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古事記は本居宣長が改作したモノ?

以下に http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98 (2)本文偽書説では、『古事記』の神話には『日本書紀』より新しい神話の内容を含んでいるとして、より時代の下る平安時代初期ころの創作、あるいは岡田英弘のように伊勢国の国学者本居宣長によって改作されたものであるとする説もあるが、言語学的には上代日本語の典型をなす文体がこの見解に否定的である。 ↑とあるのですが この本居宣長が古事記を改作したとする岡田英弘氏の「著作や発言」などの存在をご存知ですか?

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  • tanuki4u
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回答No.2

岡田氏は、専門が遊牧民族史。 あるいは、農耕民族史観に対して、遊牧民族の視点をちゃんと捉えろ!という方。 この意味では、世界史が専門であり、日本史は門外漢といえば門外漢。 ただ、通説に対して疑問を持ちなさい、というのが歴史とは何か?という著作の主題。 かなり前に読んだので、ちょっとあやふやなところがありますが、概略そんなところ。 古事記の話も、「~」という説もあるのだ、定説を疑えという書き方であったと記憶しております。 一般にWIKIPEDIAは、新説(口悪く言えば、奇説)に優しいので、それが学会の通説だと考えると危ないです。ただ、複眼的に見る必要があり、そのためには新説・異説も重要であります。

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