えを期待していたら、申し訳なく思います。(^^;

投稿日時 - 2003-01-29 14:18:11

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