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寺子屋の授業形態について

ben1151の回答

  • ben1151
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回答No.2

寺子屋に行っていた、祖父から、縁側で、ひなたぼっこをしながら、聞いた話です。 お寺に、農業という家業の手伝いがない日に行っていました。 小学校、中学校は、もう、出来ていた年代だと思うのですが、まだ、遅れていた、地域だったのかもしれません。 和尚さんが、先生で、「読み、書き、そろばん」が、主です。 家業手伝い優先で、全員が揃うことが珍しいくらいです。 優秀な、年長の子が、先生代行をすることがあり、祖父は、先生代行をしていたのが、自慢のようでした。 習字は、現在のシステムと同じで、レベル分けをする時は、複数の先生が当たったのでは、ないでしょうか。

hunbet
質問者

お礼

ありがとうございます。 実際の話はありがたいです

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