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開戦時期は良かったのでしょうか?

noname#69405の回答

noname#69405
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回答No.4

やはり、石油は大きな理由です。当時の日本はほぼ全ての石油をアメリカに頼っていたので、それを禁輸によって止められてしまってはどうしようもない、このままでは「ジリ貧」になってしまう、と言う考えから、なるべく早期の開戦したほうが良いと考え戦争準備をしていたのです。そして、41年9月6日の御前会議(天皇臨席の政策決定最高会議)で、対米英戦争の方針が決定されました。 しかし、そうは言っても国力に明らかな差があるアメリカとはなるべく戦争をしたくないと言う思いもあったため、開戦反対派の近衛文麿内閣の下で、ぎりぎりまで戦争回避のための日米交渉が続けられました。 暫くの間は、この二つの路線が同時並行的に進められていたのですが、11月5日の御前会議で既に決められていた11月いっぱいと言う期限になっても日米交渉はまとまらなかったため、開戦が決定されたのです。このとき既に真珠湾攻撃の部隊はハワイを目指しており、そのまま予定通りに攻撃を開始したと言うわけです。 ドイツとの関わりの面では、日本がドイツにも対米戦に参加してもらいたいと考えていたと言うよりは、ドイツの方が日米の開戦を望んでいたと言えます。なぜなら、日本とアメリカが太平洋を舞台に戦えば、ヨーロッパにアメリカがやってくることはなくなるため、ドイツにとって有利だからです。 また、日本の側としては、ドイツがヨーロッパ諸国を次々に破っている流れに乗じたい思いがありました。石油をはじめ天然資源の豊富な東南アジアを占領していたヨーロッパ諸国が、ドイツとの戦争によって疲弊している間に、それらの地域を手中に収めたいという考えがあったのです。 ですから、日本が本当に戦いたかった相手はイギリスであり、そのためにはアメリカとの対立が避けられないと言うことで対米開戦になったのです。一般には真珠湾攻撃によってアジア太平洋戦争が始まったと言われますが、実際に日本軍による最初の攻撃が加えられたのはマレーー半島のコタバルという場所のイギリス軍基地であり、真珠湾攻撃の数時間前にアジア太平洋戦争は始まっていたのです。 山本五十六などは長期戦になったら日本に不利だと考えていたため、開戦初期の段階で徹底的に相手をたたこうという考えから、ハワイの真珠湾に対する飛行機での奇襲攻撃(宣戦布告の直後に攻撃が開始されるように計画していた)を発案したのです。その目的は、敵の主力艦に最初に損害を与えてしまうと同時に、そのショックによってアメリカ人の厭戦気分を呼び起こそうと言うものでした。 結果としては、これは全く逆効果であり、不手際によって宣戦布告が開園後に手交されたことも関係して「Remember PearlHarbor」の合言葉のもと、アメリカ人の愛国心に火をつけてしまいました。また、開戦初期の段階において予想をはるかに上回る戦果を上げたがために、最終的に日本軍自身を滅ぼすことになる慢心が生まれてしまいました。

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