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戦争責任と謝罪について

第二次世界大戦について、その責任と謝罪が問題になりますが、ほとんどが外国との問題です。 よく考えると、日本国民はどうなるのでしょうか。当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。 天皇、政治家、軍部その他。 (謝罪は、戦争に勝てなかったことを詫びるのではなく、戦争を始めて国民を抑圧したことです。) 教えてください。

  • e_b_p
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  • torauma
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回答No.9

最近の日本人(特にgoo教えての投稿者さん達)には、理解の範囲を超える面があるかもしれないと考えましたのでアドバイス投稿しますね。 時代の違いを少し説明します。 >当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。 当時の日本国の権力者が謝罪する相手は【天皇か上官か組織】です。  権力者達にとっては『国民って誰のこと?』というレベルの感覚です。 当時の国体は今現在の日本人平民の感覚でいうならば【ヤクザ組織】に似たところがあります。 戦後になって主権者は国民であり、天皇は象徴ということになりましたが、あいかわらず天皇制という制度については変化が無い(?)というか、変化させまいとする意思が終戦直後から現在まで働きます。  現在の北朝鮮の国内状況を作ったのは元日本人達です。 戦後、天皇の臣下達は【天皇の戦争責任】の追求を回避するという目的であれば、いかなる犠牲があっても当然と考えます。 また、それは当時の大人(皇軍兵士)達も止むを得ないと考えます。 例えば、 南京大虐殺が東京裁判の判決であり、これを認める事が【天皇制を守るために必要と考える】のであれば諸外国に対して謝罪する必要ありと判断されました。 まず天皇を守る事を優先します。 なぜなら彼らは天皇の臣下だからです。 同時に【日本人という人種の凶暴性の責任】にする事でGHQ(米国)に協力する天皇制為政者達の面目も保たれると考えます。 なぜなら戦時中の米国人は【日本人という人種を絶滅する意思があった】事は米国人も認めるはずと考えるからです。 東京裁判と諸判決は、サンフランシスコ講和条約以後も有効であり、これは天皇制を守るために必要・有効であると考えられています。 右翼はもちろん、GHQ、保守合同、勝共連合、戦中の大人達(皇軍兵士)にとってだけ必要であった訳ではありません。 終戦後、一般の日本人は争って占領政策を歓迎しました。 そして、日本国民(現在の朝鮮人・台湾人を含む)にとって功績のあった人、日本の軍国主義を諫めた人、捕虜に親切にした人、現地人と協力するために苦労した人、・・・・ これらの人々が【戦争犯罪人】であり、日本人はこの戦争犯罪人どもを『徹底的に追求して処罰すべきである』という論に乗ってなんと【遺族や親族が差別、虐待される】という例が戦後あります。 まあ裁判所は行政管理監督者として、公表しないでしょう。 終戦直後、東京裁判の諸判決に異議を唱える国民を代弁したのは野党社会党でした。 もちろん、政権政党はGHQ、米国の要求に応えると同時に【異議がある国民の期待に応える】必要もありました。 政治状況が180度一編したのは朝鮮戦争、レッドパージ以後です。 >当時の権力者の中で、正式に日本国民に謝罪した者がいますか。 【戦争に負けた】結果について、天皇陛下に詫びて腹を切った国民の大半は名無しなんですよ。 もちろん戦死者の後追い自殺の意味もあります。 ですから謝罪するという事であれば【謝罪の意味内容を、もう少し詳細にする】努力をしていただく事が歴史を知る上で必要なんですよね。 乱文、参考意見についてお詫びいたします。  尚、記憶が曖昧なまま投稿しましたので、間違いの指摘は歓迎ます。が議論できませんので2度目投稿はしません。 よろしくお願い致します。

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  • buchi-dog
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回答No.3

大西瀧治郎 海軍中将 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E は、 「8月16日、日本の敗戦を見とどけると、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて苦しんで死んだという。享年54。」 という行動を取っています。多くの若者を特攻で殺したことを国民に謝罪し、自ら「一番苦しい死に方」で自決することで、その謝罪を具体化したと思われます。 終戦時の陸軍大臣で、御前会議でポツダム宣言受諾に反対して本土決戦を主張した阿南惟幾 陸軍大将 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8D%97%E6%83%9F%E5%B9%BE も、 「太平洋戦争(大東亜戦争)末期、梅津美治郎参謀総長とともにあくまで本土決戦を唱えるが、昭和天皇の終戦の意志が固いことを知り、最終的には終戦に同意。軍事クーデターをほのめかす部下の軽挙妄動を戒めながら、8月14日夜、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で自刃。介錯を拒み、翌15日朝絶命」 と、大西中将と同様の自決をしています。なお、阿南陸相の「徹底抗戦論」は、陸軍が本土決戦に暴走するのを抑えるための、鈴木貫太郎首相や米内光政海軍大臣(いずれもポツダム宣言受諾派)と打ち合わせての、昭和天皇の「聖断」を引き出すための「演技」であったという説もあります。 なお、拙劣な指揮で多くの将兵を無駄死にさせたと後世の史家が批判する 辻政信 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1 牟田口廉也 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F 富永恭次 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E6%81%AD%E6%AC%A1 らは、いずれも大西中将や阿南大将のような行動は取らず、戦後に自己弁護の発言を多く行っています。 辻は戦後に国会議員となり(何でこんな奴に投票する者が多数いたのか?)、ラオスまで「視察」に行って行方不明となりました。 牟田口や富永は天寿を全うしています。

  • kyakya07
  • ベストアンサー率32% (10/31)
回答No.2

それは、民主主義国家の「国民主権」という概念を無視していると思います。戦争を起こしたのは、軍部ですが、これは軍部を抑えられなかった政治家が悪い。そしてその政治家は国民が自らの代表として選んだのです。つまり日本国民が戦争を選んだのです。事実、満州事変後にリットン報告書が採択されて、松岡洋右が国際連盟を脱退して帰国した際には、国民は松岡を英雄として迎え入れた。日本国全体が戦争歓迎ムードだったわけです。政治家を国民とは別個に存在するものと考えると謝罪がないということになりますが、民主主義国家においては、政治家と国民はイコールなんです。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.1

 当時の大日本帝国も、民主的に選挙を行って為政者を決める、民主主義国家です。  形だけの選挙モドキしかしていない、今の共産党中国や北朝鮮や今はなきイラクとは違います。  したがって、戦争を始めたことは民意に基づくものでもあり、それを謝る筋合いはどこにもありません。

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