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グリーンメイラーと多数決の濫用

グリーンメイラーが行う行為で、多数決の濫用にあたる行為はあるのでしょうか?グリーンメイラーのどのような行為を多数決の濫用というのでしょうか?閲覧者さまのご意見や、グリーンメイラーと多数決の濫用について書かれている記事、論文、学者等教えて下さい

みんなの回答

回答No.1

米スティールパートナーズによるブルドックソース買収事件で、東京高裁がスティールを「濫用的買収者」と定義してスティールの主張を退けました。 しかし地裁判決と最高裁判決はそのような概念を持ち出さずにブルドック側の主張を認めました。本件については多くの論者がいろいろなことを言っており定説のようなものはまだないと思います。 大杉謙一、野村修也などの会社法学者、服部暢達や佐山展生などのM&Aの専門家・実務家、藤縄憲一などの専門弁護士の論文を探してみてはいかがでしょうか。「商事法務」や「銀行法務」、「金融商事判例」などに解説や論文が出ていると思います。それと最近出た経済産業省の「企業価値研究会報告書」の最新版も参考になるかもしれません。

M-Bauer
質問者

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ご回答誠にありがとうございます。 ぜひ参考にさせていただきます。

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