シュリーマンの語学学習法
シュリーマンの語学学習法
シュリーマンはどのようにして語学を学習していたのかについて質問させて頂きます。最近になって、シュリーマンが実行していた音読や暗誦、作文は極めて効果的な学習法だと思うようになりました。語学の達人と言われている人は、形式は多少異なるところがあっても、大部分の方がこの方法を実践してきたと、自分では思っています。しかし、一番驚いたのは、英語とフランス語は約半年でマスターしてしまったということです。どのようにして、僅か半年ばかりでマスターしてしまったのか、不思議に思います。1日に1時間づつ学習したとすれば、半年では180時間です。180時間で果たしてマスターできるでしょうか。マスターの度合いにもよると思いますが、実際のところ、シュリーマンは英検やTOEICで言えば、どのくらいだったのでしょう。また、日々の学習に関しては、朝起きてから、夜寝るまで音読や作文のやり通しだったのでしょうか。シュリーマンの語学の学習の実際について、どうしても気になったので質問させて頂きました。皆さんはどのようにお考えでしょうか。ご存じの方がいらしゃっいましたならば、ご教示の程、何卒宜しくお願い致します。尚、言い足りないことがありましたら、後ほど補足させて頂きます。
投稿日時 - 2008-03-25 02:09:47
ANo.2です。
シュリーマンのWiki.等、読んだところ、
彼はギムナジュウム(ラテン語必須の進学コース)には3ヶ月ほど行った後、父親の仕事の関係や家が貧しかったことで、リアルシューレに14歳(普通16歳で卒業)までしか行ってなく、おそらく学校では、ほとんどラテン語は習わなかったと思われます。
ただ、10歳の時に父親から ラテン語で書かれた無名著者の作文「トロイ戦争の重要点について」「オデッセーとアガメムノンの冒険」をもらってたいへん喜んだとのことですから、父親からラテン語は多少習ったようにも見受けられます。
彼が語学を積極的に習い始めるのは1844年にアムステルダムの会社に勤めるようになってからのことのようで、その会社で記者と会計係を勤めるうちに英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語を習得し、その時にロシア語を習う価値があることに気付き本を読んで勉強し始めますが失敗し、身近に居たロシア語を話す人から授業を受けます。1846年にはその会社からザンクト・ペータースブルク(ロシア)に転勤させられ、インディコ(染料)の輸入をアメリカとロシアで成功させ、インディコ、武器、綿、お茶、で成功し、特に武器ではクリミア戦争、アメリカ南北戦争で財産を一大財産を築いたようです。その間ロシアの国籍も取得(アメリカ国籍も取得)したそうです。
その頃から、ギリシャ語をフランス語の本をギリシャ語に訳した本を対比しながら読む方法で新ギリシャ語を習得したそうです。
(この時代は今で言う「勝ち組」「負け組み」が今よりもはっきりしている時代でした。当時は「もてる者」「もたらず者」と言っていました。何ヶ国語もしゃべれることで貧しさから克服できることに彼はアムステルダムの会社で気づいたのだと思います。)
1852年にはロシア人と結婚、
1863年当時ではまれなほどの金持ちになり、仕事を辞め海外旅行へ。
1858〜59年、エジプトへ行きアラビア語を習得その帰路はパレスチナとシリア、ギリシャを経由。
1864年世界一周旅行、(中国と日本を含むアジア、北と中米。)
1869年ロシア人妻と離婚。17歳のギリシャ人と再婚。
彼は一説によると30ヶ国語以上しゃべれたとありますが、実際には8〜13ヶ国語がしゃべれて書くことができたそうです。書くことは最初のうちは仕事で輸入の依頼状などを書くことで必要不可欠だったようです。
彼の経歴などを読んで思ったのですが、彼は確かに天才だと思いますが、そのエネルギーはギムナジュウムに行けなかったコンプレックスや金銭的に貧しかったハングリー精神から努力が始まり、新しい言葉を習うことによって、新しい世界が広がり、生活も豊かになって行くことによって、持って生まれた、興味深々で新しいもの好き、こつこつと努力家な性格に拍車がかかったからのように思えました。
また、ロシア語など身近な人から授業を受けたようですし、同時に、ロシア語が分からない人にでもロシア語で話しかけて聞いてもらって勉強していたようで、要領のよい集中力のある努力家だったようです。
また、彼の冒険精神は嘗て父親が彼が幼い頃に話して聞かせた、トロイの話やギリシャの小説によってはぐくまれたようです。
シュリーマンの伝を一度日本語で読まれてはいかがでしょうか。
学習方法が詳しく載っていますよ。URLを読むとドイツ語の勉強になります。(ルートヴィッヒ「シュリーマン伝」白水社)
http://www.zeno.org/Geschichte/M/Schliemann,+Heinrich/Selbstbiographie/1.+Kindheit+und+kaufm%C3%A4nnische+Laufbahn:+1822+bis+1866
投稿日時 - 2008-03-26 07:39:11
お礼
再度の御回答有難うございます。お礼が遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。本を読めば、シュリーマンの語学学習の様子のあらましを窺い知ることが出来ますが、それより更に詳しい様子を探ろうとすると、なかなか難しいところが有ります。例えば、「アイヴァンホー」の全ページ数から一回当たりの通読時間を計算して、それから仮に百回朗読・暗誦した時間を計算して、一日当たりの学習時間を割り出して・・・などという推測をしていますが、飽くまでも推測に過ぎません。また、ご紹介頂いた本は、絶版になっていて書店では入手できないようなので、図書館で借りて読むしかないようです。少なくとも、シュリーマンは情熱に燃えていたということは、窺い知ることが出来ます。有難うございました。
投稿日時 - 2008-04-02 00:45:13
0人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
回答(3)
>一番驚いたのは、英語とフランス語は約半年でマスターしてしまったということです。どのようにして、僅か半年ばかりでマスターしてしまったのか、不思議に思います。
シュリーマンは牧師の子供でしたので、おそらく子供の頃から学校でラテン語やギリシャ語を勉強していたでしょう。英語やフランス語においてはラテン語は英語の70%以上、フランス語、スペイン語、イタリア語の90%以上、ドイツ語は50%が単語や文法がラテン語ですから、例えば、日本人が少し難しい方言を勉強するのとあまり変わらない環境だったと思われます。
また、今でも、ヨーロッパにおいて各地を渡り歩いている営業マンやタレントなどは母国語だけでは商売にならず、必要不可欠で何ヶ国語も話せる人は多いですよ。
しかし、日本人でも、興味とやる気があれば、3〜4ヶ国語めくらいを習い始め、共通性が把握できるようになった頃から、学習スピードが加速すると思われます。
参考URL:http://www.jmca.net/book_ie.html#http%3A//www.jmca.net/booky/takeshita/ryosyo17.html
投稿日時 - 2008-03-25 20:52:57
御回答有難うございます。シュリーマンが半年という異例の短期間で英語やフランス語が習得できたのは、母語のドイツ語や、ラテン語の教養という下地があって、それらは語彙や文法の面で類似しているために、為し得たと言うことでしょうか。
私もそれは少し考えました。その弾みで、スペイン語やイタリア語は、半年よりも更に短い期間で習得できたのかも知れません。語彙や文法が類似していて、習得が比較的容易であったということは、否めないと思います。でも、理由はそれだけでしょうか。物事を達成するには、強い動機や情熱、根気強さ、辛抱強さが必要となるのは、世の常ですが、それが根底となっているのは言うまでもありません。それらに限らず、その他にも、シュリーマンの学習の過程で、何らかの秘訣があるように思えてなりません。
英語やドイツ語からは、必ずしも共通点が多いとは言えないロシア語や、更にはそのロシア語よりも共通点が多いとは言い切れないアラビア語を習得したことを考えると、尚更そう思います。如何お考えでしょうか。お考えをお聞かせ頂ければ幸いに存じます。有難うございました。
投稿日時 - 2008-03-26 00:54:22
シュリーマン著『古代への情熱』はお読みになったでしょうか。習得法がくわしく出ていたように記憶しています。
投稿日時 - 2008-03-25 07:13:47
御回答有難うございます。『古代への情熱』は、始めの部分の語学に関するところだけは、拾い読みをしたことがあります。ネットでも「シュリーマン」で検索すると、その引用が結構参照できます。要は、それで不思議に思ったのは、どうして半年という異例の短期間で英語やフランス語が習得できたのかということです。また、シュリーマンは実際のところ、どのように学習を実践していたのかということです。お手数ですが、事情が許すようでしたら、再度の御回答を宜しくお願い致します。
投稿日時 - 2008-03-26 00:23:53
新着
注目ピックアップ