昔の人は年号ばっかりで不便じゃなかったの?(1/2)

解決済みの質問

昔の人は年号ばっかりで不便じゃなかったの?

昔の人は何年前とかってどうしてたんですか?
年号なんて数年で改元することもあるしややこしくなかったの?
別の年号(皇紀?)見たいなのがあったの?

投稿日時 - 2007-07-03 16:08:00

QNo.3136279

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

年号単独で使用されることもありますが、多くは干支(えと)との併用
がされていたようです。ちなみにこの場合の「えと」は現在の十二支
ではなく、60年周期のものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF

例えば、平成十九丁亥年などと表記し、この「丁亥」が24番目であ
ることから、60進法的な要領で他の年号との比較ができる訳です。
まあ60年あれば、たいていの人は自分の一生がカバーできるし、
自分の生まれた年を基準に+-60年あれば、だいたい親子孫3代が
範囲に含まれますね。
テレビの江戸時代ものドラマとかでも、時刻が「午の刻」などと12
進法になっていますが、言わばそれのパワーアップ版ですね。
現代の我々には、ちょっとなじめそうにはありませんが。

ちなみに、年号や干支は上流階級だけではなく、地方の農村の有力農
民など庶民の上層レベルにまで普及していたようです。古くは鎌倉時
代に百姓が領主に送った手紙などにも、年号や干支が記載されていま
す。

投稿日時 - 2007-07-03 17:08:20

お礼

干支を使うのですね
それなら何とかなるか

投稿日時 - 2007-07-03 18:03:38

ANo.4

3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(9件中 1~5件目)

ANo.10

確かに、鎌倉室町の昔は京都から遠い東国では改元を知らずに、前の元号を使っていた、なんて碑文が残っていますが。
 
元号に併用して「庚午」などの干支で年を数えていたようです。道端の地蔵とか庚申塔とかに、元号ではなくて干支で年を表している例はよくあります。
 
戦前は西暦も普通に使われていたので、特に不便はなかったかと思います。
よく誤解されていますが、戦前の新聞雑誌記事で元号の次によく使われているのは皇紀ではなくて、西暦です。
皇紀が頻繁に使われるようになるのは、紀元二千六百年の昭和15年(1940年)以降の事で、それ以前は専ら、西暦です。
 
ですので、
日本では元号と干支が併用して使われていた時代が長く、
明治以降より、徐々に西暦も使われ始め、昭和15年頃より西暦より皇紀の方が一般的になった、といった感じかと思います。
 
また、皇紀は昭和30年頃まで学生の歴史年表などにも使われていましたので、皇紀がまったく使われなくなったのは、大体その頃を境とすると思います。
 
あれこれ書きましたが、江戸時代以前の一般の人たちは、○○があったのは何年前だ、なんて厳密にこだわる必要とかなかったんじゃないか、とも思います。
江戸時代生まれの人の戸籍、というのはかなりいい加減で、長寿日本一(江戸時代生まれ)といわれていた人が実は戸籍のミスで○歳若くて違った、なんて話が昭和の昔はよくありました。
自分の生まれた年もよくわからなくても特に問題なく暮らしている位だので、その辺の農民とか町人とかには、不便どうこうとか、そういう発想は無かったんじゃないでしょうか(かなり乱暴な結論ですが)。

投稿日時 - 2007-07-05 05:57:07

ANo.9

不便でした。それで、いろいろ工夫して計算しやすく、前後関係が分かりやすいものにしようと努力していました。

干支は60年周期なので、60年以内であれば、誤解の恐れはないのですが、長い期間について考えようとすれば、同じ干支がいくつも出てくるので、不定性があります。実際に、昔の歴史書で60年とか120年ずれて絶対年代との対応がされている記事や、年数の数え間違いなど多いです。

皇紀は一つの智恵でしょうね。(BC660年が元年。『日本書紀』神武天皇即位の年とされる。根拠はまったく無いけれども....)

昔の仏教関係の人達は、仏暦(仏滅紀元)を使っていました。(BC543年あるいはBC544年が元年)鎌倉/室町時代の僧が書いた歴史書にはよく出てきます。

西暦も立派な「宗教暦」(キリスト教暦)ですから、本質的には仏暦と同じ考え方です。

平安時代から、歴代の年号をコンパクトに纏めたハンドブックが幾つも作られています。やはり、覚えられる人は少なかったようですね。
そのなかには、公式な年号でないもの(逸年号といいます)も多数掲載しているものがあります。たとえば、白鳳時代なんて、美術史で習いましたが、「白鳳」という年号は公式には無いことになっています。(『日本書紀』に記載なし)しかし、世間では、白鳳・天平文化などと使います。古文書には「白鳳XX年」という記事が沢山出てきます。通常の年表では、西暦何年に当たるのか分かりません。逸年号を含んだ年号リストが手元にないと、いつのことかも良く分かりません。
どうみても不便です。

投稿日時 - 2007-07-04 19:22:15

お礼

やっぱり不便だったんだ
習わなきゃ覚えられないもんね

投稿日時 - 2007-07-05 17:16:32

ANo.8

蛇足ですが、ご参考まで

明治以降~昭和の戦前までは神武紀元(皇紀)が普及しました。
西暦が庶民に普及したのは、恐らく昭和30年代ごろからです。
西暦は神武紀元-660年ですので、神武紀元から西暦への移行は
昭和から平成に元号が変わったようなもので、たいした混乱はなか
ったと思います。
むしろ江戸時代までの「ころころ変わる元号+干支」から明治以後
の神武紀元や西暦などの「何百年何千年の単位になっても機械的に
年数を増やし続ける紀年法」への移行の方が、当時の人々にはすぐ
にはなじめなかったではないかと、勝手に推測します。
まあ、神武紀元が明治以降~昭和の戦前という長い年月をかけて、
徐々に定着してゆき、結果として西暦への移行の地ならしをしたと
いうことですね。
ちなみに神武紀元はもっと古くから存在していましたが、明治以前
は学問の世界など知識人や上流階級の一部にしか認知されていなか
ったようです。

投稿日時 - 2007-07-04 17:54:41

お礼

今までどおり元号もあって、皇紀に西暦にって大変だったんだ
今も二つあって結構ややこしいけど

投稿日時 - 2007-07-05 17:14:34

ANo.7

そもそも昔は西暦を使っていなかったのですから、和暦と比較のしようがなかったでしょう。
比較対象がなければ比べようがありません。

「こっちのほうが便利なのに」と思うとしたら、「こっち」を実際使ってないとわからんですよね。

面倒だなあというのも、今の方式に慣れているからでしょう。
昔の人にいきなり西暦を使わせたらそっちのほうが面倒と思うかも。
(移行時期にはどうだったんでしょうね・・・)

投稿日時 - 2007-07-04 16:11:10

お礼

今でも1分100秒、1時間100分、1日は10時間なんていわれたら面倒だ
便利かもしれないけど

投稿日時 - 2007-07-05 17:11:07

ANo.6

>それでも順番は覚えないと・・

大正~昭和20年までの小学生は(1年生から)歴代天皇の名を暗記していました

順番を覚えるのは、質問者が思っているほど負担にはなりません

投稿日時 - 2007-07-03 21:57:06

お礼

できそうですね

投稿日時 - 2007-07-05 17:06:51

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