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敗(まけるの意)と負けるの、意味の違い

勝敗・敗戦・敗因・敗北など、「まける」の意味で  「敗」は使われていますが、 辞書で「まける」を引くと、負ける・勝ち負け・勝負と出ています。 この使い分けは文法的に何か決まりが有りますか? ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください、お願いします。

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回答No.3

「敗れる」 敗北することです。すなわち戦争や企業競争、スポーツ競技等、他者との争い事において負けることを意味します。 「負ける」 これは「敗北する」という意味だけでなく、色々な意味があります。 - 例 - ・誘惑に負ける。(抵抗できない) ・ライバル企業の製品に負けている。(劣る) ・百円におまけします。(値引き・値下げ) ・1個おまけします。(余分にあげる) ・剃刀負け(皮膚が痛む) ・夏負け(身体が弱る)

toku130
質問者

お礼

幾つもの例を挙げてご説明戴き、大変解りやすくて助かりました。 本当に有難うございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

> 私たちが小学校のころは、「まける」は「敗」と書いていたように > 記憶してましたが・・永年誤解したまま来てたのでしょうか? いえ、それは誤解ではありません。「敗ける(まける)」という訓読みはちゃんと漢和辞典に載っていますから、誤記や当て字の類ではなく正規の表記です。戦後に制定された当用漢字→常用漢字では「まける」に当てる漢字を「負」のみしか認めていないので、少なくとも公文書上で「敗ける」と書かれることはありません。しかし、常用漢字は民間人の漢字使用を制限するものではありませんから、次の例のように文学作品や一般の私文書では普通に使われます。 【例】 「これで戦争は敗けていないということはできないと思う。明らかに敗けておるのである」 (閣議における米内海軍大臣の台詞) 『日本のいちばん長い日』(大宅壮一著 昭和40年)より引用 以上ご参考までに ( ^^

toku130
質問者

お礼

重ねてご教示戴き有難うございました。 戦後に制定された常用漢字で「まける」=負と決められたのですか、 己の無知に恥入ってます。 でも、子供の頃の記憶「まける」=「敗」が間違いではない・・・ ことが判り、ほっ! としてます。 本当に有難うございました。 

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.2

「勝利」の対義語は「敗北」となります。「勝つ」か「負ける」かを争って戦うことを「勝負」といい、その結果が「勝利」or「敗北」を表す「勝敗」ということになります。勝負の結果負けた場合を「敗れる(やぶれる)」といい、「負けたという結果である」ことを意味するのです。

toku130
質問者

お礼

早速のご回答有難うございました。 私たちが小学校のころは、「まける」は「敗」と書いていたように 記憶してましたが・・永年誤解したまま来てたのでしょうか? 赤面の至りです。

  • newbranch
  • ベストアンサー率30% (319/1053)
回答No.1

文法的に決まりがあるかどうか定かではありませんが、 私は、勝ち負け、勝負という言葉は、「個人をベースとした戦い」 に対する結果を表す。(柔道、剣道の一本勝負等に使用する) 対して、敗戦、敗北、敗因などは、戦争をはじめ、団体をベースとした 戦いでの勝ち負け及びその原因等に使用するものと考えております。 (戦争では、勝ち戦、又は、敗け戦(敗戦)といいますが個人では、勝ち負けとしか言いません) 以上のように使い分けられていると考えております。

toku130
質問者

お礼

早速のご回答有難うございました。 私も「敗」と言う字が熟語の中でしか使われていないように 感じてました。 よって、貴方様の回答を戴いた時は嬉しく思いました。 本当に有難うございました。

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