• ベストアンサー

鼻息

ある明治の文章家が「鼻息(びそく)を伺ふ」という言い方は「疎率」だと嘆いているのを読んだことがあります。しかし出典に則した「鼻息を仰ぐ」という言い方にはなかなかお目にかかれません。会話でも文章でも「鼻息を伺う」より「鼻息を仰ぐ」が広く使われていた時代は存在したのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.2

はじめまして。 ご質問: <会話でも文章でも「鼻息を伺う」より「鼻息を仰ぐ」が広く使われていた時代は存在したのでしょうか?> 1.文章体では、漢語表記がされていた時代には、広く使われていたようです。「鼻息を仰ぐ」で検索すると、漢語体の文章に多く見つかります。 2.出典は後漢書ですが、「鼻息を仰ぐ」という表現は、階級意識の強い封建時代に顕著に使われていたように感じます。理由は以下の通りです。 (1)鼻息は文字通り鼻息(はないき)のことで、「鼻息を伺う」とは、その鼻息の程度から「他人の機嫌をうかがう」ことを意味します。 (2)「伺う」には「目上の人の意見・指図を得ようとしてたずねる」意味があります。 (3)それが「窺う」に転じ、「様子を見る」という意味でも使われ、現在で一般化した用法となっています。 (4)一方「仰ぐ」には、「目上の人に教え・指示を求める」という意味のみがあります。「伺う」にはその意味もありますが、「様子をみる」という別の意味もあります。 (5)身分意識の強い戦国時代や昔の封建時代、軍国主義時代では、「上に指示を求める」という意味のみがある「仰ぐ」が広く普及していたと予想されます。 3.現代では様子伺いの一般的な意味で用いられ、上下間があまり明白ではないので、上の指示を仰ぐ意味だけではない「伺う」に定着したものと思われます。 以上ご参考までに。

cryforty
質問者

お礼

今回もありがとうございます。合理的な推論も含め納得しました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.1

例えば、明治時代の小説家、内田魯庵なども『社会百面相』の中で、「主筆の鼻息を窺いつつ勉強して」というように、「鼻息を窺う(びそくをうかがう)」を使っているようですね。   http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_237.htm http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sisiden-jinbo.htm などでは、「鼻息を仰ぐ」の形で使われていますので、江戸時代までは出典に則った形で使われていたと思われます。学問をすることができる境遇は限定的ですし、正しい形でしか教えないし、一般人はそんなことばがあることすら知らなかったでしょうから。

cryforty
質問者

お礼

今回も回答ありがとうございます。なるほどと思いました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 明治18年の牛なべ屋での酒と牛肉の値段

    明治18年前後の牛なべ屋での酒と牛肉の値段を知りたいと思っています。明治時代の風俗に詳しい方、なにとぞご教示ください。出典もよろしくお願いいたします。

  • 時代の時

    「明治時代の時」と言う文章はおかしいですか? 「時代の時」は、同じ意味の繰り返しでしょうか。 あと、「明治時代」というのもおかしいでしょうか?

  • 幕府が政権を執っていた頃の天皇の存在意義とは?

    明治政府成立以降の天皇と比較してのそれ以前(幕府が政権を執っていた頃。特に江戸時代)の天皇の存在意義、 もしくはその頃の天皇というもののイメージは一体どんなものだったのでしょうか? 明治以降、政府に天皇親政を掲げられ祭り上げられた(と言って良いのでしょうか?)天皇は 新しい時代への風にもあおられてシンボルとして尊ばれるようになったそうですが それ以前は一体何をしていたのですか? 政治を執る幕府にとって天皇の存在とはどんなものだったのでしょう? 江戸時代でも、滅多なことでもない限り天皇への謁見は厳しく制限されていたそうですし、 できても会話は側近を通じて、顔はすだれなどで隠されて・・・ などなど、立場としてはかなり大事にされていたようですが、なぜ表舞台に現れることがなかったのでしょうか。 ご存知の方いらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

  • 江戸と明治の就学率

    江戸時代の寺子屋の就学率は1850年頃で70~80%ほどで、1872年(明治5年)から学制により近代学校制度がスタートしましたが、1877年前後では就学率は30%に満たず、就学者の80%は一年以内な退学してしまうといった状況だったようですが、なぜ江戸時代の寺子屋の就学率は高いのに、明治時代初期の学校の就学率は低いのでしょうか?どちらも授業料は徴収していたはずなのですが…。 ふと疑問に思ったのでお願いします。

  • 歴史的書物の保存場所

    歴史上、歴史的書物等の保存はどこで行っていたのでしょうか? 現代においては、歴史的書物等は博物館、歴史資料館、大学、研究所などに厳重に保管されていると思うのですが、 そのような施設がちゃんと建設されていなかった時代(明治時代以前?)はどのようにどこに保存をしていたのでしょうか? 例えば、「源氏物語」は平安時代以降どこに保存されていたのでしょうか。もし、保存が行われていないのであれば、どうして現代社会において「源氏物語」の文章が存在しているのでしょうか? わかりにくい質問ですが、 よろしくお願いします。

  • 濁音・半濁音

     文章上、「がぎぐ」や「ぱぴぷ」の濁音・半濁音が表記された始まりはどの時代でしょうか?  出来れば、具体的な出典のご教示も希望。

  • 明治時代、日本が世界の中で文明国の仲間入りができたのはなぜですか。

    明治時代、日本が世界の中で文明国の仲間入りができたのはなぜですか。 学校の宿題であったものです。 内容の出典(本やサイト(Wikipedia以外)など)も出来ればお願いします。 出来るだけいろんな情報からまとめたいので、沢山の回答をお待ちしています。 (Yahoo!知恵袋に同じ質問がありますが私が質問した者なので問題ないです)

  • 卵について

    現在、卵の年代別の調査をしています。 それぞれの時代で、卵はどのような存在であったのでしょうか? 例えば、昔は卵が栄養価が高かったので、お見舞いの品として持っていっていた など、日常生活の中でどんな存在であったかをお聞かせ願えればと思います。 因みに、どの時代か(明治時代前半とか、1930~1940年ぐらいとか)も教えていただければ助かります。

  • 作曲家

    日本人の作曲家というと明治以降しか出てきませんが、江戸時代以前には職業としての作曲家は存在しなかったのでしょうか。

  • 漢文の出典を教えてください

    高校時代に「民衆から尊敬される為政者は二流、真に優れた為政者とは全くその存在すら気づかれないものである」という内容の漢文を読んだ記憶があります。今、それを引用したいのですが出典が判りません。どなたか教えてください。