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江戸時代まで 「なんば歩き」 をしていたという説は本当?

noname#44236の回答

noname#44236
noname#44236
回答No.15

>捻り歩きをしていたと考える方が自然なように思うのですが ・・・ ええ、ですから、『現在に「近い」普通の歩き方』も使っていたと思います。その時代へ確認に行ったわけではありませんから、単なる予想でしかありませんが。 現在と異なった歩き方、走り方をしていたと考える理由は、 履物の違い、和服の着用などです。 和服では腰をひねりにくいので、腕を足とは逆には振りにくくなります(走る事に適した服装もないわけはありませんが)。現代では普通、歩くにしても走るにしても腕を振りますが、腕を振らずに試すと、全く違う動きになります。腕を振る場合はひねり歩きに、固定した場合は半身を交互にだす歩き方になると思います。どちらも、そうした方が楽です。 後は履物の違いから、足の進め方が少し異なると思います。

noname#48778
質問者

お礼

再度のお答え、有難うございました。 実は私も別の方のお答えにもあったので、手を後で組んだり、大きな荷物を両手に持ったまま歩いてみたのですが、私の場合はやはり出した足の反対側の肩が少し前に出るようです。 つまり、上半身を僅かに捻りながら歩いていました。 よほど意識しないと、足と同じ側の肩が前に出る事はなかったです。 それでも無理にそうやって歩こうとすると、体の重心が大きく前後左右にぶれながら歩いているような感覚になりました。 難しいですねえ。

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