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江戸時代まで 「なんば歩き」 をしていたという説は本当?

no009の回答

  • no009
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回答No.9

>江戸時代までの人は 「なんば歩き」 をしていたというのは本当ですか? 本当です。 >それはどうやって確証されたのですか? 代表的なところでは浮世絵です。東海道53次などを見れば、といいたい所ですが、歩いている人では見分けが付きにくいです。飛脚のように走っている人が良く分かります。ネットで「浮世絵 なんば走り」の方が納得のいく情報が得られると思います。 ちなみに、佐川急便に数年前飛脚のマークがあったと思いますが、アレもなんば走りをやっています。古い車両にはまだ付いていますので、確認ください。 空手、合気道の半身の姿勢も、剣道の正眼の構えも、相撲の?(腰を落とし、手を突き出しながらすり足で前に進む基本動作;名称が分かりません。)も、阿波踊りもなんばです。まだ現代社会でも生き残っています。 >右手と右足を同時に前に出す、いわゆる 「なんば歩き」 をしていたと聞きました。 というより、極端過ぎますが、能のように上半身を動かさないというか、ねじらない動きです。日舞の歩く所作も上半身は動かしません。その逆の極端な例が歌舞伎の跳び六方かな。手の動きはそれほど重要でないというか、付属的なものかと思います。肩の動きか、肩と腰を結ぶ上半身の面の動きが、なんば歩きの特色になると思います。 >でもこの映像では 「なんば歩き」 で町を歩く人は一人もいないのですが、なぜですか? う~ん。根拠のある話ではありません。 歩くとか走るという行為は、親から教えられるものでなく、本能でするものです。本能が今の動きです。なんば歩きは学習する必要があったと思います。行儀見習い、しつけの世界です。肩を怒らせて交互に動かす所作はやくざか与太者の所作だったのでしょうか。善良なる一般市民は肩をひねることなく、流れるように?歩く。 文明開化で考え方が180度変わり、学習しないでよい、本能のままの歩きになるのに、多くの時間は必要なかったからかな。

noname#48778
質問者

お礼

有難うございました。 なんば歩きについては、江戸時代までの絵画によるところが多いようですね。 ただ、どうなんでしょう、日本の絵画が写実主義なら理解できるのですが、結構デフォルメしたり、写実とは異なる画法を取り入れているケースもあるので ・・・ でも人間、本能だけで歩くとネジリ歩き、なんば歩きは子供の時の学習によって身につける ・・ 納得です。

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