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江戸時代まで 「なんば歩き」 をしていたという説は本当?

sagiri_gの回答

  • sagiri_g
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回答No.8

質問者の考える、右手と右足を同時に前に出す「なんば歩き」は当時も現在もありません。 「なんば歩き=同手同足で歩くこと」とよく言われますが、そうではなくて、腰(はら)が平行移動する、上体がねじれない、重力を利用した歩き方です。 当時着物を着ていたからと言う方もいますが、着物を着て歩いても着崩れは殆どしません、もし着崩れても日常着ですので自分ですぐに直せます。 飛脚の写真で左足左手前で写っている写真があり、それを勘違いした結果現在の誤解が生じてしまったのでしょう。 武道でいえば古今東西、足と手は同じ方向の手足を出すが基本です、レスリングもボクシングも空手もカンフーもその他の武術変わりません。 重心を安定して動かそうとすれば必然といえます。 では日常の歩き関していえば、両手を固定しなければ今と同じように手足は逆になります。 両手を固定した場合は右足と右肩が同時に出てあたかもなんば歩きの様に見えるのです。例えば両手で荷物を運んだり、両手を腰に付けている時や、両手を背に回して組んでいるときです。 これは今現在でも同じ様に体は動きます。 なんば歩きは一見難しそうに思うかも知れませんが、思い荷物を持ってある程度歩けば自然に重心を安定させてなんば歩きになっていますよ。

noname#48778
質問者

お礼

有難うございました。 なんば歩きは着物が崩れるからという理由を述べる方もおられますが、私も納得は出来なかったです。 今でも年配の女性などで普段から着物を愛用される場合がありますが、着崩れするからと、なんば歩きをする人は一人もいません。 皆さん、普通にあるいても着崩れはしていないと思います。 それと試しに今、両手を腰に当てたり、(寒い冬によくやるように) 両手をポケットにつっこんで歩いてみたのですが、どうも私の場合は、いつものように足を反対側の肩が前に出るようです。 無理に意識してやらないと同じ側の肩が前に出る事はなかったです。 ねじり歩きに慣れ過ぎてしまっているのでしょうか。

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