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江戸時代まで 「なんば歩き」 をしていたという説は本当?

Pinhole-09の回答

  • Pinhole-09
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回答No.12

飛脚を撮った二枚の写真があります。 一枚は1860年代(幕末と思われる)ベアト氏が撮ったもので、明らかに「なんば歩き」です。 他方は1870年代(明治初期)に下岡蓮杖氏が撮ったもので現在の歩き方です。 この時代は動くものを撮るのは難しく、私はほかには知りません。 江戸時代の絵では歩き方の判るものは少ないようです。 善峯寺所蔵の「武家繁盛絵巻」の中に、なんば歩きのように見える武士がいます。   他方屏風絵の中に町人らしき人が現在と同じ走り方をしています。 江戸時代の武士は歩く時、手を振らないので不明瞭なのです。   (町人も同じようです) 武士は天下の一大事以外走ってはならない?とか云われ、平和な江戸時代には武士が走る絵は見かけられません。 私の考えでは武士は剣術の関係でなんば歩きをしていた。 町人は現在と同じ歩き方をしていた。    難問ですね。       

noname#48778
質問者

お礼

有難うございました。 お礼が遅くなり、すみません。 飛脚の写真を探してみました。 おっしゃっているのは次のサイトかと思います。 http://lib.u-air.ac.jp/koshashin/hikyaku.html たしかに 「なんば歩き」 をしているように見えるのですが、ただ当時の写真技術では動いている瞬間は撮影できず、何分間もジッと不動の姿勢をしていたと思います。 従って、これはカメラマンに指示されたとおりの撮影用のポーズではないかと考えられるのですが ・・ その証拠に2枚後の人力車の写真があります。 丁度真ん中に位置する車夫が手ぶらで歩いていますが、現在と全く同じ歩き方をしています。 それと、私が最初に疑問を持つに至った映像があります。 このカテで過去に紹介されているのがそれです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3448901.html 1番目の回答で紹介されている動画を見て頂けますか? 和服を着て、手ぶらで歩く男性が多く撮影されていますが、「なんば歩き」 をしている人は誰一人としていません。 撮影時期から考えて、これらの男性たちは江戸後期に子供時代を過ごしたはず。 映像の中には武士出身者も混じっていても不思議ではないと思うのですが ・・

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