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中世ヨーロッパにおける戦争の被害。

中世ヨーロッパにおいて行われた戦争の背景を教えてください。 戦争……いえ、戦争という括りだけでなく、盗賊、夜盗、強盗なども含めての質問です。 一体どのような手段を用いて侵略が行われ、その結果、どのような人的被害物的被害をあたえたのでしょうか。 よろしくおねがいします。

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  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.3

ANo.1です。 ヨーロッパ中世の頃から町の周りに要塞(市の壁)が造られるようになります。町だけでなく、城は勿論、要塞を持つ教会なども造られました。 市壁について http://en.wikipedia.org/wiki/Defensive_wall ドイツロマンチック街道沿いの町々には市壁が残っています。http://ab.ab-road.net/GUIDE/REPORT/00869.htmlまた、時代は後になりますが、夏にはるとスエーデン軍が攻めてきた頃の時代劇が10日間も演じられます。そのときはスエーデン軍〈役者)が市壁の外に常住します。http://www.kinderzeche.de/ 要塞を持つ教会群があります。 http://www.romaniatabi.jp/unesco/transilvania.html それぞれの町や市には領主や国王が居て、その上には常駐城を持たない皇帝が居ました。(例:オットー三世、カール大帝)皇帝は定期的に諸国王達に召集をかけ、次の戦争や納税、国同士の縁組、領地の配分などについて話し合いました。 11世紀末、神聖ローマ帝国、フランス王国、イングランド王国の時代になると城壁の上に見張り兵が立ち、壁の各所に頑丈な門が造られ、騎士が町や市を守るようになります。1250~1350年頃になるとそれらの騎士が歩兵を従えて1万~1万5千の軍で攻め入ったそうで、また、戦争も頻繁にあり、その費用を貸し出す銀行もあったそうです。 攻撃の仕方ですが、まずは相手方を要塞に閉じ込め、攻める郡はその壁の外にテントを張り常駐します。そのうち壁の下のほうから穴を開け、幾人かの兵が門番兵などを殺し門を開けたりして自分の仲間を壁の中に入れます。または、石の球を飛ばす機械(石弓、のちに石に代わって火薬になります)がありそれで壁を崩して行きます。 壁の上からの反撃は熱油をかける、石球をぶつける、弓や剣、斧や槍で、はしごを上って来る兵に対抗したようです。 押し入った兵たちは家々からありとあらゆるものを持ち出し、後は火を放つのが普通だったようです。 また、騎士が身につける盾や矛よろい、馬などはたいへん高価で倒れた兵士などから剥ぎ取って持っていってよいという法があったようです。 英仏百年戦争〈1339~1453年)ではフランス軍の通った後は食糧倉庫、地下貯蔵庫、畑など全てが焼き尽くされていたそうです。(ジャンヌダルクの映画などご参照ください)

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  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1410)
回答No.2

>人的被害物的被害  中世どころか近代でも、戦争時の食料は現地調達が基本ですから、移動する途中の村々での、食料の徴発が大きな被害となったようです。  人口数百人の村に数千~数万の軍勢が駐留した場合、保存してあった食料の殆どが持っていかられてしまう事に…。場合によっては、未収穫の農作物を馬の飼葉として根こそぎ刈り取られてしまいます。  徴発に抵抗すれば、殺されるか捕まえられて奴隷として売り飛ばされる事に…。  時代は近代に入ってしまいますが、30年戦争では徴発による農地の荒廃と疫病の蔓延で人口が1/3~2/3に成ってしまったそうです。

samurairoman
質問者

お礼

なるほど、自国を守るためと言いながら自国からしぼりあげていたのですね。 そうするしか方法が無かったのかもしれませんが、なんとも本末転倒なお話です。 回答、ありがとうがいました!

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  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.1

中世ヨーロッパは5世紀から15世紀《1417年》までの1000年の枠があって簡単にまとめるのは容易ではありません。 ただ、下の項目に青字で書かれたキーワードの(ゲルマン民族大移動とか十字軍、カール大帝など)ところを読むだけでもある程度の戦争の背景が把握できると思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96 中世の武器の絵や写真が見られます。 ページ最初のアンダーラインの7つの項目をクリックしてみてください。 http://www.lehnswesen.de/page/html_waffen.html ドイツの春~秋まで城のあるところでよく「中世の祭り」が催されます。中世の市がたち、騎士の演劇があったり、鷹匠による鷹狩の説明や手工業の実演などもあり、中世が身近に感じる祭りです。 http://www.ritterturnier.de/ ドイツのローテンブルクには「中世犯罪博物館」があり、拷問に使われた道具などが展示されています。 http://www.kriminalmuseum.rothenburg.de/Japanisch/musjap.html

samurairoman
質問者

お礼

歴史だけでなく用いられた武器に関することなど、多様な観点から教えていただき、本当にありがとうございました。 しかし犯罪博物館なるものがあるんですね、一度覗いてみたいものです。

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