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江戸時代まで 「なんば歩き」 をしていたという説は本当?

eroero1919の回答

  • eroero1919
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回答No.10

スーパーコンピューター上に人体の骨格を組み合わせた人体模型を作り、それを4°の下り坂に置いたところ歩き出したそうです。もちろん、その歩き方は現在の歩き方です。 物理的かつ医学的に考えると、左足が前に出ると重心は左に寄ります。このとき、右上半身を前にひねることによって重心を右に、つまり中央に戻すことができます。重心は常に中心付近にあったほうが安定しますから、左足を出して右手を出す歩き方が一番自然かつ合理的だ、ということになります。 絵画などにおける表現ですが、これは慣習として使われていた可能性は大いにあると思います。子供に絵を描かせると、右手と右足が出ている絵を描くことは珍しくないと思います。ルネサンス期になって遠近法が発見されるまで、遠くのものも近くのものもほとんど同じ大きさで描かれていました。馬の足の動きは、カメラが発明されてから正しい動かし方が分かったくらいで、よくナポレオンの戦場を描いた絵画で騎馬隊が突進する様子が描かれていますが、あれは足の動かし方の描きが間違えている(当時の人々はそう動いていると思っていた)のだそうです。 動画の映像と、古文書の内容と、どちらのほうが資料的に信憑性が高いかは明らかだと思いますが、なんば歩きを提唱している方々は武術の先生が多いので、私も面と向かって先生の論に異を唱えるような命知らずなマネはしないでおこうと思っています。

noname#48778
質問者

お礼

有難うございました。 全く同感です。 重い荷物を持って歩くと、なんば歩きの方が安定した歩き方になるとのご意見がありましたが、実際にやってみると、足を前に出すたびに体全体の重心が大きく左右にぶれます。 つまり安定した歩き方にならないわけです。 また当時の飛脚の描かれ方に根拠をおかれる方もいますが、これも単なる画法の一つかなと私は考えています。 実際、なんば歩きで走ってみれば分かりますが、歌舞伎の所作ならともかく、あのやり方で早く走れるわけがありません。 また動物学の専門家の方に聞いてみたいのですが、爬虫類も含めて、4本足で歩行する動物では、どちらの方が多いのでしょうね。 なんば歩きで自然に歩いているのはラクダくらいしかいないように思うのですが ・・ トカゲの歩き方を連想しても、結構、体を捻りながらノッシノッシと歩いているように思います。  という事は人間も自然に歩くとネジリ歩きになるのが本当という結論になるわけです。 たとえ着物を日常的に使用していた江戸時代の日本人であっても。 削除されてしまったのですが、明治30年撮影の映像に登場する和服を着た、手ぶらであるく年寄りは全員ネジリ歩きでした。 この人たちは江戸時代に育ったはずなんですが ・・・ やはり Wikipedia で解説されていたように、なんば歩きは日本古来の歩行スタイルというのは大嘘なんでしょうか? その場合、一体、誰がこんな嘘を広めた事になるんでしょうか・

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