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「速く食べ過ぎる」などの表現

急いで食べ後悔したような場合に 「速く食べ過ぎちゃった」などと自分でも使いますが おそらく他の方も使っていると思います。 一般に「食べ過ぎ」とは食べる(た)量が多いことを指すと思いますが この場合は“食べるのが速過ぎた”のであり、 一般的な意味での「食べ過ぎ」ではありません。 つまり「過ぎ」は「食べ」の意味を補っているのではなく 「速く」を強調しているわけですが、 「食べ過ぎ」で一つの単語だと思います。 (品詞分解という文法的な手法に拘るつもりはありません) このような「~が○○だった」を「○○く~過ぎた」とする 表現は幾つも見られると思いますが 上に述べたような点で不思議な印象を受けるのです。 どなたか説明していただけないでしょうか。

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回答No.6

構造と意味が合致しないことはよくあります。 「はやく食べ過ぎる」の場合、構造上は「食べ(る)」と関係しているはずなのに、意味の上では「はやく」を修飾しているという矛盾。 日本語ですと他に、 「小首をかしげる」「小耳に挟む」 という表現があります。接頭辞の「小」は名詞に付いていますが、意味の上では動詞を修飾していて、「小さい首を傾ける」「小さい耳に挟む」のではなく、「首をちょっと傾ける」「ちょっと耳にする」という意味ですね。 ほかにも、 「大学に入学後、すぐに休学した」 では、構造上は [ 大学に [ 入学後 ] ] のはずですが、意味上は [ 大学に入学 ] 後 ] です。 もう一つ例を挙げれば、 「彼はここに来るべきではない」 「彼はここには来そうにない」 の意味は 「「彼はここに来る必要がある」訳ではない」 「「彼はここに来るという推測が成り立つ」訳ではない」 ではなく、 「「彼はここには来ない」必要がある」 「「彼はここには来ない」という推測が成り立つ」 という意味です。 英語でも、 He only solved the problem yesterday. は、耳で聞けば分かるのですが、字面だけでは only が何を修飾しているのか分かりません。構造上は動詞(句)を修飾しているはずなのですが、実際に何を修飾しているのは、前後の文脈次第です。 「彼だけが昨日その問題を解いた」 「彼は昨日はその問題だけしか解いていない」 「彼は昨日その問題を解いただけだ」 「彼はつい昨日その問題を解いた」 という具合です。 言語学では「作用域」とか、bracketing paradox とか、いろいろ名前を付けて、いろいろな人が、いろいろな分析をしています。簡単に言えば、構造と意味が事情によって合致できない場合があり、その際にはやむを得ず、緊急避難的にやや不合理な言い方になってしまうのです。

sak_sak
質問者

補足

他にも色々と構造と意味が合致しない例があるのですね。 「彼はここに来ないべきだ」の方が構造的には理解できるでしょうが 聞いたことも使ったこともない表現ですね。 英語の方が日本語よりも修飾の範囲が明確で論理的だという印象を受けていたのですが 英語でも曖昧なことはあるのですね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#39330
noname#39330
回答No.8

再投稿失礼します。 「過ぎる」という言葉が生まれて「食べ過ぎ」「飲み過ぎ」などの言葉と同時期に「速過ぎ」などの言葉も誕生したことでしょう。 やはり「過ぎる」という言葉は前の言葉にかかって一つの単語を形成していると思われますから、「食べるの速過ぎ」というのが正解なのだろうと思います。 以下「速く食べ過ぎ」誕生の私なりの考えです。 仲間と食事をしていて自分だけ食べ終えてしまった場合、自戒の意味とバツの悪さから、 「食べるの速かったかな…」とか、 「速過ぎ?」 とか言いながら頭でも掻くと思います。 一方そういう人を目の当たりにした周りの反応は、 「速いよ」とか、 「速過ぎるよ」 とかの「速い」ということに力点を置いた非難が集まることでしょう。 歩調の合わせられない者に向かって「食べるの」という言葉より先に「速い」という言葉が出てしまったことから生まれたのが「速く食べ過ぎ」なのではないかと思います。 結局「食べるの速過ぎ」が正解ではあるものの、その言葉が定着し広まるより速く、後から生まれた「速く食べ過ぎ」の方が追い抜いて広まったと考えますが、いかがでしょう?

sak_sak
質問者

補足

再度回答ありがとうございます。 私が気になるのは「の」という形式名詞的な助詞です。 「書くことができる」よりも「書ける」の方がスマートに感じると思いますが これは「こと」が無いためだと思います。 英語の授業で「無生物主語の文は避けろ」と言われたことがありますが 「食べるのが速過ぎ」には、それに類したものを感じるのです。 それで歴史的に新しい表現なのではないか、と思ったのですが如何でしょうか。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.7

私も常日頃、質問者さんと全く同じことを考えていました。 同志。(笑) ですから私自身、なるべく「速く食べ過ぎた」とは言わずに、 「食べるのが速すぎた」と言うように、気をつけています。=堅物者 ほかの例では 「もう電車の時間にぎりぎりだ。ゆっくり買い物しすぎた。」 というような場合も 「買い物するのがゆっくりすぎた。」 と言うようにしています。 あくまでも話題を「速く食べ過ぎた」に絞って、これまでのご回答を整理しますと、 1.「速く食べ」+「過ぎた」 2.「時間に対して量をとり過ぎた」→「速い時間で食べた」 3.「速く~しすぎる」の「~」の部分が「食べる」 の3つの候補がありますね。 しかし、恐縮ですが、いずれも論理的に無理があると考えます。 「速く食べ過ぎた」は、あまり適切でないというのが私の見解です。

sak_sak
質問者

補足

回答ありがとうございます。 「ゆっくり買い物し過ぎた」は使いますね。 “時間に対して”説では説明しにくいような気がします。 私がNo.5の補足で述べた件についても言及していただけると嬉しいのですが…。

noname#39330
noname#39330
回答No.5

仰ることは理解できます。 私は文法とかよく分からないのですけど、sak_sakさん的に、 「速く食べ過ぎちゃった」だとモヤモヤ感があるのでしょうね。 「食べるの早過ぎちゃった」の方がスッキリ出来るのではないかと思いまが、「速く食べ過ぎちゃった」ってけっこう使ってますからね。 言葉は生き物ですから、その使い方が間違っていようとなかろうと、形を変えていくものです。 あまり形式に拘らない方がよろしいかと思います。

sak_sak
質問者

補足

回答ありがとうございます。 意味の通りが良いとか文法的に納得できるという点では「食べるの早過ぎちゃった」の方が 私も良いとは思うのですが、無生物主語の文のようで日本語らしくない印象を受けます。 なので、個人的には「速く食べ過ぎちゃった」の方が表現としては好きなのですが、 納得できないので、今回このように質問させていただいた次第です。 > 言葉は生き物ですから、その使い方が間違っていようとなかろうと、形を変えていくものです。 ということは、「速く食べ過ぎちゃった」は「食べるの早過ぎちゃった」よりも新しい表現法なのでしょうか?

回答No.4

文法的な説明は全くできないのですが。 「速く~しすぎる」の「~」の部分が「食べる」という動詞なのではないですか? 「速く飲みすぎる」「速く作りすぎる」「速く書きすぎる」 いずれも、多く飲んだわけでも、多く作ったわけでも、多く書いたわけでもないと思うのですが。 「~しすぎる」は、度を超して何かをすることであり、「速く」は、その「~しすぎる」にかかるのだと思うのです。 速くしすぎた。何を速くしすぎたのかといえば、食べることである。 ということだと思うのですが。 ちょっとややこしい言い方になりました。 もっときちんと文法的に説明してくださる方がいらっしゃると思いますので、あとは、その方に譲りたいと思います。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.3

ANO.2です 漢字を変換し間違いましたね。 速く+食べ過ぎる でも時間に対して量をとり過ぎた。 となり速い時間で食べたという意味になると思いますが。 違うとしたらどのような意味だと思っているのでしょうか? ですね。 >「書き過ぎた」は一般に数多く何かを書いたことを指します。 数と限る必要は無いんじゃないですか。 一文字でも大きければ書く量は多いのですから。 で、おかしいと思うならどのような意味だと思うんでしょうか?

sak_sak
質問者

補足

度々の回答ありがとうございます。 >>「書き過ぎた」は一般に数多く何かを書いたことを指します。 > 数と限る必要は無いんじゃないですか。 もし「食べ過ぎちゃった」とか「書き過ぎちゃった」と聞いた場合 dai-ymさんは「速く」とか「大きく」の可能性を踏まえながら 言葉の意味を捉えることはできますか? 私は「はやく食べ過ぎちゃった」と聞いた場合に「速く」と「早く」の両方を考えながら相手の話を聞きますが この言葉を聞いた場合は、疑問の余地無しに「多く」を補って考えると思います。 > で、おかしいと思うならどのような意味だと思うんでしょうか? 私は「速く食べ過ぎた」は「食べるのが速すぎた」だと思っています。 そうすれば「大きく書き過ぎた」などの意味も無理無く理解できます。 しかし文法的というか形式的に理解できないのです。 頭の中に描く画像としては同じかもしれませんが、 その過程で「時間に対して量をとり過ぎた」という考え方を途中に挟むのは私には無理があるように感じますし、 今すぐに思いつかない他の用例でも柔軟に解釈できるかどうかに疑問を感じます。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.2

速く+食べ過ぎる でも時間に対して量をとり過ぎた。 となり早い時間で食べたという意味になると思いますが。 違うとしたらどのような意味だと思っているのでしょうか?

sak_sak
質問者

補足

>早い時間で食べた 短い時間で食べ終えた(A)、という意味ですか? 時刻の早いうちに食べた(B)、という意味ですか? >違うとしたらどのような意味だと思っているのでしょうか? 「速く食べ過ぎた」の場合は、 そう解釈しても同じ状況を説明できるでしょう。 他にも色々あると思いますが、それらの場合も同様な解釈ができますか? 例えば「大きく書き過ぎた」ですが 「書き過ぎた」は一般に数多く何かを書いたことを指します。 しかし一文字しか書かなくても、この表現は可能です。

  • GAG666
  • ベストアンサー率21% (244/1118)
回答No.1

「速く」「食べ過ぎた」ではなく、 「速く食べ」「過ぎた」と分割すれば問題ないのでは。

sak_sak
質問者

補足

「拘るつもりはありません」と書いておきながら恐縮ですが 「速く」…副詞、「食べ過ぎ(る)」…動詞 と私は思っていたのですが 「速く食べ(る)」で1つの動詞ということですか? すると「過ぎる」は助動詞ですか?

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