解決済みの質問
穏やかな死を迎えるために。
これは一つの提案…というか?仮説ですが?
いかにして穏やかに死を迎えようかと考えているのですが?早くから身辺整理をして?いつ死んでもいい状態に普段から心掛けておくことも必要ですが?
万が一不治の病になっても?病と戦う…という姿勢は止めて?むしろ流れに身をゆだねて抵抗せず?あえて生に執着せずに死を受け入れたら?苦しみを苦しみと感じず多少でも穏やかに死ねるのではないでしょうか!
投稿日時 - 2010-01-29 22:24:07
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ベストアンサー以外の回答(5件中 1~5件目)
はじめまして 日蓮正宗信徒 お寺のさんばーくんと申します。
突然ですが・・・
貴方の考え方は間違っております。不治の病になったとして、穏やかな死になりますか?苦しくて苦しみ
抜く地獄だと思います。貴方はまだ元気に生きておられるから質問されているのでしょう。
この世の中、健康であるにもかかわらず、死への身辺整理をする発想は通常生活している方は皆無だと思
います。
貴方が、実際に不治の病に侵されていたり、これから戦争に行くのであれば、この限りではありませんが、
平和な日本で死の準備をするよりも、今後残された人生を、いかに正しく、安泰な生活を継続することを
目標にして下さい。正しく、安泰な生活を継続することこそ、仏法において成仏と言います。
そもそも人間として生まれてきた貴方は、どれほどまれな存在かがわかっていますか?
人間として生まれてくる確率がどれほど難しい事か考えた事がありますか?
この地球上の生命体種族は、動物、魚介類、爬虫類、草木、雑菌、細菌を含め、おおむね3000兆種以上
存在するものといわれております。さらに、地球上で唯一最高の、知的生命体(ホモサピエンス)の精
子(アメリカ人口並の数)の中から貴方が選ばれ、生まれてきたのです。
つまり貴方は、宝くじに当たる確率よりもはるかに難しい確率の中から選ばれて生まれてきた貴重な存在
な事をもう一度考えてみて下さい。
この不景気な御時世にて希望や、目的を見失っているから、不安な気持ちになっておられるのでしょうが
小生を含め、人は誰でも、大なり小なり仕事や、家庭内での問題は持っているものです。
どうしても人生に不安に思うのであれば、日蓮正宗寺院を訪ねて下さい。きっと御住職様や信徒さん達が
応援してくれますよ。元気を出してください。命は大切にしてください。生命力を鍛えて下さい。生命力を鍛えれば病魔など吹っ飛んで行くことでしょう。
投稿日時 - 2010-04-13 01:06:20
とても意味の深い質問です。 誰もが年を取ると、他人に迷惑をかけず、平穏な死の瞬間を迎えたいと思っています。 ところが現実はさに非ず。
十五年前に父を天国に送りました。 ここで言う天国とは聖書に言う天国です。 病床で洗礼を受け、翌日静かに旅立って行きました。 息子としては最高の親孝行が出来たと神様に感謝しました。
生前、聖書のイエスキリストのよる救いの話をしても、耳も貸してはくれませんでした。 死ぬなんて消極的な考えはしたくない。 一日一日充実して生きれば救いなんて私には必要ない。 そう言い切る父でした。 旧満州時代の友人たちと新京(今の長春)で同窓会をする。 その直前、メディカルチェックで癌が見つかりました。 高齢でもあり、切開手術はしないと家族みんなで話し合いました。 父には知らせませんでした。 でも本人も気づいていました。 三年後、最期の時を迎えました。
家族が交代で看病しました。 或る日の明け方、『お兄ちゃん、こわいよう。 こわいよう。』 か細い震えるような声。 若くして亡くなった双子の兄を呼んでいるのでした。 きっと幼い時、何かあると二人で解決していたのでしょう。 『お父さん、死ぬの怖い?』 『うん』 そこにいる父は88才の父ではなく、6才の男の子でした。
『時は今しかない』 そうだったのです。 短く聖書の話をし、午後に友人の牧師を呼び、病床で洗礼を受けました。 75年前、旧制中学の一年生の時、澤田廉三の天幕伝道で信仰決心をした話をしてくれました。 この澤田さんは有名な澤田美喜さんのご主人です。
その翌日、本当に静かな表情で旅立って行きました。 『これが、あの強気一点張りだった同じ人間か?』 殆どの人は信仰なんてと言います。 結構です。 しかし、私が親しくした先輩方は最期には必ず私をお呼びになります。 どうすれば穏やかな最期を迎えられるか? これが最大の関心事なのです。
投稿日時 - 2010-03-06 19:19:04
要は、心の問題ですが、
穏やかな死を迎える方は、今を穏やかに生きている人です。
今の一瞬一瞬を穏やかに生きている人が、必ず穏やかに死を迎えることができます。
仏教経典にこうしたものがあります。
釈尊の時代に、強大なコーサラ国に、熱心な仏教徒の王がいました。
ある日、信頼に足りる家来が慌ただしくやって来て、
「東の方から、巨大な石山が、すべての草木や人々をなぎ倒しながら、こちらへ向かって来ます」
同時に西・南・北の方の家来も、同じように国王へ告げました。
若しそうなったら、王はどう対処するのか、と釈尊が問いかけたのです。
王は「そんな手の打ちようのない恐怖に見舞われたら、もはや人々の運は尽きたも同然。人身は得難いもの。余計なことをせず、ただ義に従い、法に従って、福徳を修め、一心に仏法僧へ帰依するしかありません」と答えました。
釈尊は静かにいいました。
「そのとおり。しかし、これは単なる譬えではない。今現在も巨大な石山が、老・病・死となって、我々の間近に迫っている。だからこそ人々は清浄の信仰を持ち、仏法僧の三宝に帰依し、自身の業を清め、功徳を積まなければならないのだ。」
私たちにある、今の一瞬一瞬を大事にして、そこに歓びを感じられるなら、必ず穏やかに臨終を迎えることができますよ。
むろん、そのための準備の一つ一つが、そこにつながるものだと言えます。
投稿日時 - 2010-01-30 22:21:22
穏やかな死を迎えるためには
どうすればいいか・・・
身辺整理ももちろん大切ですよね。
家の中もいつもきれいにして
自分自身も身綺麗にしておいたほうがいいって思います。
それに、
私はこう考えています。
生きている間は、人にいかに喜んでもらえるか、ということを考え
また、いかに公正で、正直であるか・・・
食事に文句を言ったりしない、(内臓の病気になると思うから)
不平不満を言わないよう心がける。
何に対しても、常に感謝の気持ちを忘れない。
ストレスを溜めない。
そういうことを心がけて
そして、「自分が自分が」という自己中心的な気持ちを持たないように
常に人を思いやる心を持って
日々穏やかに過ごせば
苦しみもなく、すんなりと死ねると私は思っています。
投稿日時 - 2010-01-29 23:12:27