• ベストアンサー

江戸時代まで 「なんば歩き」 をしていたという説は本当?

shizumoの回答

  • ベストアンサー
  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.16

ラクダ以外にキリンもそうです。(時折、犬もいます)これらの歩き方は乗馬で則対歩といいます。則対歩の馬は早足のときに上下の反動がないので楽です。弓を射るときなどは便利ですがこれは時折生まれる天然のものです。人工的に作る場合は左前足、後ろ足、右前足、後ろ足を紐でつないで調教するようですが失敗する場合も多いようです。モンゴルでこの話をしましたが、やはり数は少ないとのことでまた長距離の移動には向いていないと聞かされました。ナーダムでは則対歩の馬だけのレースもあるようです。 なんばと則対歩が同じではないとおもいますが、着物を着たときの制限から体の動きが変わる。というのは上に述べた馬の調教法からもあるのではないかとおもいます。 着物(はかま)はすそが広がっているので100ダッシュのような大きく足を前後に伸ばす場合、ばさばさとすそが邪魔です。そのような場合はももだちをとったり、たくし上げるような事前準備をしなくてはなりません。 気持ちとしてわかりやすいのは長ばかまをはいて歩く感じです。 腰に手を当てて(ベルトに親指を引っ掛け)肩と足を同時に動かさないとあるけないとおもいます。 人間がもともと斜対歩であったのは確実です。赤ちゃんのハイハイを見ればわかります。武道などでは「自然体」という言葉をよく使いますが なんばは100%「自然体」ではありません 武士の歩き方が独特であればそれは彼らが職業的に無意識にそのようになったといえます。腰を落とした動きは西洋でも同じであり、もフェンシングも腰の位置は上下せず一定ですし、同じ側の腕と足を踏み込むというのであればプロのフフェンサーこそそうあるべきです。しかし、現実にはほとんどそのような歩き方をするフェンサーはいないでしょう。 わたしは表題の「江戸時代の人たち」は「なんば歩きをして」「走れなかった」はいくつかの疑問がまとまってしまったものだと思います。 1、絵画様式からみたなんばと見られるうごき。  これはリアルではなく表現性の問題だと思います 2、武道をする場合の独特な歩き。  日本だけではなく西洋の騎士も同じでした。 3、衣装から来る制限と農耕民族という特殊性  衣装の制限は大きいと思います。農耕民族の畑を耕す動きという点で は西洋も農耕民族でした。これは牧畜主体のモンゴル人などの歩き方と比較をしなくては結論がでません。彼らは歩くよりも馬に乗る時間がながいですから彼ら特有の歩き方というのがあってもおかしくないです 4、明治時代の軍隊教練で統一して走れなかったこと  これは西洋リズムがステップ主体であったことの文化的差ではないかとおもいます。日本舞踊はよくわかりませんが、「ちょちょんのちょん」のようなリズムは手拍子主体ですし、太鼓のリズムにしても体が動くのは先に上半身のような気がします。

noname#48778
質問者

お礼

とても詳しく解説して頂いて、有難うございました。 人間もほとんどの動物も、現代人のような歩き方が自然なんでしょうね。 たしかに長袴を穿いて 「殿中でござる」 と歩いたら、やはり出した足と同じ側の手で袴の一部を持たないと歩き難いと思います。 一方、他の回答者様のご意見にも剣道やボクシングでは前に出した足と同じ側の手を主体にして攻撃するとあって、私もなるほどと感じたのですが、もしかしてこれは、足と同じ側の手を前に出して攻撃した方が肩が入って相手に届きやすいからではないかと思い始めました。 もしこれを普段歩くように前に出した足と反対側の手で攻撃しようとすると、肩も入らず体重が乗らないように思いました。 格闘技で体重を乗せるって結構大事ですからね。 格闘技には全くの素人なんですが、そんな事を考えてしまいました。

関連するQ&A

  • 江戸時代の歩き方? 本当?

    先日テレビのクイズ番組で 「江戸時代までの人は着物が乱れないように、今と違って同じ側の手と足を前に出す歩き方をしていた。  現代人のように反対側の手と足を連動する歩き方は 『ねじり歩き』 と言って、洋服が一般化する明治に入ってから」 という解説がありました。 ズボンを履いた現代人のような歩き方をすると着物の前がはだけるから、自然にこのような歩き方になったというものでした。 よく冗談で同じ側の手足を同時に前に出して歩く事がありますが、江戸時代までの人々はこれが普通の歩き方だったというわけです。 でも考えてみたのですが、絵画などから想像する以外、まず誰も実際に江戸時代の人の歩き方を見たわけではないですよね? それと、そもそも人間を自然の状態で歩かせた場合、「ねじり歩き」 が一番理に叶っているように思うのですが、本当に江戸時代までの人々は同じ側の手足を連動して歩いていたんでしょうか? もし着物のせいでそうだとしたら、たとえば前合わせの和服が一般化する前の、古墳時代の人々の歩き方はどうだったと考えられますか? たしか動物の場合でも、ラクダ以外ほとんどの動物は 「ねじり歩き」 ではないかなと思うんですが?

  • 「江戸時代、庶民も誰もが苗字を持っていた」という説は本当?

    「庶民が苗字を名乗れるようになったのは、明治以降。江戸時代の庶民は 苗字が無かった」というのは俗説であり、最近の研究では、江戸時代の 庶民にも苗字があったとする説が一般的になりつつあります。 やはり、「家」を識別するためには、庶民と言えど苗字が無いと不便だし、 庶民にも「家格」はあったはずだと思います。 公には「苗字は武士だけ」とされていたため、農工商の庶民は、ひっそりと 苗字を持っていたそうです。 しかし、疑問が残るのですが、どうして今さらそんな新説が出てくるので しょうか? うちの大正生まれの祖父はもう死にましたが、生前そんな事は言って ませんでしたよ。 祖父の世代から見れば、明治初期はそれほど昔じゃないから、「日本人は 江戸時代からみんな苗字があった」という事実を上の世代から教えてもらって いても不思議じゃないと思います。 「江戸時代、庶民も誰もが苗字を持っていた」という説は本当なんでしょうか?

  • 江戸時代から明治時代なり江戸時代とどう変わったか

    社会の調べ学習をやっていて、江戸幕府から明治維新への移り変わりを調べているのですが…分からないことがあるので分かる人は回答をお願いします。江戸幕府の時代から明治維新の時代になって、江戸幕府の時代とどう変わったのですか?お願いします。

  • 江戸時代から明治時代へ。立場はどう変化した?

    江戸時代から明治時代に変わったとき、 天皇、貴族、大名、庶民の立場に変化はあったのでしょうか? わかる方、どのように変化したかもお願いします><

  • 江戸時代に小さな村がたくさんあったのは何故

    私の住んでいる市は面積は小さいですが、江戸時代に11の村に分かれていました。 それが明治になって合併を繰り返し、昭和初期には一つの町と1つの村になり、戦後に市制をひきました。 江戸時代、村落はどうしてそんなに細かく分かれていたのでしょうか? 幕府や藩の意向で、村が力を持たないように細分化したのでしょうか。 それとも村の自営は小さい方がやりやすかったのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の色々

    江戸時代で刀を携帯するのは普通で町人も旅行の際、脇差を持っていたり懐刀を持っていたりするというのは聞いたことがあるのですが、17歳くらいの少年が打刀を一本持っているというのは目立つことなんでしょうか? 脇差でないと犯罪になりますか? 町の人は刀を持っている子供への扱いは武士で無ければ普通のタメ口なのでしょうか? 女性は男性に対して低い姿勢で話しかけるのが普通ですか?(普通の私生活で) 江戸時代の手書き地図はどんな感じだったのでしょうか? 地図はどんな紙に書いたのでしょうか? また、懐刀というものは襦袢と着物の間に入れるのですか?それって動いている間に落ちたりしませんか? また、袖に入れる描写も見ますがあれって落ちないんですか? 袖のどこに入れてるのですか? 長々と質問ばかりで申し訳ないのですが、教えて頂きたいです!!

  • 江戸時代の庶民の貯蓄

    江戸時代は、1町5反持ちの本百姓は10両の貯蓄があったみたいですが、10両貯蓄できただけでも大したもんなんですか? 聞いた話しでは本百姓は米の他に麦も作るから、若干お金に余裕があったみたいです 江戸時代の庶民の貯蓄平均額は、どれほどのもんなのか興味があります

  • 江戸時代の人々が可愛く思える。

    こんにちは。 いつからか分かりませんが、江戸時代の人たちが可愛く思えます。 理由は、小さなことで驚いたり、喜んだり・・・。 あの時代の人は、今と違ってゆっくり四季折々の生活を 送っていたのかな~と思うと心が温かくなります。 浮世絵なども関係すると思います。 小さく書いてある人って、凄く可愛い顔してるじゃないですか? 私は史学とはまったく関係ないことを勉強している大学生です。 ただ、詳しくはありませんが江戸から明治にかけての時代が好きです。 史学を勉強している人、または歴史が好きな人はこんな感情になったりしますか? また、実際の江戸時代の生活は如何なものだったんでしょうか?

  • 江戸時代、庶民はメガネをかけていた?

    江戸時代、文化・文政期の頃のことを調べています。 江戸時代には眼鏡屋なる商売があったようですが、文化・文政期、メガネは庶民にも手が届くものだったのでしょうか? 商家の主はメガネをかけていても、手代や丁稚がかけていたらおかしいようなイメージがあります。 値段的にも、ステータスとしても、庶民には手が届かないものだったのでしょうか? また目上の人の前ではメガネをかけるのは失礼にあたると書いてあるサイトもありました。そうだとしたら身分の低い庶民はメガネなどかけられなかったのでしょうか。 江戸時代、庶民はメガネをかけていたのか、ご存知の方いらっしゃいましたらご教授ください。一例として、商家の手代はどうだったか教えていただけましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

    江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか? 一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか? ご教授願えませんか?よろしくお願いします。