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回答(3件中 1~3件目)
ヘーゲルや、キルケゴールは名前しかまだ知らない者ですので、 悪無限や真無限という言葉の意味合いも、また数学も苦手なので実無限と可能無限の意味合いも解かりませんが、
それ以下の質問文については、
なんで、無限の可能性がこの実存する世界にあったり、これから行動することに終わりが無かったりすると、 あるいはそのように考えると、
今の一歩一歩が歩めかなったり、次の行動ビジョンが見いだせなかったり、するようなことが起こるのでしょうか?
可能性も、次の行動も 同時に大事にすることは、可能です。
ヘーゲルやキルケゴールは、そんな可能性は無い?とかいう理論をたてているのでしょうか?
数学からは、そんな簡単なことが 実は不可能だという証明するような数式とかが出てくるということでしょうか?
だとすると 学者達って考えすぎなのかもしれません^^。
このようなことについては、ポクオベさんが考えすぎるタイプなのかな?
無学な者なのでへんな回答となってしまいました。
投稿日時 - 2008-12-15 20:56:01
遠い遠い昔に宇宙のある一点から投網を打つように生命の網が放たれました。その生命の網の太い幹(ロープ)の1本が太陽系にも伸びてきたのです。その1本の幹が数十億という年月をへて木のように無数に枝分かれをし、その枝もまた無数に枝分かれをし、その小さな枝は多くの葉をつけました。生命の木といいます。ここでいう葉とは個人個人の霊的主体のことです。個人個人の霊的主体は独立して創られていますが木のように小さな枝には一群の葉がついています。また他の枝には一群の葉がついていますが枝は同じ幹から出ています。生命の網の太い幹(ロープ)は長い年月で巨大な木になっているのですね。数百億の葉をつけ、そのうちの数十億が肉体を持って地上で生活しています。
一枚の葉が他の葉とつながっているということをどのように知ることができるのかという命題は、ヘーゲルよりずっと以前にナーガル竜樹が「不一不異」という言葉で表現しています。近代の西田先生はもっと複雑に「絶対矛盾的自己同一」などと表現されてますが、生命の木がわかればなぞがとけるでしょう。「悪無限と真無限。また数学にでてくる実無限と可能無限。」など言葉遊びは「生命の木の真理」で捨て去ることができるでしょう。「生命の木の真理」の教えは、我が永遠の師「仏陀」の教えです。 参考に
投稿日時 - 2008-12-11 11:10:04