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神や英雄の残虐性は、宗教に必要なものなんでしょうか?

dai-ymの回答

  • dai-ym
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回答No.1

元々神って民間信仰から生まれてそれを宗教が利用している場合が多くあります。 民間信仰の神って洪水や火山噴火などの天災や日食月食のような当時はその理屈がわからなかった事柄などに対する恐怖から生まれている場合も多くあります。 だから神々の行為に残酷なエピソードが多く存在してしまいます。 また、善と悪が別れている宗教に関しては悪の存在は徹底的に痛めつけて滅ぼす存在になっています。 だから敵に対しての酷い仕打ちは問題ないどころか素晴らしい行為になります。 一神教になればその神を信じない者はこんなに恐ろしい目に逢うぞという脅しの意味もこめられています。 だからそういったエピソードは不要なのでなく必然なんです。 今の時代に宗教をつくろうと思えば計算して作り出すので不要になるかもしれません。 しかしそうやって出来た宗教には現実味が欠けている宗教になると思いますよ。 なぜならば現実は不条理なことが多く時には残酷な結末が待っていることがあるからです。

Narumaru17
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 補足質問ではありません。 私はお礼欄に『書き忘れ』常習犯なので、始めは補足欄から書き始めます。 <元々神って民間信仰から生まれてそれを宗教が利用している場合が多くあります。 民間信仰の神って洪水や火山噴火などの天災や日食月食のような当時はその理屈がわからなかった事柄などに対する恐怖から生まれている場合も多くあります。 だから神々の行為に残酷なエピソードが多く存在してしまいます。> なるほど! 「森羅万象に対する畏敬と恐怖→神」が始めにあったのですね! <また、善と悪が別れている宗教に関しては悪の存在は徹底的に痛めつけて滅ぼす存在になっています。 だから敵に対しての酷い仕打ちは問題ないどころか素晴らしい行為になります。> しかし、「敵に対しての酷い仕打ち」は、「心が狭い」、「寛容性が無い」、「残酷」等等、、普通の人にはやっぱり理解できない行為のような気がします。 そこら辺の感覚が無い人が信者になるか、『これは比喩なんだよ!』と言って、もっともらしい解釈を付け足す、、等、、となるのでしょうかね。 <一神教になればその神を信じない者はこんなに恐ろしい目に逢うぞという脅しの意味もこめられています。> なるほど、しかし、脅しによって教えるなんて恥ずかしい行為だとその時代の人は思わなかったんでしょうかね。 <だからそういったエピソードは不要なのでなく必然なんです。> う~ん、私は昔の人が現代人よりもアホだったとは思はないのですが、ご回答をいただいた限りでは、古代人はすこしアホだったのかな? という感想を持ちました。 <今の時代に宗教をつくろうと思えば計算して作り出すので不要になるかもしれません。 しかしそうやって出来た宗教には現実味が欠けている宗教になると思いますよ。> そういえば宗教ってどういう人が作るんでしょうかね? 謙遜にして、自分の考えたこの教えこそ世界を救うと考える、、、。 う~ん、私にはサッパリ想像できません。 <なぜならば現実は不条理なことが多く時には残酷な結末が待っていることがあるからです。> あれ、でも宗教って、現実に不条理があるかどうかは兎も角として、悟りやへの方法だとか、天国への行き方の方法を教えたり、人格の完成を目的として、いる事になっているんじゃありませんか? う~ん不思議です。  ご多忙の中、ご回答ありがとうございました。

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