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日本文化がヨーロッパに受け入れられた理由について

かつて日本文化がヨーロッパに認められ受け入れられた理由は何なのでしょうか?ヴェルサイユ展との関連でレポートの課題が出されたので、本で調べてみたところ、当時のヨーロッパ文化は行き詰まりをみせていたからだというふうに書かれていました。でも一体、ヨーロッパの芸術家たちは日本文化の何に魅力を感じ、自分たちの文化に取り入れようとしたのか、そこのところがいまいち分かりません。ご存じの方、是非おしえてください!

  • 美術
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  • ベストアンサー
  • noone
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.3

やはり、目新しいって事だと思いますよ。 芸術面の話ですが、ヨーロッパの美術の歴史は 古典性のループで成り立っていました。 古典性というのは、絵画においてデッサン、動勢、形状などが 本物により近くなることを指します。 ループというのは或る一つの流行が繁栄し衰退し、 次の流行もまた繁栄し衰退していく形態のことです。 紀元後、芸術に最初に古典性を取り込んだのは、 ルネサンスでした。以後その波は古典性とそれに対する 反勢力のループを作り、印象派が現れるまで続いたわけです。 古典性でのみ何百年も歴史がなりたってきたわけですが、 19世紀になり、新しい技術がさかんに扱われだしたころ、 おそらく画家達もこれまでに無いアプローチの芸術を 模索していたのではないかと思います。 そこではじめて、日本文化の登場なのですが、 何が珍しかったかと言うとまずその割り切った大胆な構図、 そして、トランプの絵札のような色や人物像だと思われます。 古典性とは全く正反対で今までむしろタブーとされてきた 絵がものの見事にそこに有り、また、美しく書かれていた、 そんな感じだと思います。 用は、そのころ文化人たちは、今までの価値観に嫌気がさしていて、 その価値観を壊す術をみつけたから、強く日本文化に 惹かれたのではないかと思います。 、、、ながい!ごめんなさい!

jyun425
質問者

お礼

返答ありがとうございました!大変丁寧に説明してくださってとてもうれしいです!

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回答No.6

キ-ワ-ドは「回帰」「検証」「芸術」 日本文化とヨ―ロッパと名称が入るとなにやらどこから手をつけたらいいかわかんなくなっちゃうことありますね。 で、ここでの問いは、 ■ヨーロッパの芸術家たちは日本文化の何に魅力を感じたのか? ■自分たちの文化に取り入れようとしたのか? ではでは、こんなのはどうでしょうか? 学年が変わりクラスがえ、初めて同じクラスになった無口なアイツ。いつもポケットに片手突っ込んあるくカッコつけてるアイツ。今まで話したこともなかった。知らない相手。ある雨のふる朝、午前8時27分、あと3分でチャイムが鳴る。あぁぁ、遅刻しちゃう。勢いよく駆け出した瞬間スッテンコロリン―☆|(><)|雨でぬれたマンホ-ルのうえでおおきくしりもち。かっこわるぅ~~~(><)と一人こころの中で叫んでいたとき、スッ-と、差し出された手。その手をみながらずっと目線をあげていくと無口なアイツがそこにいた。「だいじょうぶかぁ-」と――― ポケットからでてきた手、てれくさくてばつわるくってちいさな声で「だいじょうぶ、ありがとう」といったわたし ――――あの日から...少しづつ話すようになった。無口なアイツと ふとした、きっかけ あの日のあの出来事がなかったら... 「ポケットに片手突っ込んあるくカッコつけてるアイツ・無口なアイツ」とおもい、いつまでもアイツとの距離とおいまま ポケットに片手突っ込んで歩くからと... カッコつけてるからと... 無口だからと... そう、よく知りもしないのに... そう、よく話したこともないのに... 「ポケットに片手突っ込んあるくカッコつけてるアイツ・無口なアイツ」 アイツのことそうおもっていたんだろう なぜ? なぜ?そうおもったんだろう? (回帰~検証) 日本文化に対する独自のイメ-ジをいつのまにかつくりあげてしまうとヨ-ロッパはそのおもい・イメ-ジが生まれる前のヨ-ロッパ自体を検証しようとする。(ヨ-ロッパの歴史への検証) 未知との遭遇 相互確認 個別の特徴・特質・特性 共通性 固定観念の打破 発想の転換 ルネッサンス 融合よって質の向上へと~可能性が扉をひらく 骨組みはこんなところではないでしょうか? 肉づけは、時代時代の歴史を辿ってみては?

参考URL:
http://www.hit-u.ac.jp/thesis/ss/ss9805b.html
jyun425
質問者

お礼

回答ありがとうございます!小説みたいでおもしろかったです!

回答No.5

やはり自分たちとは全く違う価値観に衝撃を受けた、ということではないのでしょうか。 パリのオペラ座(パレ・ガルニエ)の中に初めて入った時、まさに物質文明の権化といった印象を受けました。 これを最高の美学としている人達にとって、京都の桂離宮に代表される世界は、まさに精神世界そのもの、ハンマーで後頭部をガーン! だったと思いますよ。 (もっともパレ・カルニエが大好きというフランス人には会ったためしがありませんが) 建築、絵画、陶磁器にしても、当時のヨーロッパ人たちにはなかった美学の世界、発想、価値観、といったものに魅せられたのではないでしょうか。 余談かもしれませんが、フランスに関しては、どんなに自分たちの文化、伝統、美意識とは相反するものでも、もし「良い」ものであれば、 それを受け入れるだけの懐の深さ、審美眼は持ち合わせています。 その良い例が、80年代にパリ・コレに道場破りとも呼べるような殴り込みをかけた日本人デザイナーたち(川久保玲、山本耀司etc.)です。

jyun425
質問者

お礼

回答ありがとうございます!私も当時のヨーロッパの方たちがうけた衝撃はすごかったんだろうなぁ~って思います。

  • netcatme
  • ベストアンサー率20% (76/371)
回答No.4

個人的な意見で申し訳ありませんが、No.3の回答に補足すると、シンメトリックではない独特の美観、単純化を目指した様式美。 ヨーロッパも日本と同じように、アラブ、インド、中国と他文化を取り込んできた文化です。それらにはない個性を日本に見いだし、順番が回ってきた、というところでしょうか。

jyun425
質問者

お礼

返答ありがとうございました!

noname#4932
noname#4932
回答No.2

当時のヨーロッパ人に聞いてみないと、実際の所はわからないでしょうね。 当時の芸術家や富裕層が、目新しい東洋の文物に惹かれたのは、今の日本人が欧米や、日本以外のアジアの雑貨に惹かれるのと大差ないようにも思えるのですが。 ただ、引っかかったのは 「日本文化の何に魅力を感じ、自分たちの文化に取り入れようとしたのか」 と言う一文。この一文だけを読むと、 「日本文化みたいに辛気くさいモノの何処が気に入って、彼らの荘厳華麗な文化に取り入れようなんて事を考えたのか」 と言う風に、深読みしてしまいそうです。(きっとそんなことはないと思いますが) でも、ひょっとしてこんな風に心のどこかで思っておられたら、きっと一生、何故彼らが東洋に惹かれたか理解できないと思います。(本当にひょっとしてです。違っていたらごめんなさい。) 私は別段国粋主義者ではありませんが、当時も今も、日本の文化は素晴らしい、と思っております。 そして同様に何処の国の文化も素晴らしいと思います。 異なる素晴らしい文化が出会って新しい文化が生まれてきた、それが人間の歴史だと思うのですが。 ちょっと逸脱しました。失礼しました。 改めて。 レポートの切り口としては、やはり一般的ですが 「東洋文化に触発されて新しい文化が生まれた」 と言う文脈で、「新しい文化」というのを掘り下げる方がアプローチしやすいのではないかと思います。 一般に「ジャポニズム」といえばフランスですが、オーストリアやオランダ等、その他の欧州諸国でも東洋趣味は焼き物の絵付けや絵画等様々なものに見られます。 国別、時系列順にレポートすると、ものすごい量になると思いますよ。 レポート、頑張ってくださいね。

jyun425
質問者

お礼

辛気くさいなんてとんでもない!日本文化は大大好きですよ!誤解を招きかねない書き方だというのはわかっていたのですが、なにぶん時間がなくてそのままで質問しちゃいました。すみませんでした。返答ありがとうございました!

  • licht
  • ベストアンサー率32% (57/174)
回答No.1

これはかなり難しい問題で、正解はないと思います。 ジャポニスムの簡単な説明については、下記のサイトがわかりやすいかもしれません。

参考URL:
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/a_j/japonisme.html
jyun425
質問者

お礼

ありがとうございました!ジャポニスムの簡単な説明を探してたところなんです!大変参考になりました!

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